橋 Die Brücke

1955年/ドイツ作品
監督…ベルンハルト・ヴィッキ
原作…マンフレッド・グレゴール
脚本…ミヒャエル・マンスフェルト、カール=ヴィルヘルム・フィフィア


この作品を観ていちばんおどろいたことは、その映像から受ける不思議な感じでした。
白黒作品なのですがそこには確実に色彩が見えるような気がしたのです。
肉眼を通して見ているような色彩がそこに存在していました。

戦争に興じている時には必ず現れる若者たちの心に芽ばえる祖国のため自由のためという意識。
この作品の主人公たち7人の16歳の少年たちも遊びの先の戦場に出ていくように 当然のように兵営へと志願していきます。

第一次世界大戦を描いた『西部戦線異状なし』でもドイツの教師たちが戦場での 英雄をたたえ学生たちに志願し戦場へ向うことを促します。
祖国のため自由のためと理想を掲げた学生たち、同じ部隊に配属された6人の同級生たちが ひとりまたひとりと倒れていく流れを通して強烈な反戦を訴えていました。

16歳という年齢は、おとなにはなりきれず、でもこどもからも脱皮しかかっているような 時。身近な大人を毛嫌いし、理想に燃え、こども扱いをされるのも強烈に嫌う。そんな時期です。
終戦間近のドイツにおいて、軍司令部にとって何の意味もなさない橋の守備をまかされた 16歳の7人の少年兵たち。

少年たちにとってのこの戦争に参加することの意味とこの橋を守ることの意義。
どんな世の中でもひとたび戦争が起こるとたくさんの若者が犠牲になります。
戦時下では国家は正義と理想と自由を掲げて少年たちを教育していきます。
これはドイツにかぎったことではなかったと思います。

7人の少年兵達は兵営に向ってたった一日の訓練を受けただけです。でも、 彼らは一生懸命戦っていました。本当に一生懸命戦っていたのです。
砲弾に怯え、泣きじゃくりながらもこの戦争に疑問も持たずに、 指揮官から命令されたとおりに自分たちの住居と隣接する 自分たちがいつも遊んでいた橋を守るために戦っていました。
とりみだしたように退走していくトラックのベテラン兵士達や 将校を見ながらも、自分たちに出来ることを一生懸命したのです。
その結果........全身で泣きながら歩いていく少年アルバートの姿が何にもまして 反戦を訴えているように思えました。

『7月4日に生まれて』にように真向から反戦をうたい愚かさを訴える作品もあります。
そしてこの『橋』のように無言のまま反戦を訴える作品もあります。
この作品は戦後10年しかたっていない敗戦国ドイツが描いた反戦映画です。

最初に書いた白黒作品の中の色彩は、この作品を演じた少年たち、作り手の人たち から発せられた色彩だったのかもしれません。

作品の中に出てくる7人の16歳の少年たち

ユルゲン・ボルヒェルト
 代々軍人の家庭で地主の息子です。戦死した父親は少佐で未亡人の母親はとてもしっかり した女性できりもりをしています。ユルゲンは母親の誇りとなるべく、父親を尊敬し 立派な軍人になり功績をのこすことを理想として士官になることを目指しています。 退却してきた兵士たち、うろたえ気味の勲章をつけた上官を見た時に彼の心に映ったのは 何だったでしょうか。理想とすることの現実を見たことで橋を守ることに意義をみつけたのかもしれません。

ジギー・ベルンハルト
 洗濯屋を営む母親とふたり暮らし。過保護とも思える母親の元から一人前の人間として 認められたがっている。7人の中では身体も小さく弱い存在。敵機にあった時にずっとに伏せ つづけていたことを、からかわれたことが彼の弱虫と思われたくない気持ちに勇気をもたせたの ですが......

カール・ホルバー
 理髪店を営む父親とふたりくらしで、理容師の女性に恋心をいだいていました。 その女性と父親の関係を知ってしまったことから女性に不審感や不快感を感じ家を飛びだします。 子ども扱いをされたことに深く傷ついていたのだと思います。米軍の兵士が子どもとは戦わないと 言ってきたとき、英語を学んでいたはずなのに、この状況下では米軍兵士の言うことを把握する ことが出来ずに「kindergarten」という言葉だけが耳をつき、頭に血が上り攻撃をします。

ヴァルター・フォルスト
 ナチの地区指導者の息子、秘書と関係をもち母親を疎開させた父親に嫌悪感をもっています。

クラウス・ハーガー
 クラスでたったひとりの女子学生と仲が良く、お互いに恋心をいだいているものの不完全燃焼の まま入隊します。

アルバート・ムッツはベルリンから疎開してきているハンス・ショルテンと同居しています。  ハンスはアルバートの母親から息子のことを守ってくれるようにたのまれます。そして自分自身 のことも守るようにと。仲の良い二人は常に行動を供にしていきます。

時代や国は違っても彼らの気持ちがとてもわかりました。
何故、彼らが戦ったのか、何故、橋を守ったのかを考える時、この作品からの メッセージを受け取ったような気持ちになりました。


この作品はHawkeyeさんのご好意で観ることができました。
ありがとうございました。
Hawkeye大尉の野戦病院


ジョニーは戦場へ行った
 ―JOHNNY GOT HIS GUN―

1971年米作品
監督・原作・脚本…ダルトン・トランボ
CAST
ティモシー・ボトムズ、キャシー・フィールズ、ドナルド・サザーランド、ダイアン・バーン

この作品を公開時に観たという母の話を聞き 原作を読んだのは1年以上前のことでした。

ダルトン・トランボが第一次大戦で負傷した実在の人物の話しにヒントを得て 小説「JOHNNY GOT HIS GUN ジョニーは銃をとった」を書いたのは1939年 第二次大戦が始まった年だといいます。

この反戦を訴える衝撃的な小説をダルトン・トランボは自ら脚本を書き監督したのは 1971年ベトナム戦争のさなかです。

第二次大戦の始まりに何を思いこの小説を書いたのか、そしてベトナム戦争に 何を見てこの作品を撮ることにしたのかなどを考えるとこの作品のもつ重さが この題材の持つ重さ以上に伝わってくるような気がします。

ここにも戦争に行くことを自ら志願し悲劇にあう青年の姿があります。
手足や耳や目、言葉を失って、感覚も意識もないものとして医療の名のもとに 放置されたジョニーが暗闇の中で思う数々の回想シーンと、現実に流れていく 時間の中で光や温度、世話をしてくれる看護婦から得る過去の回想ではない現実の 生きている自分を意識していく様子が描かれていきます。

いつの世でも戦争で負傷し不自由を背負う若者たちがいます。
未来を夢見て耀いていた世界を失い、身体の自由を失ったばかりではなく、戦争では心の中にも 大きな傷を負うのだと思います。

このジョニーが経験したことは絶望的な身体の損傷はもちろんですが、意識や感覚があるのに その伝達方法がなかったために無いものとして扱われた心の傷の大きさなのではないかなと思います。
そのメッセージを通して強く重く反戦を訴えてくるような気がしました。
ジョニー回想シーンで恋の想い出の他に印象にのこったのは父と息子の関係です。
ジョニーの父親と父親が大事にしていた釣り竿と その釣り竿をなくしてしまったジョニーと、父と息子の話しです。

原作には出てきませんでしたが
ジーザス・クライストを演じたドナルド・サザーランドがとても印象的でした。


この作品はシューテツさんのご好意で観ることができました。
ありがとうございました。
KUMONOS


ダンケルク ―WEEK-END À ZUYDCOOTE―

1964年 仏作品
監督…アンリ・ヴェルヌイユ
原作…ロバート・メルル
脚本…フランソワ・ボワイエ
CAST
ジャン・ポール・ベルモンド、フランソワ・ペリエ、カトリーヌ・スパーク
ロバート・メルルの小説『ズイドコートの週末』の映画化作品です。

ここで歴史のお勉強を........
(注)これはわたしのお勉強のノートなのでツッコミ禁止!(笑)
 資料が不十分なので間違いも多いかと思います。好意の間違い訂正や補足は 大歓迎です。

映画と関係あるのかといえば、作品の中にこの歴史をうかがわせるセリフや場面が たくさん出てくるのですね。

この作品の舞台は1940年6月..........第二次世界大戦が始まってからてから 9カ月後のイギリス海峡に面したフランスの海岸線に位置するまちダンケルクです。

ドイツのアドルフ・ヒトラー総統は1938年から1939年3月15日までにオーストリア、 チェコスロバキアを併合してポーランドにも圧力をかけます。
でもこのポーランドは英仏と相互支援条約を結んでいたのでなかなかドイツに 屈服しないのですね。

そこでドイツ軍は9月1日、軍事力行使でポーランドに侵攻します。
これを受けて9月3日にイギリス、フランスがおまけにオーストラリア、 ニュージーランドもドイツに宣戦布告をして第二次世界大戦の序章となるのですね。

そしてポーランドは......といえばドイツ軍ばかりかドイツ軍と不可侵条約を結んでいた ソ連軍にも9月17日に東側から侵攻されたった2週間で崩壊、9月27日にワルシャワは 陥落してしまいました。
どうしてそんなに早く陥落したのかというと、英仏はドイツに宣戦布告はしたものの 英仏-ドイツの間には戦闘はおこらなかったらしいのですね。
ドイツ軍がポーランドを攻めているとき何故、背後のフランス国境から攻撃を かけなかったのでしょう(これ不思議)
その後も国境線をはさんでにらみ合いを続けていくのです。

ドイツ軍といえば装甲部隊とUボートを思い浮かべますが、英仏軍とドイツ軍の 戦いというとイギリス本土からの輸送船が大切な役目をおっているのですが、 これを妨害する強敵が大西洋に潜んでいるUボートだったのですね。 もうしばらくはUボートも快進撃が続くのです。

この英仏軍とドイツ軍のにらみ合いに終止符を打ったのが1940年4月9日の ドイツ軍のノルウェーへの侵攻です。4月15日にオスロは陥落しますが、英海軍の 活躍によりドイツ軍が長い海岸線を制圧するのには6月までかかります。

ダンケルクの映画の中でもマイヤ(ジャン・ポール・ベルモンド)と 英軍大尉との話しの中でノルウェーのことが出てきます。

そしていよいよ映画『ダンケルク』の舞台ドイツ軍のフランス侵攻へと進んでいきます。

この時期、ドイツ軍はエーリッヒ・フォン・マンシュタイン大将の立案のもとに フランスを侵攻するために5月10日からSichelschnitt作戦に入っていました。

5月10日作戦が開始されるとオランダはたちまち降伏してしまいます。
英仏軍はドイツ軍にそなえてマジノ線からベルギー国境沿いに配備しますが ドイツ軍はその裏をかいてベルギー南方のアルデンヌの森をぬけて配備の手薄な セダン方面に進撃します。
5月14日にミューズ川を突破してフランス領内に進入した あとのドイツ軍の進撃はすさまじく、英仏軍は5月20日には海岸線ダンケルクに包囲 されてしまいます。

5月27日にはカレーも陥落してしまい、英仏軍は5月26日から6月2日にかけて ダンケルクから船で英本土への撤退(Dynamo作戦)をはじめます。
これはイギリス海峡に駆逐艦や商船を約600隻を集め兵員を満載してダンケルクと イギリス本土を往復して30万人の英仏軍兵士を英本土に撤退させました。

これが映画『ダンケルク』1940年6月2日の舞台裏ですね。

さて、映画『ダンケルク』ですが、フランス軍とイギリス軍の対比がユーモアを 運びますが、当然ながら戦争というものはたくさんの悲劇を含んでいることや 生と死とが隣り合わせに存在していることを伝えてきます。

『パリの確率』の予告を観て(本編も観たいものです) 「パパァ....」というジャン・ポール・ベルモンドが印象的でしたが、この作品の ジャン・ポール・ベルモンドはひょうひょうとした中にも戦争というものに 対する哀しみのようなものを訴えてきて印象的でした。

仏軍の兵士たちにとってフランス本土を離れるということは祖国を追われるという ことです。同じ作戦の上に立っていても英仏の兵士たちの心のありかたは 全く違ったことでしょう。

ダンケルクから英軍と仏軍主力部隊がイギリス本土に撤退したことによってドイツ軍は 6月5日からフランス本土での南進を続けフランスは6月10日にパリの無防備都市を宣言。 6月14日にはパリは陥落し6月22日にフランスはドイツに降伏します。

1944年6月のノルマンディ上陸後のパリ解放までフランスが祖国を取り戻すまでには 長い時間とたくさんの犠牲がありました。

『ダンケルク』は人間模様を通してその序章をぎゅうっとつめたような作品です。

フランス人のワインとコーヒー、強い酒と煙草とハンコ好き(?)
イギリス人の紅茶とお茶の時間、ジョーク好き(?)
これらはポイント(笑)

楽しくも哀しい作品でした。



2001.1.9
ADU


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