2000/4/1

Rousseau
J. J. ル ソ ー 異 聞


  18世紀フランスの有名な啓蒙思想家に、 ジャン・ジャック・ルソー というお方がございます。

  ご存じのように 「 国家は人民が統治を付託した機関であり、主権は人民にある 」 と説き、 フランス革命を始め世界の民主主義革命の流れの礎を築いた 偉大な人物でございますが、 この御仁の 『社会契約論』 を始めとする難しい書物の、 いずれかでも紐解いたことがあるというお方は、 失礼ながらこの中に、 それほどたくさんいらっしゃるとは 思えません。

  ええ。 しかしながら実は、 老若男女を問わず日本人のほとんどの人が、 一度はこの方のお世話になったことがあると言えば、 まさかとお思いになるやもしれませんが、 あの全国津々浦々、 どこの幼稚園や保育園に行きましても、 いまだに歌いつがれているお遊戯の歌、 『むすんでひらいて』、 何を隠そう、 これぞ このルソー大先生の作曲になるものでして、 なんでも、あるオペラの前奏曲だったとか。幕開けから始まるドタバタ劇を予想させるに十分な、ワクワクドキドキするテンポのよさでございます。

  もっとも ルソー先生のこの有名な曲は、 明治の初めの日本では 「見わたせば...」 という文部唱歌でして

    見わたせば 青やなぎ 花桜 こきまぜて
      都には 道もせに 春の 錦をぞ
        佐保姫の 織りなして 降る雨に 染にける

と、 古今和歌集を元にした まっこと奥ゆかしき歌詞で ゆったりと歌われておりましたそうでございます。 それが日清・日露の戦争の頃になりますというと、テンポも勇ましく

    見わたせば 寄せてきたる 敵の大軍 おもしろや
      すわや戦い 始まるぞ いでや人々 攻め崩せ
        弾丸たまを込めて 撃ち倒せ 敵の大軍 撃ち崩せ

と、 戦闘の歌として親しまれるようになり、 第二次大戦中も 『進撃追撃行進曲』 として使われたと聞きますと、 戦争というものが、 あの人の命を惜しみなく費消する残酷さを通り越して、いささか不謹慎ではございますが、 まるでチャプリンの 『独裁者』 でも見ているように、なんとも滑稽にすら思えてくるではございませんか。 そして、その笑いは、すぐ言い知れぬ悲しみに変わり胸にこみ上げてくるのでございます。耳には あのラストの名演説、チャップリンの心の叫びが!

    .....
    兵士諸君、犠牲になってはならない。
    奴隷になってはいけない。
    君たちは家畜でも機械でもない、人間なんだ! ...


  さて、 この 『むすんでひらいて』、 あるとき、 ある保育園の 新入りの保母さんの研修会でのことでございます。 おりしも園長先生のオルガンの伴奏で、 お歌とお遊戯の練習が行われておりましたわけですが、

    むーすんで ひらいーて 手を打って むすんでー...

なぜかここまで来ますというと、 とたんに若い保母さん達が皆な、 うつむき加減になり、 声が小さくなる。 園長先生、 これはどうしたことかと怪訝に思い、 保母さん達の方に眼をやりますと、 彼女たちの動作、 なんとなくためらいがちで、 ぎこちない。 おまけに、 中には、 なにやら顔までほんのりと 上気して赤くなっている子も、 いるではございませんか。  はて、 どうしたのかしら? と思った園長先生、 自ら頭の中で復唱してみました。

   (むすんで ひらいて 手を打って むすんで またひらいて ...)

と、 ここまできまして ハタと気がつき、

   (この頃の若い子達ったら、 もう、 いったい何考えてんの!? 仕方がないわね)

    わかりました。 そこの部分は 少し恥ずかしいかもしれませんね。
    それではみなさん。 今日はここまでにしますが、 そこは、 もう少し、
    おていねいな 言葉で、 しっかり 元気よく歌うようにしましょうね。



  さて、 そうして数日たったある日のこと、 園長先生がお遊戯の部屋の前を通りかかりました。 やってます。 やってます。 おりしも 『むすんでひらいて』 の、 かわいい歌声が聞こえて参ります。

    むちゅんで ちらいーて 手を打って むちゅんでー ...

ここまで来て園長先生、 先日の お約束 を思い出し、

   (そうそう、 あれ、 どうなったかしら?)

と立ち止まり、 耳をそばだてておりますと、 続いて 子供達の元気な声で

    .... おーまた ちらいて 手を打って...


   (あっ・ららららっ。おていねいにって、なんでもかんでも「お」をつければいいって
    もんじゃないでしょ! 大また なんて、よけい激しくなったじゃないの!)

と、 驚いた園長先生、 ガラス越しに部屋の中をのぞいておりますと、 なんと、 幼い園児達、 おまけに

    ...ちょーの手を ちーたーに

と、 いっせいに小さな手を、開いた おまた に持っていくのでございます。

  これ、 幼い子達が紅葉のような手でやれば 罪がなく、 なんとも可愛いものですが、 うら若き保母さんも、 こちらはやや恥じらい気味に おまたを ちら、 いや、 その、 開きまして、 なよなよと

    ...その手 下に 

ってやりますものですから、 ちょっぴりなまめかしき風情もあり...。  というわけで、 このようなことがありまして以後、 この保育園におきましては、 この歌のこの部分は

    .... もいちど ひらいて...

と字余りで歌うようになった次第でございます。 また、 「その手を下に」 の部分では、 「手は きちんと指をそろえて きびきびと、必ず 膝まで持って行くように」 と、 保母さん達に厳しく指導が行われたのは、 もちろんのことでございます。


1985年頃、 娘が百万遍の知恩寺の保育園に通っていたとき、 担当の元気でかわいらしい保母さんが 「もいちど」 と歌うのを聞きとがめて思わず苦笑し、 あらぬ妄想をめぐらした次第。 保護者会の懇親会だったかと思うが、即興で演じたものに後日補足した。 ご両親が幼稚園を経営している同僚に尋ねたら、 「うちでは 『またひらいて』 いる」 ということだった。 同じ 曲解(?)をする御仁も多いようで、似たような様々なバージョンがあるらしい。 すべて子どもの頃の、たわいもないフレーズが記憶の底から浮かび上がってくる。「うさぎ おいしぃ かの山」、「思えば ニタリ 故郷の野辺」、「酒よ酒よと ささやきながら」、「横浜の鳩、バカだ」、「村の私の船頭さん」、 「夕月かかりて におい怪し」 など枚挙にいとまがない。『埴生の宿』の「玉の装い羨まじ」など、本気で「稀(たま)の装い」と信じ込んでいた。歌謡曲では 「耳鳴りーだけが 聞こえます」 は身にしみて感じているし、 中には 梓みちよ と 村田英雄 のデュエット、 「こんにちは赤ちゃん 私がママよ」 「時世時節は変わろーと ママよ」 というのもあった。

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