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                落語を聴こう・見よう



  
私が小学生のころ毎週日曜日の午後は父に付き合わされて、TVの前に座りゴルフ番組と寄席の番組を見ていた記憶があります。落語家がテレビにばかり出ると批判されたりしていましたが、番組もふえて落語家がタレントに変身し始めた時代でした。高校生の頃からはほとんど見なくなり、しばらく遠ざかっていましたが、30歳すぎてから地元の図書館で落語のテープの貸出しを知り、借りまくり聞きまくりました。

テレビでは寄席番組などは「笑点」と教育テレビ位いしかなくなってしまいましたが、TBSで月に一度位放送される深夜番組に落語特選というのがあり、30分から1時間位の演物を見ることができて、よくビデオ録画して見ていました。それももう無くなってしまい実に残念です。

落語も日本が産んだ素晴らしい伝統芸能ですが、見たり聞いたりしたことの無い人もけっこう多いと思われます。同じ演物でも演じる咄家によって雰囲気も出来もまったく違うし、あの人がやるとすごく可笑しいのにこの人のはちっとも面白くない、ということが頻繁に起きます。また、同じ人でもその時の乗り具合でまったく変ってしまうこともあります。こういうところはJAZZのライブに近い感じですね。まあ芸術や芸能というのはすべてそういうものですが。

とにかく大笑いしっぱなしの噺もあるし、笑いとペーソスに溢れたのもあるし、つくづく人生や人間のことを考えさせられる示唆に富むものもあるしでさまざまです。うまい人の噺をビデオなんかで見ていると、たとえばお酒を飲むシーンなどでただ手を口に持っていって飲む仕草をしているだけなのに、本当に飲んでいるように見えて、またこれがものすごく旨そうで、ついつい一升瓶を出してきてこっちも飲み始めてしまったりします。まあこれは単に私が好きなだけのことかも知れませんが。


好きな噺家さん
古今亭志ん朝さんのお父さんの志ん生が一番好きです。30年ほど前に亡くなったので残っているビデオ類の映像はほとんどありません。CD全集を買ったりテープを借りてきたりして、残されている演物の90%は聞いたと思います。志ん生さんのは「火焔太鼓」がいいとよくいわれますが、この方の場合はどれが得意というよりすべてが面白いと私は思います。(もちろん出来不出来はあります)

三遊亭円生も大好きです。このひとはいかにも、うまい、という印象が強く、何というか芸を突き詰めて行き、追及して行き、完成に近い状態になっている演物がいくつもあり、いつでもきちっと演じるというようなところがあります。志ん生さんはその時々で出来具合の差がかなりあって、うまく乗った時には何をやっても大当りという感じで、このお二人はある意味で対象的であると思います。あ、この人も亡くなって随分経っています。若い人にはこういうことを知らない人が結構いるんでしょうね。

現役ではなんといっても古今亭志ん朝、柳家小三治、立川談志の各師匠です。(1999年12月に書きました)枝雀師匠も大好きでしたが残念ながら現役でなくなってしまいました。小朝さんもあと5歳くらい老けるといいかもしれません。

先日、録画しておいた志ん朝さんの「文七元結(ぶんしちもっとい)」を見ました。貧しいけれど心の豊かな職人が人を救う美談ですが、相手とのやり取りの中で、迷い、揺れ動く心とそれが表情に現れる様子におかしくて切なくて、ガハハと笑わされたかと思うとほろりとさせられて、話しの展開に心を惹き込まれ、大感動しました。笑いながら泣くというのはなんとも不思議です。(はなしは違いますが、笑った顔をしながら激しく怒る、という芸を昔やっていた俳優さんがいますね)本当にすごい演技でした。終了後の榎本滋民氏の解説でも近年最高の出来だと言っていました。

落語って本当にいいものなんですよ。図書館にでも行ってテープがあったら借りてみてくださいね。もちろんライブを観るのがベストですが。

志ん朝師匠のこと (2001年11月の追記)
先月なんと志ん朝師匠が亡くなりました。これから段々と芸が嗄れていって、もっともっと味が出てくる筈だったのに、本当に残念です。なんというか、存在そのものが江戸落語と言った風情の素晴らしい噺家さんでしたので、日本の真の国宝がまたひとつ無くなってしまいました。テレビから録画した高座のビデオが5つくらいあるので、これは私の家宝となります。

志ん生という大天才の息子としての迷いなどについて、同じく天才の三平さんの長男であるこぶ平さんとの対談が死の直前に行われ、亡くなってすぐに発売となった雑誌「東京人」に載っています。ため息が出ます。つい先日ラジオでこぶ平さんが色々な思いを語り、本当の落語をキチンとやっていくという決意を強く持った、ということを話していました。ぜひ頑張って欲しいと思います。

あの芸に厳しい談志さんが 『金を払って観に行きたいと思う自分以外の唯一の噺家』 と称した志ん朝さん。昨年飲んで話した折に、「志ん生」を継いだら俺が襲名披露の口上をやってあげるよ、と話していたんだそうです。

たしか死の直前8月のニュースステーションで志ん朝師匠が「最後の晩餐」というコーナーに出演した時に、若い頃に思うところあって「うなぎ絶ち」をしているので、最後の晩餐にはうなぎを食べたい、と話していましたが、食べることができたのかどうかがとても気になります。あの時は既にかなり身体がきつかったみたいです。今思うと痛々しい映像でした。
それにしても、本当に大切な人は早く逝ってしまうのだなあ。