偉い人        

「偉い人」と聞いて思い浮かべるのはどんな人物像でしょうか。
昔、小学生の頃はどういうわけか「偉人伝」という種類の本を読まされた記憶があります。読んだというより読まされたという印象です。 野口英世とか二宮金次郎とかヘレンケラーなどですが、今はもうこういう本は無いのでしょうか。

ここから推察すると、偉人と言うのは社会のために、多くの人のためになるとても有意義な素晴らしい仕事をした人ということのようです。  おそらく昔は軍人とか政治家なども含まれていたのではないかと思われますが、さて、現在の日本で現代偉人伝を作るとしたらどうなるのでしょうか。 

むかしは「末は博士か大臣か」なんていうフレーズがありました。 「一所懸命勉強して偉い人になれ」とか「お隣のご主人って大きな会社の社長さんなんだって」  「へえ、そんな偉い人だったの」 なんていう会話もあったように思います。 思いつく範囲で並べてみれば、政治家、大臣、医師、大学教授、弁護士、大会社社長、知事、市長、校長、外交官、大蔵官僚、といった職業の人を「偉い人」として捉えていた様に思います。 この感覚はおそらく世代によってかなりの違いがあると思いますが、みなさんは如何ですか。

さてこの偉い人達には共通点があります。それは数の少なさと収入の高さです。
たとえばサラリーマンと呼ばれる人たち(私はこの表現が大変嫌いですが)は日本に約3800万人(厚生年金の第二号被保険者数から類推)いますが、国会議員は衆参両院で720人です。 これでも多いので議員の数を減らせという議論はこの際無視するとして、相対的に人数が少ないというのは、絞り込まれた、或いは選ばれた優秀な人であって、誰でもできる仕事ではなく、従って収入も比較的高いという理屈でしょう。

たしかにこれらの職業に就くには多くのハードルがあり、一定以上の努力なくしてはたどり着けません。しかし、だからといってそれだけで「偉い人」なんでしょうか。人を評価する時、職種とか立場といったカテゴリーで分類して、その中に入っている人には一定以上の評価を与えてしまうのは日本人の悪癖なのではないかと思っています。

名前を呼ばずに役職で呼ぶ習慣も日本以外の国ではあまりないのではないでしょうか。 部員が100名位いて、ひとつのフロア−を占有しているような○○部の部長ならそのフロア−内で「部長、お客様です」というのもまあまあサマにはなりますが、窓側の壁に沿って10人もの部長が机を並べていると言った風情では「部長」と呼んでも誰のことか分かりませんね。
そういう私も勤め人時代には「部長」「次長」「課長」と呼んでいました。 まあ、まさか部長のことを「○○さん」なんて呼ぶ様な風土は皆無でしたから、当然のことだったのですが。 
しかしどうして「主任」とは呼ばなかったのでしょう。その差は一体何なのでしょうか。私は課長代理にもならずに脱サラしてしまいましたのでよく分かりません。

話が飛びました。職種や職業的立場とかで人をひとくくりにして、それだけで一定の評価を与えるということが、社会的背景から意義があるという時代もあったのだと思います。 でもそうしているうちに、そのグループに入っていることにあぐらをかき、自分自身の評価であると勘違いをし、自分を偉い人物と思い込み、知らないうちにふんぞり返る癖がつき、差別感覚を身につけ、特権階級であると錯覚し、本来の使命、役割、あるべき姿を見失ってしまった人達もその分類の中に入っているのです。

最近のニュースのかなりの部分をそうした人達の犯罪行為の報道が占めています。 実は日本のひずみの多くをこういう人達が作ってしまったのではないでしょうか。また同時にそういう人達のことを人物を見極めるわけでもなく、無批判に奉り、おだて上げ、何かの時には口を利いてもらうためにコネクションを確保しようとしている多くの「一般人」達にも相当な責任があると思います。
(告白すれば、私の最初の就職は冬の時代であったこともあり、ちょっと偉い人のコネクション、所謂コネで入社できました。)

理不尽な扱いにものを言わないサラリーマン、悪政にも声をあげない一般市民を思うとき、 「士農工商○△」時代を想像してしまいます。  今の日本の色んな出来事の本質を理解するのに一番分かりやすいのが、伝統的な時代劇の場面に当てはめてみることだと感じるのですが、これは不幸なことなのか、日本という国はいつまでたってもそういう国なのでしょうか。

ところでこの話を書き始めた動機は、あるJ党の国会議員の偉そうな発言を聞いていて、「このおっさんは多分自分のことを特に根拠もなく偉い人だと思い込んでいるフシがあるな」と思ったことなのですが、なんだかバカらしくなったので、その人のことは触れないで終わることにします。
本当の偉い人というのは、多くの人や社会や世界のために良いことをしている人のことだと思います。また私達も、地位とか立場とかではなくその人の人物、仕事ぶり、態度、生きる姿勢をキチンと見て、本当に偉いと思う人だけを偉いと呼ぶようにしないといけません。
「天は人の上に人を造らず」という言葉を、今一度噛み締めなければいけません。

少し偉そうで、ごめんなさい。


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