「保険屋」さんについて思うこと(1)             

外資系生保の営業マンであったころ、「保険屋さん」と呼ばれることには正直言って抵抗がありました。この保険屋という呼び名には何故か独特の雰囲気が漂います。
花屋とか豆腐屋とか魚屋とはあきらかにニュアンスが違いますよねえ。ホケンヤっていう響きは。

独立前の保険会社の営業社員時代に、ある新人が研修を終えて保険販売の現場にいざ出陣しては、「保険屋呼ばわりされて頭にきた」などと言って帰ってくることがよくありました。「ホケンヤ」という呼称の響きをマイナスに捉えている内は壁を越えられないとも言われます。だって保険を販売する事で食べてゆく職業なのだから「保険屋」で間違いないはずなのに、どうしてこの呼び方に特別なマイナスのイメージを抱いてしまうのでしょうか。

某中堅商社に入社したての社会人1年生の頃、有名な生命保険会社に勤務する大学の2年先輩から電話があり、「社会人になったら保険のひとつくらい入っておきなよ」とのお勧めにより、先輩にはどこでお世話になるかも知れぬのだから言うとおりにしておこうと、生命保険に加入したのです。(実はこの先輩には12年後に私が保険屋に転身した際には競合他社であるにも関わらず色々と教えて頂いてお世話になったのです。感謝。)

その保険は契約後2〜3年でお金がきつくなって解約してしまいましたし、保険の内容などは一切記憶がありません。これが生まれて初めての生命保険との接点でしたが、この時の先輩は所謂「保険屋」さんではありませんね。たまたま保険会社に勤めている先輩サラリーマンです。保険会社のサラリーマンを保険屋さんとは誰も言わないはずです。

さて一般に世間でイメージされる「保険屋」とはおそらく生命保険の外務員のことでしょう。
22歳から12年間勤務したその某商社には3名の保険屋さんが常時出入りされていました。(現在も社名が変わっていない大手生保3社です)どうにも私の苦手な雰囲気の方々だったため、商品説明すら聞いたことはありませんでした。パンフレットなどを手渡されてはスゴスゴと逃げるようにその場を離れたものです。

今思えば、その苦手意識というのは「何かを強要される予感に伴う恐怖心」が原因だったように思われます。強要とは大袈裟なと思うかもしれませんが、何かの頼まれごとを断ることに抵抗を感じてしまう人間にとってはそのように感じられるのです。

私は「売り込まれる」ことがかなり嫌いな性格のようで、家電量販店でオーディオ機器を見比べていたり、デパートでジャケットなどを探していたりする際に、するすると近寄ってくる店員の気配を感じるだけで何やら緊張感を覚えるのです。
程度の差こそあれ、何かを売り込まれると嬉しくて仕方が無い、などという人はあまりいないでしょう。

一般に保険屋さんは毎日保険を誰かに売り込むことを業務としていて、多くの場合は買う人を求めて色々な場所に訪問し続けます。
普通何かを買う時には、それを売っているお店に行きますが、どういう訳か保険の場合はそうではなく、買いたいとひとことも言っていないのに、売り子さんが突然目の前に現われます。「ボ、ボ、僕は保険はまだいいです」などと言おうものなら。「まだいいの?じゃ、今度聞いてね 」ということになり、それから暫くの間は「今度」とはいつのことだろうと気を揉むことになります。「まだ独身ですから」などと余計なひと言を発すれば、「あらあ、独身者にピッタリの保険があるのよお」などと反撃され、「今度聞いてね」ということになります。

こういう方々は若手社員など比べ物にならぬほどの社内情報網を確保しているので、結婚したことなども隣の部の同僚よりも早く知ったりします。新婚旅行から戻って仕事に復帰した途端に机の上に「お奨めのプラン」などが乗っていたり、ということになるのです。最近はセキュリティ上の問題から、このような常時職場に出入りする販売方法はかなり減っているとは思いますが、昼休み限定とか、就労時間外とか条件付で今も残っているではないかと想像します。脱サラして長いので最近の事情はよくわかりません。いづれにせよ、保険屋の悪いイメージの原因はこうした「売り込まれることの不快感」と密接な関係があると思えます。

S生命など数社の新興生保会社の営業マンはサラリーマンからの転職者が多く、自分自身が保険を売り込まれた経験を持つものが殆どです。従って、私は強引な売り込みなどは決してしないし、所謂保険屋とは違うのだ、という意識が強いと思われます。保険は売込むものではないと強調したがる傾向があります。
ところが、強引に売り込んだり、しつこく検討を迫ったりはしないまでも、本当はあまり聞きたくないのにお付き合いで話を聞いている人にとっては、多かれ少なかれ「売り込まれている」ことに変わりはありません。

保険の正しい考え方、保険商品の合理的な選び方について役立つ情報提供をして、その結果として具体的に話しを聞きたいという人だけに、家庭状況などをよく聞いた上で初めて保険の提案をする。新興生保の営業マン氏は、このように至極まともなコンサルティングマインドで役に立つ話しをしに行っているのですから、そこいらの保険屋とは違うのです。
・・と本人は考えているのですが、実際には相手側からの反応は「ううん、やっぱり保険は今はいいです」とか「ちょっと今金も無いんで」とかの普通の断り文句を言われるだけに終わったというケースもよくある訳なのです。そこで、冒頭のように新人が頭に来て帰ってくるという話しになるのです。

戦後まもなく、経済復興の兆しもまだオボロ気であった時代、自分から保険に入りたいと申し出る人などは皆無であり、必要性にも気付かぬままでいる一般の人たち対して、万一の場合のために少しでもと懸命になって保険加入を薦めて歩くやり方で、日本の生保は少しずづ少しづつ拡大して来ました。しかし、今や時代は移り、金融業界の状況も、情報収集の手段も大きく変わりました。

複数の保険会社の商品を選べる来店型の保険屋さんが登場していますし、FP協会主催のライフプラン相談会には保険見直しの相談が沢山舞い込むようになりました。損害保険代理店の世界ではこれからは「物保険」だけではなく「人保険」(医療保険及び生命保険)の販売も中心に据えるべきだと言われています。
またこれからは銀行マンが保険屋を兼業します。(すでに株屋も兼業しています。)

さて、これからの「保険屋」さんはどんな姿になってゆくのでしょうか。




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