戦争反対 | |||
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♪命は一つ 人生は一回 だから命を捨てないようにね あわてると ついふらふらと お国のためなどと言われるとね お国は俺たち死んだとて ずっとあとまで残りますよね 失礼しましたで終わるだけ 命のスペアはありませんよ 死んで神様といわれるよりも 生きて馬鹿だといわれましょう 青くなって尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい (加川 良 『教訓』 より) 私は政治、宗教、信条に関してはどのような組織とも関係が無く、その種類の話はホームページではご法度にしていますが、これだけは言いたいと思います。 私はどんな理由があったとしても戦争には反対です。 あきらかに敵対する者とも戦うべきでないとさえ思っています。 現実には我が身をそして我が家族を守る必要が生じた時は死ぬ気で戦うことになるとは思います。しかし、戦争には反対です。 だってそのように考えていなければ、どこかで線引きをして、それを超えた時は戦争をしても良いと決めてしまった瞬間から、戦争の理由付けが常に可能になるのです。 今までの歴史において全ての戦争は始める時には「意味があり、正義のため」だったのです。「戦争は絶対にしない」と決めてしまわない限り、戦争はなくならないと思います。 国際政治のテクニック、外交交渉の裏事情、武器の保有状況、そうしたこととは一切無関係に、何が何でも戦争には反対です。そう言い続ける人がひとりでも多くなることは必ず犠牲の軽減につながります。 自分のことを自分で守るという立派な方針に従って誰もが拳銃を保有している国では、殺人が常に頻発しています。 暴力が暴力を誘発することは実は誰でも気づいていることではないですか。 武器は無くす方向で動かなければ戦争は絶対に無くならないと思います。 誰もが拳銃を持っている国の感性が、世界の感性の中心であることなどは、どう考えても非常に危険なことだと思います。 あの国のやっていることが正しいか間違いかは別として、反対だと言い続けることの存在意義は非常に高いと信じます。 反対することがたとえ論理的に間違いだったとしても、反対だと言い続けたいと思っています。 多くの生き物は本能的に自分の敵と戦いますが、自分以外の指示に従って他と戦うのは人間だけではないでしょうか。 政治家は決して戦場には行かない職種。 どうしてもやるなら、自分で行け、と言いたい。 米国の作家でジャーナリストのピート・ハミルというひとがこう言っています。 ・・・米国の徴兵制度復活議論に賛成だ。 貧乏なものが金や生活のために志願するのではなく、金持ちでも強制的に戦争に行くようになっていれば簡単に戦争を始められなくなる。 これが戦争の本質なのだと思います。 死ぬのはどこの国でもいつの時代でも市民です。
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