立場発言                         

人間は皆それぞれがそれなりに自分の立場というものを持っています。 その立場において発言することを立場発言というとすれば、人々はいつもこの立場発言と本音の発言とを使い分けたり、場合によっては混同してしまったりしているのでしょう。

官僚とか役所の担当の人のインタビューや、問題を起こして記者会見をする経営者のコメントなどを聞いていると、まさにこの「立場発言」に終始している感じがします。 立場をわきまえて話すことができない人は「バカ」呼ばわりされますし、現実に人様に迷惑をかける可能性が高くなります。 しかしです、だからと言って、その立場を守るためだけにウソでも何でも平気で言ってのけてしまい、そのために反対の立場に置かれた人を不当に傷つけてしまうのでは本末転倒であり、これこそ迷惑至極です。

思えば殆どの人間は大なり小なり何らかの組織とか地域とかに所属しており、したがって何らかの立場によって立っています。  しかし、どんな人も本来はそれぞれの立場に置かれる以前に「ひとりの人間」なのですし、近代においては「ひとりの社会人」なのです。
他人を大切にし、他人の立場を尊重するという大原則が分かっていて、その上で初めて自分の立場での発言がなされるべきではないでしょうか。

自分の組織を守るためだけに存在するようになってしまった身勝手な組織は至る所に存在し、そのため、組織外の人達が権利を侵されることになるという出来事が最近は多すぎます。
○○食品も□□省も国会議員も●●党も△△大臣も××銀行もみんなみんな自分のことばっかりです。
大国同士の核軍縮協定とか捕鯨会議とか国際舞台の折衝などもこの立場発言の最たるものの一つです。 国際政治の世界であれ村議会であれ、政治の世界は立場の対立に終始することはその特性上当然のこととも思います。
それぞれの立場で意見を述べ合って、対立する点については妥協点を見出す努力をし、妥協できない点については互いを尊重し合うという基本姿勢で議論をする以外に解決の道はないし、それ以外の方法となれば戦争し続けるか独裁かしかないでしょう。

日本人が陥りやすいと思うのは、立場の違う人は仲間ではなく、また意見の異なる人は敵である、という極端な方向に向かいやすいことです。 島国人種である日本人は、おっとりした優しさ、鷹揚さを持つ反面、こうした異質を排除したがる傾向も持ち合わせていて、場合によっては非常に危険です。

意見を戦わせあって、つかみ合い寸前までになっても議論が終わるとけろりとして普通に会話ができるというような欧米型になる必要もないと思いますが、あまりに極端な単一思考主義や立場第一主義はとても危ないと思う今日この頃です。
自分の立場での発言ばかりをしているのではなく、相手の立場になって考える事が出来るかどうか、人間の度量とはこのことに尽きるとも思えます。



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