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自立老後のすすめ 誰にでも、いつか必ず老後はやってきます
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老後について考える 1)老後ということば 2)老後をイメージする 3)不安のナカミ
4)高齢期の長期療養

 

『老後について考える』

FPなって以来考え続けていることの中で最大のテーマが「老後」です。
日本人の平均寿命は戦後どんどんと伸び続けて、厚生労働省発表の最新の統計によると、男性78.36歳 女性85.33歳であり世界でもトップレベルとなっています。
また、ある年代の人がこれから何年生きるかという予測データを平均余命と言いますが、これについても大きな伸びを示しており、60歳男性の平均余命は22年、女性は27.5年です。

かつて定年後の「余生」などと表現された老後の期間は20年以上、30年近い長期にわたるようになってきています。
もはや老後は引退後の死ぬまでの「つかの間」なのではありませんし、「余生」とか「隠居」などは近く死語となるでしょう。

また、一方では子供の数は減り続け少子高齢化が進んでいるのですから全人口に占める高齢者の割合も増える一方です。 65歳未満の所謂就労者人口と65歳以上の人口比の今後の推移から、「5人の働き盛りが1人のお年寄りを支えていた構造」が今から20年後には2.5人でひとりを支えることになるとの予測もあります。

私たちは当面の間、老後の期間が長くなってゆくこと、老後を生きる人の占める割合が高くなってゆくことを同時に意識する必要があります。
老齢年金や高齢者医療の社会負担が今のままでは立ち行かなくなるのは自明の理というものでしょう。

定年まで無事に勤め上げさえすれば、退職金や年金や頼もしい子供たちのおかげで老後はなんとかなるなどということはもう遠い過去のこと。
誰もが必ず(100%)死ぬということと同じように、多くの人々が避けて通れないのが長期間の老後なのです。
できる限り自立した老後を送るための準備をすることが、普通の人生を生きるための必須条件です。

私たちは自らの老後をできるだけ早いうちから意識をしてできるだけの準備を始めなければならないと思うのです。
しかし老後対策が現代人には不可欠の課題と分かっていても、現実にはついつい先送りとなってしまい勝ちです。
対策の早期スタートの必要性を訴え、その実行のお手伝いをすることは我々FPの主要な業務分野でもあります。どこまでまとまるか分かりませんが、一人でも多くの人が一日でも早く老後対策を考えて始めて欲しいという一念でこの自立老後について考えるコーナーを立ち上げます。


     


【1】 老後という言葉

老後という言葉に含まれるどちらかと言えば暗いイメージのために、自分は無関係と思いたい、遠い先のことと思いたい、そうした気持ちが老後について考えることの障害となっているのかもしれません。
人間の不老不死への欲望は尽きることなく、古来より様々な伝説や物語が生まれ、現実の科学の世界でも常に重大なテーマとして追求され続けています。
しかし不老不死の妙薬や技術の開発はその筋の専門家や悪魔さんたちにお任せするしかありません。誰にも確実にやって来るとの認識が第一歩です。

子供を育ててみて、親の気持ちが初めて分かったというように、その立場になって見ないうちはどうしても本当の気持ちは分からないのは人間のサガというものでしょう。

私が新入社員としてM商会に入社した頃、配属された部署のすぐ上の先輩が30歳の主任さんで、課長さんは確か38歳だったと思います。現在51歳である私から見れば、まあ30歳などというのはまるで若造であります。38歳でもまだまだ若手のイメージです。しかしながら新入社員当時のガキンチョサラリーマンだった私にとっては、30歳の主任も38歳の課長もましてや40歳の部長などは、もう自分より遥かに多くの経験を積んだ大・大・大先輩なのであって、なんといっても大人であって、怒られれば本気でビビってしまう存在だったのです。(特に入社3年目くらいまでは・・・)

時代背景や社会情勢などの違いから、今の40歳よりも30年前の40歳の方が大人であった(いろんな意味で老けていた)可能性はあるものの、それにしても、年齢というものの不思議さを感じてしまうのです。
20代や30代のころに50歳になった自分を想像した記憶はありませんし、想像しようとしても不可能だったでしょう。しかし、若死にをしない限りは誰もが必ず50歳になりますし、60歳にも70歳にもなります。

我々はむしろ老いてゆくことを率直に受け入れて、老いることを避ける手立てよりも「うまく老いること」 や「老いて楽しく暮らすこと」に注力した方が現実的です。
「老後」という、なにかが終わった後のような印象の言葉よりも例えば「高齢期」というように人生のある一時期に過ぎないと認識をする方が健全ではないかとも考えますが、ここでは混乱を避けるため「老後」で通す事に致します。


    



2:老後を具体的にイメージする

経済成長と都市化を背景に核家族化が進んできた結果、特に都会では我々はいつも身近にお年寄りがいる状態からどんどん遠ざかってしまいました。
高齢者との接触がほとんど無い状況が続いていると、高齢者なりの様々な工夫や知恵や悩みなど、つまり老後のノウハウの継承ができません。
もしも近くに高齢者がいるのなら、高齢者の気持ち、考え方、行動などに触れる機会を設けるべきではないでしょうか。

少し脱線しますが、かつて生保専業だった私は、損害保険代理店にもなり自動車保険を扱うようになってから、車の運転が非常に慎重になったと思います。自動車保険を販売するプロが事故を起してはメンツが立たないと言う気持ちがあるのも勿論ですが、それよりも、現実に身近に起きる自動車事故を契約を通じて日常的に経験していることも、慎重になった大きな要因だと思っています。
リスク対策を講じるための第一歩はリスクを自分の身にも現実に起こりえるものとして認識すること、更にはそのリスクを自分の場合に当てはめてイメージすることなのです。

また少し脱線しますが、私は年に一度くらいの間隔で「ギックリ腰」になってしまうことがあります。(運動不足解消のウオーキングの成果がまだ充分に現われていません)
腰痛が治りきらない内に仕事の必要から外出すると、当然ながらスタスタと軽快に歩くことなどできません。
ちょっと身体が揺れただけでも全身に痛みが走って数秒間息を殺して耐えることになったりすので、「ギクッ」とこないように慎重に慎重にゆっくりゆっくり歩くしかありません。
普段健康な時には、すぐ前をお年寄りがゆるりゆるりと歩いている場合、ついついイライラしてしまうことがありますが、自分がこのような状態になると、お年寄りの緩慢な動きが仕方の無いことなのだと初めて理解できるのです。

基本的に思いやりの無い人というのは、おそらく想像力がかなり不足している人なのだと思います。立場の異なる人の気持ちや事情と言うものをみんなが想像することができたら、きっと住みやすい世の中になるのでしょう。

老後は他人事ではないのだと認識すること、高齢期になるとどんなことになるのかをイメージすることも老後対策作りの第一歩といえるかも知れません。



       



【3】老後の不安とはなにか


生命保険文化センター2004年度アンケートによると、老後生活に対する不安の有無について、20.4%が「非常に不安」、29.3%が「不安を感じる」、「少し不安を感じる」が33.7%で、合計では実に 83.3% が不安があると答えています。
8割以上ものひとが感じているという老後の不安の中身についてはどうでしょう。

「公的年金があてにならない」79.2%
「日常生活に支障が出る」46.1%
「自助努力による資金準備の不足」39.6%
「仕事が確保できない」33.3%
「退職金や企業年金があてにならない」32.6%
「預貯金などの老後資金が目減りする」20.8%

という内容となっています。

その不安が現実のものとなって、中には自殺に至る場合すらあるわけですが、(日本は先進諸国の中で自殺率の高い国として有名です)特に中高年以降の自殺について原因を見てみます。自殺者の遺書に関する調査によると

「健康問題」が理由の自殺と、「経済・生活上の問題」での自殺の割合は・・・
40歳代で24対49、50代で31対48なのですが、60歳以上になると、57対23と大きく逆転しているのです。働き盛り、経済的支柱であるべき立場の40〜50代の自殺が経済的理由が圧倒的なのはうなずけるところですね。

60歳以上の高齢者の自殺原因は健康問題が6割近くを占めるのですが、健康を害した状態では治療費などでお金が掛かるわけですし、仕事ができずに収入が減ることもあって、健康問題は経済的問題とからみ合っていると見るべきでしょう。

もうひとつ、高齢者の自殺に関連して知っておくべきと思われることがあります。
高齢者の自殺率の要因について、核家族化の延長でひとり暮らしの高齢者が増え、孤独に耐えかねての自殺が増えたのではないかと思われていましたが、実は意外にも同居家族のいる高齢者の自殺率の方が高いことがわかったということなのです。

その理由の一つとして「家族の中での孤独」のつらさがあげられるようです。
楽しい団欒の中に入れず、家族の笑い声を聞きながら別室で一人過ごす寂しさは、納得して自ら自立して暮すひとり暮らしの高齢者の感覚とは比べものにならないほどの異質なきついものなのかもしれません。

また、程度の差は別として在宅介護を必要としている場合などでは、自分が家族に迷惑をかけていると思い悩んだり、自分の存在が家族にとっての負担でしかなく、必要な存在とは感じられなくなることも想像に難くはありません。

そうした状況で蓄積されるであろう精神的なストレスを少しでも少なくするためにも、お金の準備がやはり必要でしょう。 できることは自分でやるが、できないことは誰かの助けを求めるというのは共同社会で生きる人間にとって自然のことです。
また、高齢者を支える家族達自身も自分だけでできないことは専門家のサービスも取り入れることに積極的になるべきなのでしょう。 お金で解決できることはできるだけお金で済ますようにする、そのためにやはり老後資金を早いうちから準備するべきではないでしょうか。


       



【4:老後における長期療養のリスク 】

かつて高度成長期の末期のころに生命保険に入院特約を付加する場合、70歳までの保障で充分だという人がいました。その根拠は「70歳以上で入院してもほとんどお金が掛からない」というものでした。
実際に高齢者の医療制度はかなり充実していて、幾ら長期入院をしていても、ひと月に数千円〜数万円程度しか掛からないという時代もありました。

しかし、少子高齢化の進行に経済停滞が拍車をかける格好で社会保障制度を支える財政状況は悪化の一途をたどり、公的年金のみならず老人医療制度も給付の減額、負担の増額が相次いで法制化される流れは止まりそうもありません。病気治療ではない長期療養を医療制度から切り離して財源込みで創設した介護保険制度に移行するなどの措置をとっても国の医療費負担が大幅に減ることは無く、今後も高齢者の負担は増えて行くと考えておくべきでしょう。

こうした背景から医療費を補填するための補償手段として「医療保険」がクローズアアップされて来ています。
従来は死亡保障が主目的の生命保険についでに付帯する「入院特約」が医療保障の主役でしたが、今では外資系、元外資系の生命保険会社や損害保険会社が中心となって医療保障専用の保険が沢山登場してきています。

多くは入院日数分の給付金と手術給付金支払うものですが、高度先進医療を受けた場合の負担を軽減するものや、特定の病気についてはまとまった給付金を一括で支払うタイプなど、業界の競争を背景にバリエーションは増える方向です。

公的介護保険制度の創設は、高齢者の長期入院による国の医療費負担を軽減することが大きな目的のひとつでした。ある程度の短期間で治療できる病気の入院は健康保険の中で賄うが、長期的にケアを必要とするような場合は医療保障制度から切り離し、入院以外の施設利用や自宅療養に移行して介護保険のほうで受け持つようになったわけです。

その流れの中で、健康保険診療から切り離された療養型の長期入院(入院というより施設利用)では生保の医療保険も対象とはなりません。 生保が対象とするのはあくまで疾病治療を直接の目的とする入院だからです。
まして入院ではなく自宅療養や通院によるケアであれば、基本的に入院手術保障である医療保険では保障されません。
公的介護保険の自己負担を補償するための商品としては損害保険会社が販売する介護費用保険がありますが、要介護3〜5級の重度に限られているものが多いのが現状です。

これら医療費を補償する保険分野は今後も色々な商品が開発されてゆくと思われます。
しかし、どのような状態であっても医療費用を軽減できるという魔法のような保険は存在しませんし、多くの種類の保険にあれもこれもと沢山加入すればそれだけ多額のコストが掛かります。

保険ばかりにお金を掛けすぎて、健康な場合のゆとり資金が全く無いというのでは、それこそ本末転倒です。高齢期の医療費保障は保険商品と貯蓄の両方でカバーするというのが健全な考え方ではないでしょうか。

また、保障が継続するのと同時に解約返戻金という積立金が殖えて行くタイプの「終身保険」は医療保険とともに検討すべき老後対策に有効な商品であると言えます。
(この詳細は後述します)

     


     〜〜以下、不定期に続きます〜〜







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