自転車、永い友          1192

自転車の変速機が壊れたので部品の事をインターネットで調べた。
変速機の製造メーカはフランスのサンプレックス>ですでに1985年に倒産していた。

現在、出回っているそのメーカの変速機は希少価値のせいか、未使用品だと50,000円前後する。

中古でも3,000円から10,000円位する。

たまたま、壊れたプーリーと同じような品物が中古品だが単品でオークションに出品されていた。

運よく落札できた。

品物が届いたので早速取り付けてみた。

このSimplexのプーリーは10T(歯車10コマ分)だ。プーリーはオフセットしていない。(厚みの中心がチェーンの位置)

久しぶりに自転車を修理することになった。この所は、パンク修理以外は自転車に手をかけてなかった。修理をしている最中に、この自転車で体験した思い出が蘇って来た。

1970年台の半ば過ぎに東京の神田に行って、体に合わせて作ってもらったものだ。当時、流行っていたランドナーというタイプだ。アルプス自転車のクイックエースと言う自転車で、輪行(りんこう―自転車を分解して列車で運ぶ)バッグとフロントバッグが付いて 10万円ほどで購入した。

私はいわゆるマニアではなかったがこの自転車は活躍した。

台湾に行った時は鉄道で最も南まで行き、そこで自転車を組み立てて最南端の岬を目指した。しかし不幸にも、私は風邪を引き最南端には友人だけが行った。熱に悩まされながら宿泊先のホテルでひとり友人の帰りを待っていた。

そのホテルで一人の台湾人の方から、「いい自転車ですね!譲ってくれませんか?」と流暢な日本語で尋ねられた。「台湾では輸入されるカンガルーと言うメーカの自転車が良いものだが、それに勝るとも劣らない。」とのことだった。自転車が無くなると旅行の目的が達成しなくなるのでお断りした。友人の自転車は買ってから何年か経ったものだったので一瞬迷ったみたいだったが、同じく二人で旅が続けられないので断念したようだった。

途中、スタミナドリンクを飲みながらも最南端の駅に戻ることができた。駅で自転車を分解するときは組み立てる時と同様、周りには人だかりが出来た。まるで有名人になったような錯覚を起したのを覚えている。

その駅から、輪行で高雄という都市に行き今度は飛行機で台北に戻ることにした。

乗った飛行機は、多分日本から譲り受けたと思われるダグラスDC−8だった。離陸すると直ぐに耳が痛くなるほど気密性が落ちていた。私は、ただでさえ飛行機が好きでなかった。オンボロ飛行機は怖かった。

その何年か後に台湾の国内線の飛行機事故で作家の向田邦子さんが亡くなった。

結婚した後は、自転車で遠くに行く機会はめっきり減った。でも、息子が生まれて小三になった時に、荒川のサイクリングロードを通って二度ほど都内に行った。さらに遠くは成田空港に行った事もあった。

多少は親子の絆(きずな)作りにこの自転車が助けになったかもしれない。

子供が成長した後は、自転車はフィットネスの器具になった。

ひとりで、休日は近場の峠や低い山を登り行った。

前のギアの変速機が壊れたあとは山登りができなくなった。

しまいには、大病を患ったので激しい運動となる坂登りが全く出来なくなった。

それでも散歩と並んで毎日の運動として坂が少ない道を選んで自転車乗りを続けている。

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大槻正哉

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