高田渡(この人を知っている人だけどうぞ)
この人の名前を知っている人は日本に何万人くらいいるのだろう。 
今の日本には色々な意味でとても貴重な存在だと思います。 だからこそ2004年に「タカダワタル的」なんていう映画が公開されたのでもありましょう。
少し前の数年間にNHKのBS放送で「フォーク大全集」という特集が何度も放送されました。結構人気があり、今も時々やってますし、最近はどうしたわけかちょっとしたフォークブームなんだそうです。 BSでは井上陽水、長淵剛、松山千春、高田渡、なぎら健壱、加川良たちのライブを収録した番組も放送しましたね。 

最近の日本の音楽はなにしろ電車の中でのウオークマンから漏れてくるハイハットのシャカシャカ音が耳について、また(若い方の)小室ファミリーの音楽はどれがどれやらあまり区別がつかず、どうしたものかと思っていましたが、最近売れているらしい「ゆず」とか、紅白にも出て、ちょっと売れ出した「19」などをみると、うまいとか何とかではなくとにかくホッとするのです。
(この記事の初出は1999年です、2004年のギリシャ五輪のNHKのテーマ”栄光への架け橋”は「ゆず」ですし、「19」は既に解散しましたね。)

私がはじめてギターを弾いたのころ、多分「ヤングギター」または「ガッツ」もしくは「新譜ジャーナル」というギター楽譜雑誌を前において一生懸命カルメン麻紀(字が違うかも)とか森山良子とかマイク真木とか岡林信康とかの歌を弾き語りしていたものでした。  ちょっと上の世代はベンチャーズのエレキをボーイズライフを読みながらといったところでしょうか。

高田渡を初めて聞いたいきさつはもう覚えていませんが、とにかく大好きになりました。一生懸命練習すると、本人とほぼ同じフレーズのアルペジオを自分でも弾くことができたのがはまった理由かもしれません。とにかく高田渡はすべてのレコードを買いました。(そんなに多くはない)

知っている人だけが知っている名曲で「珈琲不演唱」(コーヒーブルース)がありますね。
「三条へ行かなくっちゃ三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね♪」というやつです。
高校2年で行った修学旅行は京都。フリータイムに何人かで三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へ行きました。そこにひょっこりとギターケースを抱えてヒョロリとしたお客が一人入ってきたのです。ひとりでコーヒーを飲んで暫くして帰って行きました。 あの人がかの高田渡さんであったというのは、私の心の中では完璧に真実として残っています。でももちろん恥ずかしくて声など掛けられなかったので、証拠は何もありません。でもその時一緒にいた親友とは今も時々会ってはこのことを確認しあうのです。

今ではどのフォークシンガーにとっても先輩で長老であるような風格の持ち主となり、ライブ中にはしばしば寝てしまうという、まるで昔の古今亭志ん生のような境地になりつつある高田氏。今の世の中にはぴったりとこの人の唄が合うように思うのですが、如何でしょう。
ところで、渡さんは拓郎よりも3歳、陽水よりも1歳年下なんですが、ちょっと驚きませんか?

この話が多少なりとも雰囲気わかるよ、という方にお勧めの本をご紹介します。
なぎら健壱著、ちくま文庫発行、「日本フォーク私的大全」です。
60年代から70年代の日本フォークを懐かしく思う人にとっては最高の本でしょう。
エピソードや裏話が載っているフォークシンガーは次のとおりです。 高石ともや、岡林信康、五つの赤い風船、高田渡、遠藤賢司、加川良、三上寛、遠藤哲夫、古井戸、吉田拓郎、武蔵野たんぽぽ団、RCサクセション、泉谷しげる、もんたよしのり、友川かずき、井上陽水、なぎら健壱、どうです。ぜひ一家に一冊お備えください。

フォークを懐かしく思う人、よろしければメールをください。 最後に、高田渡氏の「漣」という小品がありますが、私20代のころあれが弾けました。(レコードであれを弾いたのは本人ではなく、中川イサトさんですが)   いまはどうしても弾くことができません。一日中ギターで遊んでいたからできたんだろうな。今は高1と中2の息子達が、ゆずの「いつか」を弾き語りなどしています。 いい曲ですよね。 (2004年の今、二人の息子は大学生でございます。ふうっ)


◆◆・・・ご存知のとおり2005年4月16日未明に高田渡さんが死去されました。
その2ヶ月ほど前に私は中央線三鷹駅の近くを車で移動中に、ギターケースを抱えて歩く渡さんとすれ違いました。 思えばそんなことはしょっちゅうある事ではなく、不思議なご縁と感じています。 「ブラザー軒」の幽霊のごとく、吉祥寺あたりの飲み屋さんでそのうちひょっこりお会いできればなあと期待している私なのです。



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