近頃の若い奴ら | |||
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近頃の若いやつらには礼儀を知らない者、自分勝手な者、思いやりのない者、常識を持ち合わせない者が大変多いということを言う人がいます。 私も本当に頭に来るような場面に出くわすことがよくあります。 しかし、冒頭の「近頃の若いやつら」という表現は実際はまるで見当違いだと思います。若いやつらにも、中高年にも、壮年老年層にも、全ての年代に、職業、性別、地域を問わず、とんでもないやつらがうようよしていると私は感じます。(最近、人込みに出かけるのがとても億劫になりました。) 若い人が礼儀を知らないのでなく、今の日本の社会では礼儀を重んじるとか、人への思いやりが大切という感覚が希薄なのではないでしょうか。 少し前までは、親、先生、上司、先輩といった立場はある種の権威であり、重いものであるという(実態はさておき)暗黙の了解があったように思います。 また、社会ではお互いに常識を守るという制約を受け入れるのが当然という感覚が浸透していて、若者の不平、不満、怒り等が今よりは表に出にくい状況であったのかも知れません。 この10年ほどの社会の動き、多くの出来事は、その「重さ」がほとんどまやかし、ごまかしの類であることを多くの若者に気付かせる効果が強かったと思われます。 「私は偉い」という看板だけをぶら下げた、醜悪極まりない、内容のない権威者達への反発が表に出やすい雰囲気が蔓延してきているのではないかと思います。その傾向が、権威への反発に止まらず周囲の全てに対しても素直に向き合えない状況を生んでしまっているのかも知れません。 私は中学高校時代のクラブ活動以外には所謂体育会系に属した経験がありませんが、勤め人時代に、ある種の体育会系的上下関係の良い部分だけを味わったことがあります。 つまり非常に面倒見の良い、思いやりのある、責任感の強い尊敬すべき先輩(上司)に巡り合った時期があったのです。その人とはコンビでなくなってから17年になりますが、今も時々お付き合い頂いています。 先輩は若いやつの面倒を見る、何かあれば年長者として盾になり、責任を取る、後輩の経験のためにもできるだけやれることはやらせて、本当に困ったときには事態の修復に登場する、だから後輩はそんな先輩を尊敬し、役に立ちたいと純粋に思い、教わったことを次世代の後輩に伝えて行こうと考えるのです。 自らの地位の維持や向上のために後輩を利用する、そのために自分の権威を使うだけのつまらない人間ばかりでは、こうした良い循環はありえないでしょう。 最近の世の中、大人の世界は、そんなやつらばっかりなんじゃあないでしょうか。 子供達から遊び場所を奪い取っておきながら、テレビゲームばかりやっていると言って非難するだけの親達や、自分の立場を守るために都合の悪いことには蓋をしてしまい「すべて良い生徒ばかり」という大嘘を平気で公言して憚らない先生連中などの存在を思うと悲しい限りです。 そんな無責任体質、超利己主義、中身のない権威主義などには穢れていない若いやつらは、とっても純粋な連中であるように私は感じます。 今の大人連中に「若いやつら」呼ばわりする資格はありません。みんな、もう少しだけ、良き先輩になる努力をしませんか。 ところで「最近の若いやつら」はよく地べたに座ったりしていますが、(あれは胎児期への回帰欲求だという意見を誰かが言っていましたが、どうでしょう?)、地面に直接接触していた汚いはずのズボンのままで、電車のシートに座ったりするのだけはどうか止めてくださいね。 そんな汚れたズボンで座ってしまったキッタないシートに座るのは誰でも嫌でしょうが。ちょっとそのことを想像してくれないでしょうかねえ。 礼儀とか思いやりといったことには理屈は不要であって、ただただ「そうしたほうがお互いに気分がいいから」というものだと私は思うのですが。 (ああ、また愚痴ってしまいました)
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