純米酒についての考察              

純であることは美しいことです。
私は小さな子供の顔をじっと見つめているだけで涙ぐみそうになる事がありますが、これはおそらく「純なるもの」に触れることによる一種の感動なのだと思います。

10数年前から私は家で飲む日本酒を純米酒に限定していますが、純米酒について多少知るようになったのは最近の事です。
日本酒は米を磨き、蒸し、麹菌を加え、酵母を加えてモロミを造り時間を掛けて発酵させて造られますが、この過程では温度管理、水の管理等々で非常に微妙な工程管理技術を要します。(まさに職人の技です)
ちょっと気を許せばうまく発酵せずに腐ってしまうこともあるそうです。原料の米のコストが決して安くは無いことと、手間が掛かることは日本酒の宿命なのです。

日本酒は昭和17年ごろまでは全てが純米酒であった(当たり前なのですが)そうですが、第2次大戦中から戦後にかけて、お米が不足している状態でありながらも庶民のささやかな楽しみであるお酒を造る必要があり、その際に苦肉の策で「醸造用アルコール」(主に砂糖の精製過程でサトウキビから出てくるエチルアルコール)が登場したようです。

アルコールを添加して日本酒を手っ取り早く造るこの方法を「アル添」といいますが、戦後日本経済も徐々に立ち直りお米が普通に生産されるようになってからも、どうしたわけかこのアル添の手法が残されてしまい、今に至っているのだそうです。
苦肉の策であったはずのアル添が日本経済発展の時代に入ってからは、コスト削減策として利用されてしまってきたというのが真相のようです。

アルコールが多くなると辛すぎて飲めなくなり、従って味を調えるために糖類などの調味料を加えているという、なんとも本末転倒なことがごく当たり前のように行われているのが日本酒の現実なのです。
日本酒は翌朝頭に残ってイカンなどというのは本来純粋なはずのお酒に、調整用の雑物が沢山混入しているためなのであって、これでは本当の日本酒(つまり純米酒)があまりにも可哀そうではありませんか。

私はこんなことも知らず、巷でいわれるブランドを妄信して割高な酒をうまいうまいなどと飲んでいたことをまことに悲しく思い出すのです。アル添の酒が全てまずいのではなく、コスト削減ではなく良い味を作り出すためにあえて添加しているものもあるそうですが、そんなことしなくとも歴史ある自然の製法で造ればよいでしょうに。第一、一般消費者にはその区別ができません。

それから、キチンとした純粋な製法で造られた純米酒は、できてから数年経過してからのほうがコクの深い味が出るものだそうです。高級清酒は1年以上おいて置くとお酢になってしまう、などと言われたのはあれはアル添酒だからこそだったのです。
また、新酒だとか搾り立てなどというものは、日本酒においてはあまり有り難がる性質のものではないのだそうです。

さて、どの業界でもコスト削減と利益追求は企業経営の至上命令です。
最近生命保険営業の現場でさかんに売られている保険商品の中身について、どの部分が純米でどれが添加された醸造用アルコールなんだろうか、という見方をしてみると「なあるほど」と感心するかもしれませんよ。

裏づけ確認でウエブをみていたら「純米蔵宣言」というある酒造メーカーさんのサイトを見つけました。 「加賀鳶」という純米酒は私も何回も呑んだ事があります。旨いです。
http://www.fukumitsuya.co.jp/junmaisengen/index.html

みなさん、純粋指向でいきませんか、何事も。



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