エル・スール ―南―
―EL SUR―
1983年/スペイン作品
監督・脚本…ビクトル・エリセ
原作…アデライダ・ガルシア・モラレス
CAST
オメロ・アントヌッティ
ソンソレス・アラングーレン
イシアル・ポリャイン
ロラ・カルドナ
ラファエラ・アパリシオ
オーロール・クレマン
エリセ監督の夫人アデライダ・ガルシア・モラレスの書いた同名短編小説の映画化作品です。
この小説は映画『エル・スール ―南―』で描かれたスペインの北バスク自治区を舞台にした話のあとに父親の故郷を訪ねた南を舞台にした話が続いていたそうです。
映画化も当初は南も描かれることになっていて『ミツバチのささやき』で父親役を演じたフェルナンド・フェルナン・ゴメスも出演することになっていたそうです。
何故、前半部分の北だけになってしまったのかはわかりませんが、父親の死に面して父親の想い出をたぐりながら自分自身の心を見つめるエストレリャの心の旅がわかるような作品でした。
エストレリャは、何故父親が死を選んだのかをさぐるように自分の記憶の中で父親の面影を追って心の旅をはじめます。
1957年父の死を知った15歳のエストレリャの記憶は8歳のころまでさかぼのっていきます。
この作品のキーワードになっているのも『ミツバチのささやき』と同じようにスペイン内戦による別離と秘密の存在なのかなと感じました。
8歳のエストレリャが感じた父親の秘密と15歳のエストレリャが感じている父親の秘密は同じでありながらまったく異質なものです。
愛らしく純粋な少女たちを描いた『ミツバチのささやき』に比べて、同じく少女を描いたものでもこの作品は父親にとっては嫌な作品かもしれません。
こどもの頃の女の子にとって父親というのは余程のことがないかぎり、自分の世界の大半をしめる存在でありどんな愛にもまさる存在なのだと思います。
わたしも幼い頃は父親っ子でした。
8歳のエストレリャにとってもそれはとても大切な世界だったのだと思います。
でも、だれでも成長していろいろなことが分かってくると少しずつその父親という言葉のもつカリスマ的なものは消えていってしまいます。
エストレリャが知った父親の秘密は母親以外に心をしめる人の存在。
当初、8歳のエストレリャにとってそれを知ったことは父親の秘密を共有できたような気持ちにもなります。
でも、ある日父親の秘密の陰に自分の知らない顔をした父親の姿を発見します。
心をしめる女性の出ている映画を観終えて映画館を出てきた父、カフェで手紙を書いている父を見つけた時、自分の知らない父親の姿を見てしまったのでしょう。
そんな時の寂しさや不安さが感じられるような気がしました。
15歳のエストレリャが、ずっと聞きたかったときりだした秘密が秘密でなくなる時。
自分が父親が想う人の存在を8歳の時に知ったと自分の心の秘密を話すのと、心の中にしまっていた秘密を娘に知られていたことを知った父親。
このふたつの秘密も同じことをさしていながら全く違う秘密です。
エストレリャにとってはずっと心のわだかまりになっていたことであっても過去のことなのでさほど重要なことではないことだったのかもしれません。
でも、父親にとっては違ったのです。
思いのほか動揺する父親に戸惑いも感じます。
「パパがわからない」という娘に父親は「それでは、こんなに小さいころはわかっていたのか」と問います。「比べられないわ」とエストレリャは言いますが.........こんなに小さい頃は、すべてを知っていると思っていた世界の中にいたのです。
裏も表もなく自分の目に見える父親の姿が父親のすべてだったのです。
エストレリャの初聖体拝受の日に娘と一緒に踊った「エン・エル・ムンド」を聴きながら父親はどんな寂しい気持ちを持ったのか......
こうして父と娘の物語はおわりをつげます。
エストレリャは父の生まれ育った南、父が想いをはせていた女の人が住む南へ旅立つところで終わります。
この作品は終始、エストレリャの観た世界、感じたこと、考えで話が進んでいきます。
8歳のエストレリャに映ったおとなの世界と自分の感じたこと、15歳のエストレリャに映った大人の世界と自分の感じたこと。
おとなの目線が入らない純粋で我儘で残酷な世界を感じることができると思います。
8歳のエストレリャは15歳になって幼い少女のころから少し大人にはなったけど、まだおとなにはなりきれない年なのだと思います。
少しおとなになったつもりで、父親に打ち明けた知っていた秘密の存在を口にすることが、父親にとってどれほど残酷なことかは感じていなかったのです。
このあとエストレリャが少しずつ成長して何を知っていったのか、父親に死を選ばせたのは何だったのか.........このあとのことが知りたいような、ここで終わって良かったような不思議な気持ちになります。
2001.1.14
ADU
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