<岡村直昭とコルボーン竹中>

神のお告げで岡村埋蔵金とコルボーン竹中が中心となり結成。
伝説の幕開けだ。

<伝説のリーダー・ヤス加入>

2人ではバンドは成り立たないのでメンバーを探す事に。
鈴木康大こと
ヤスが最近通信販売でドラムセットを購入したとの情報を入手し、誘う。
彼は当時
デスメタル大好き野郎で(蛇足だが卒業文集の文も「デスメタルが好きだ」だったと思う。)
彼はどのバンドにも所属しておらず、快く誘いを承諾し、加入をする。が、実際彼はこういうバンドになるとは夢にも思っていなかっただろう。
今思えば一曲で何度も
スピードが大きく変わる「あの」ドラムテクニックではどのバンドももてあますであろう。

なぜリーダーなのか?その質問は愚問と言わざるを得ない。


<羽柴誠吾秀吉・氷内三郎加入>

そしてベースはコルボーンと中学の同級生であった羽柴誠吾秀吉を誘う。
彼はサブカルチャー大好きな人間で面白そうな事は大好きですぐに加入する。
今思えば割合検尿ズ内での彼のポジションは地味であったが、
単体では
ホモ専用伝言ダイヤル狂い、自害立川談志に野次を放ち「あぁ〜ん?」とすごまれる、
、AUMのパソコンショップ・
マハーポ○シャに来店など話題には事欠かない人物であった。

そして同時期、コルボーン竹中の中学の同級生であった氷内三郎(本名・秀明)が加入。
彼はBEAT BOXというバンドのボーカルを勤めていたが
歌がヘタ」という理由で解雇され、奴らを見返したい、復讐したいという邪な気持ちから検尿ズに加入。
検尿ズでは一番の高身長に加え、
自称福山雅治似の甘いルックスも検尿ズではあまり意味のないものであった。

<伝説のライブ>

高校の学園祭参加。
コルボーン竹中が書いたオリジナル曲「ローラースケートIN防空壕」で学園祭に出ることに。
この楽曲は「ヤス行為」という言葉が随所にフューチャーされており、ヤスの検尿人生(12回引っかかった)
を語っている検尿ズ最初で最後のオリジナル曲である。

そして本番。
氷内三郎は学校の関係で不参加。4人で演奏することに。

衣装は今回、全員海パン(羽柴誠吾秀吉は海パンをもっておらず、下着)。
ライブ前、メンバーも知らされていなかったのだが、
ギターの岡村埋蔵金が校内放送で「今から検尿ズのライブをやります」
と告知し、なぜかヤスの天敵であったAJAコングこと
F井さん(女)も見に来るという異常事態が起こる。
しかし
5分くらいで帰ってしまったが。

写真ではわかりづらいと思うがもちろんリーダーメインのステージなのでドラムはステージ中央・横向き・ヤスだけに照明。ボーカルは端っこ。写っていないがヤスの右にギターの岡村直昭がいる。

この頃はまだステージ構成を練って作っておらず、曲は延々と「ローラースケートIN防空壕」を30分演奏し続けるというものであった。MCで「検尿ズは全員検尿に引っかかった経験がある」という事を話し「ヤスは12回ひっかかった」という発言をするとヤスがライブ中にもかかわらず激怒。MCをしたコルボーン、岡村にスティックを投げ、全く関係のない羽柴誠吾にまでスティックで暴行を加えるという伝説を残す。

かくにも検尿ズの初ライブは伝説を残し終了した。


<ヤス、大ブレイク>

ライブで成功を収めた検尿ズを待っていたものは、ヤスを取り巻く環境の変化であった。
お世辞に学校内で目立つ存在ではなかったヤスが一日空けたとたん、
校内の人気者に。
「おーいヤスー、ここでヤス行為してみてよ」「彼女が
ダッチワ○フなんでしょ?」
などと質問攻めに合うヤス。
そのたびに
キレていたそうだが、どういう方法にせよ、検尿ズ・ヤスの知名度はうなぎ上りであった。
大学合格の際、各クラスの黒板にでかでかと「ヤス、
東大合格!!(実際は東京国際大)」
などという
ゴシップ記事が流れたという事からも、ヤスの人気度の高さがうかがえる。

<次の目標へ>

伝説のライブを終えた後、次の目標を考えていた。
練習スタジオとして借りていた都内の児童館が主催する
ライブに参加する事を目標に定めた。
日にちは3月31日。
何の因果かそこのスタジオでは三郎が解雇されたバンド「BEAT BOX」も練習をしており、ライブ参加を表明。
のちに
三郎のとむらい合戦となる。

前回、伝説のライブでは大反響であったが演奏力という点では満足いかないものであった。
そこでもう一度練習をしなおすという点でビートルズの「ツイスト&シャウト」をする事になった。

この選曲は岡村が発案。
だが、ビートルズのゆるくけだるいテンポに当時デスメタルばかり聴いていたリーダーのヤスは苦戦し、ものすごく早いビートを叩いてしまうこと数回。
メンバーから「早すぎるよ、
ヤス行為じゃないんだから」と言われ、次に叩くと今度はバラード並の遅いテンポで叩くヤス。前途多難であった。

<卒業ゲリラライブ>

その3月31日のライブとは全く別のプロジェクトも進行していた。
とある高校の卒業式終了後。ライブでの校内ジャックである。
曲はスターリンがカバーしたロックバージョンの「仰げば尊し」に決定。
ボーカルのコルボーンは当日試験があり、試験終了後急いで学校へ行き合流後校庭にてライブを行うという作戦。
当日の早朝、マイク、アンプ、ドラム、ギターを学校の校庭にある体育倉庫に隠し、コルボーンは試験へ。

この学校は制服のない学校だったので、卒業式に男子はスーツ姿がほとんどだった。
しかしギターの岡村は徹夜して作った
自作の服で卒業式ジャック(この写真)。
股間にあるツノのような物には鈴がつけられており、動いたり起立したりするたびに厳かな式の中
「チリン」という音が体育館中に響き渡った。ちなみに足にはローラースケートを履いていたが、
担任に「これは床が傷つくからやめてくれ」といわれたそうだ。これも伝説である。

そして試験から帰って来たコルボーンが合流し、校庭でのゲリラライブスタート。
だが、コルボーンの到着は予定より遅く、校内に残っているのはわずか数名だけであった。

しかしそんな事は一向に目もくれず、ひたすら「仰げば尊し」を演奏する検尿ズの3人。
ところが、事態は急変した。
担任を含め何人かの教師が苦笑いをしながらこちらにやってきて「近所から
苦情の電話が何軒か来たんだよ。お前たちの気持ちもわかるけど頼むからやめてくれないか

だが何を言われようとも3人の気持ちは変わらなかった。
そのまま無視して演奏を続け、またしても伝説を作ったのだった。