ごあいさつ
どうもどういやどうも、 いつぞやはいろいろ、このたびはまた、まあまひとつ、まあひとつ、そんなわけでなにぶんよろしく、なにのほうはいづれなにしてそのせつゆっくり、いやどうも。
という高田渡さんの唄をご存知でしょうか。原詩は谷川俊太郎さんで題名は「ごあいさつ」です。

先日車を運転中のこと、対抗車線をこちらに向かっている車が右折のウインカーを点滅させて待っておりました。   私は減速してパッシングをしてその車を右折させて上げました。 その車はどうもどうもという手振りをして曲がって行きましたが、その後続の車(中型のトラックで直進)の運転手さんも、どうもどうもという手振りで私に挨拶をしてすれ違いました。  こういうのはあまりないことでちょっと意外な出来事でしたが、非常に気持ちの良い瞬間でありました。 その対向車の運転手さんはきっといい人なんだろうなあと想像しました。

車を運転する方はお分かりと思いますが、自分が直進で前の車の右折を待っている時というのは結構いらいらするし、なかなかゆずってっくれる対向車も少ないので、このような場合には確かにうれしく思うものです。  しかし、その場合に譲られた本人でなく、譲られた車の1台後ろの車の運転手としては「ありがとう」という挨拶をするのは少し照れくさいような気がして、黙って通り過ぎてしまうものです。

あいさつとかおもいやりとかいうものは、自分がそれを受け取ったときに嬉しさを実感できます。でもこちらからそれを行うことについてはついつい省略してしまったり、照れくさくてできなかったりということが往々にしてあるようです。

私が25歳位で会社員だった頃に、いつも非常に元気の良い声で挨拶の言葉を発しながら部屋に入ってくる男が居りました。 私は「こいついい年をして、子供じゃないんだから、やめとけよ、このパフォーマンス野郎」というような気持ちで見ていました。 今思うと私はなんともひねくれた嫌な男だったことか。恥ずかしい限りです。

今では私も少し大人になったので、挨拶は人間関係の基本中の基本と考えて、わが子にも常に自分から積極的に挨拶をする、大声でなくてもよいが、はっきりと挨拶をすること、呼ばれたときの返事はなるべく「ハイ」と元気にするようにと懸命に教育しています。高校生の彼らはなんとか自然に挨拶をできる人間にはなっているようです。 とくに「ありがとう」と「ごめんなさい」が必要なときに素直に言えることは人間にとって非常に大切なことと感じています。

みなさん「ごあいさつ」をお忘れなく。


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