検尿ズ・メンバ-紹介
ヤス(リーダー・ドラム担当)
もしヤスがいなかったら確実に検尿ズは存在していないだろう。
伝説のドラマー。
本人は「メガデスのようなかっこいいバンドがやりたい」
とのことで加入したが結果検尿ズのおもちゃと化していた。
しかしそこはリーダー。
伝説のライブでは
ドラムは中央・横向き・ステージは真っ暗なのになぜかドラムのみに照明があてられていた。
家に防空壕があり、幼い頃は悪い事をすると親に閉じ込められていたらしい。
唯一のオリジナル曲「ローラースケートIN防空壕」の歌詞は彼の人生そのものである。
X
JAPANのYOSHIKIとはルックス・ドラミング共に月とすっぽん。
敷いて類似点と言えば脱ぐところ(ヤスは脱がされる)くらいか。
ドラムを叩くスピードが急激に早くなったり突然遅くなったりと
素人には理解不能なドラムテクニックを毎回披露し、
「ヤスのドラムについていければプロになれる」
と皮肉を言われていた。
短気で怒るとドラムスティックを凶器とし、
ライブ中にメンバーに投げる事数回。
小・中・高と12年間に渡り検尿に毎年必ずひっかかる(蛋白)という金字塔を打ち立てる。
東大(後に東京国際大学という事が発覚)合格が話題に。
鈴木ヤスなだけに、SUZUKIのインパルスに乗りはじめたが、周囲からは鈴木イ○ポルスに乗っている
と言われる。実際はマ逆な為、毎年懲りずに検尿にひっかかる・・・・。
我らがリーダー!
もちろん検尿ひっかかり回数・12回
岡村埋蔵金(ギター担当)
検尿ズ結成のブレイン。
ギターを担当していたが、その他ステージ上の演出も彼がほとんど企画していた。
ステージ衣装はメンバー中最も手が込んでおり
あるもので済ますのではなく全て手作りであった。
ちなみにこの写真はライブの写真ではなく、厳粛な高校卒業式での写真である。
ヤスいびりの天才である。
2003年、「ちょっと本場のエンターテイメントを勉強してくるわ」と突如渡米。
年に数回帰国しては検尿ズの企画考案をしている。
検尿引っかかり回数・2回
コルボーン竹中(ボーカル・キーボード担当)
検尿ズのサウンド面を担当。
伝説のラストライブではキーボードも演奏。
検尿ズのオリジナル曲「ローラースケート・イン・防空壕」「検尿魂」「ロージンビート」「アムステルダム自害未遂常習犯のテーマ」(未発表曲)
の作詞・作曲も担当。
ヤスにライブ中ドラムスティックで殴られ、蚯蚓腫れになる。
解散後にヤスと再び「GUN教室」を結成する(1年で解散)。
再結成・デザインフェスタ参加を呼びかけた張本人。
ソロワークは検尿ズサウンドとは一転、フリッパーズ・ギター、小沢健二やカジヒデキに影響を受けたギターポップサウンド。
だが成果はあまりのボーカル力の無さが2chでひっそりと話題になる程度である。
検尿引っかかり回数2回
羽柴誠吾秀吉(ベース担当)
ディープな事が大好きでメッコール愛飲家。
キーワードはマハーポーシャ。
バファリンを一度に20錠飲んで自害を図った経験もあり。
ヤスと顔が似ている、「イラン人?」と言われる事数回。
伝説のラストライブでは司会を務める万能ぶりを発揮。
メンバー内で唯一の既婚者で2児の父。だが離婚危機で五反田の風俗狂い。
検尿引っかかり回数・4回
EX・検尿ズ
水内三郎(ギター・ボーカル担当)
検尿ズに加入したきっかけが
三郎が当時ボーカルをしていた「BEAT BOX」というバンドを「歌がヘタ」という理由で解雇され、
あいつらを見返してやろうという事から加入。
奇しくも検尿ズ伝説のラストライブではその因縁のBEAT BOXと対バンを組む事となり
ラストライブ・オープニングで「ストッキングマン」としてボーカルを取り、復讐を果たす。
自称・福山雅治似。
借金問題で大阪に高飛びしたため、今回連絡がつかず再加入は果たせなかった。
検尿引っかかり回数・1回