ストレイト・ストーリー

ストレイト・ストーリー
 ―the Strsight Story―



1999年 米作品
監督…デイヴィッド・リンチ
脚本…ピエール・エデルマン、メアリー・スウィーニー


人間だれでも年齢を重ねると頑固になる。

この頑固さというのは、我を通すとか気難しいとか融通がきかないとか物分かりが悪いなどというものとはちょっと違う。
自分の過ごしてきた人生への愛着や自分の重ねてきた年齢へのこだわり自分の生きてきたことへの信念みたいなもののような気がします。

わたしの家には祖母がいて以前は曽祖母もいました。
父方の実家が歴史のあるお寺ということもあって、いつもお年寄りがたくさん集っています。
地域に農家も多いせいか日常の生活の中にも老人人口は多いようなきがします。

面倒見がよくて柔和な人たちでも、かならず頑固な一面を持ちあわせています。
人の話を聞きながらも絶対に曲げないこだわりの一面を持ちあわせているのです。
長い時間とともに自分を支えてきた信念を曲げるには自尊心もあるし、自分を変えるには年をとりすぎてしまったという気持ちもあるのかもしれません。
失敗や後悔があっても、何より自分の過ごしてきた人生を愛しているのだと思います。

彼らの顔に手に刻まれた皺の一本一本がその人の生きてきた証なのだと思います。

昨年、念願かなって観にいったキューバの93歳のギタリスト、コンパイ・セグンドのコンサート、ブエナビスタ・ソシアルクラブの面々のコンサート、彼らの頑固さはそれはとても気持ちの良いものでした。
自分たちの人生を愛し、一生懸命、自分たちの音楽を伝えてくる、そんな姿に感動をおぼえたのだと思います。

誰にでも、幼い頃、若い頃があって重ねてきた時間がある。わたしなどの何倍もの時間を過ごしてきた彼らの人生のうえにあった喜怒哀楽、苦悩をこえてきた姿を愛さずにはいられないと思います。

突然倒れ、体調もかんばしくなく、二本の杖をつかなければ歩けないようになってしまった時に、10年前の仲違い以来一度も逢っていない兄が倒れたという知らせを受けます。

ずっと仲の良い兄弟だったのに、仲違いがあってそれ以来逢っていない兄。
自分も兄も年をとった。
自分の健康に自信がなくなって、先を考えた時に人は何を思うのでしょう。
やりのこしてしまったことに思いを馳せるのではないでしょうか。
このまま終わらせてしまいたくないことを思うのではないでしょうか。

年を重ねると、ことのほかあやまるという行為は苦手になるようです。
心の中で思っていても、人の前で表現するのは難しくなってしまっているのかもしれません。

しかも、10年もたってしまっているのです。
10年もかたくなに守ってきた自尊心を捨てなくてはいけない時。
自分のことをきっと一番わかってくれるはずの兄に自分の気持ちを伝えるためにはどうしたら良いのだろうか。今度は仲違いはしたくない。
この10年間をきちんと昇華させて、そして幼い頃のように一緒に星空を眺めたいという想い。
この想いは出来る出来ない、大きい小さいを別にして、お年寄りの人、病に倒れた人みんなが思う想いなのではないでしょうか。

自分の回りをみても、そういう姿に出あうことがよくあります。

この話しの主人公は、兄のもとへトラクターでひたすら旅を続けるアルヴィンおじいちゃん(リチャード・ファーンズワース)。
そして、最後まで映像には現れないけど、アルヴィンおじいちゃんの想いをひっぱりつづける兄ライル(ハリー・ディーン・スタントン)のかげ。
アルヴィンおじいちゃんと共に旅をつづけながら、こうまでして仲直りをしたいと思っている兄ライルのことも考えている自分に気付きます。

こうしてアルヴィンおじいちゃんの選んだ道は、時速8kmのトラクターで560kmの道のりを長い時間をかけて自分の力で兄に逢いに行くということ(もし、足腰が丈夫だったら歩いて行っていたかも)。

話相手もなくたんたんと続く農村地帯を通り過ぎていく時間、星空を眺めながらひとりで眠りにつくとき、たくさんのことを想い出し、たくさんのことを考えたでしょう。
アルヴィンおじいちゃんには兄に逢って仲直りをしたいという気持ちとともに、たくさんのことを想い考える時間も必要だったのだと思います。

兄と仲直りするための旅であると同時に、残り少なくなった自分の人生と向いあう心の旅。

アメリカのこの年代の老人たちの心の傷となって残っている出来事。
トラクターの修理のために滞在した町で、別の老人と話したこと。
戦後50周年の時や、『プライベートライアン』の公開時に、噴き出したかのように語られた老人たちの想い。
戦争中、心に残され、どうしても忘れることの出来ない、そしてなかなか口に出していうことの出来ない傷跡の数々。

まさにアルヴィンおじいちゃんたちの年齢の老人たちが経験した出来事。
もう一人の老人がポソリと話はじめた、ドイツ軍の奇襲による空爆に遭遇した時の話、たくさんの仲間を目の前で亡くした話。
同じヨーロッパ戦線で終戦末期に戦った老人の話。

一緒に戦い死んでいった仲間はみんな若いままの姿で、自分たち生き残ったものたちは彼らの残した人生の分までも生きている。
人生を重ねて、楽しいことに出会った時、同じ場所にいて生死をわけたものたちのことも思うのかもしれません。

アルヴィンおじいちゃんも最初はためらうように、話はじめる。
悪夢にうなされた夜もあったかもしれない。
終戦末期になるとドイツ軍には少年兵もいたことを話始める。(終戦末期のドイツ兵の中には本当に少年兵や老兵も多かった)。
アルヴィンおじいちゃんが、このことを話すのはきっと、これがはじめてだったのかもしれない。
心の中で大きく重く忘れたくても忘れられない記憶。
話したことを分かってくれる人間を見つけて、話す機会にめぐりあって話しはじめる。
ためらいながらも、しかたがなかったことなんだと言い聞かせるように話し始める。
仲間の背の小さい偵察兵の話し。彼はドイツ軍陣地からこちらへ近づいてきていたこと。狙撃兵だった自分が撃った相手の話し........。
口に出すのも辛い、たったひとり心にしまっておくのも辛かった話し......。
だまって、うなずくもうひとりの老人。

不条理の中で起きてしまった忘れたくても忘れられない出来事。

自転車レースのキャンプ場で話した「若いときのことを覚えていること」の中のひとつだったのかもしれません。

若さにまかせて走って若いときには見えなかったことでも、年を重ねていくと見えるようになっていく。そして、一度見えてしまったことはいつまでも心の中で良くも悪くも残ってしまうのかもしれません。

その残ったものと、どうつきあっていくのかを自分自身の中できちんと考えていけることが、良い年のとりかたにつながっていくのかもしれません。

アルヴィンおじいちゃんが、だれよりも自分をわかってくれると信じていた兄。自分の前に現れた足腰の悪い弟とくたびれ果てたトラクター。

真綿でくるんだように、柔らかさや美しさをもった言葉や行動のまやかしの多い世の中で、本当に伝えたいことを、わかってもらうために必要な心に触れたような気がしました。

人生って、長ければ、長いほど楽しいことよりも、心の奥にしまいこんで自分の中で耐えているものの数が増えるのではないかなって思います。

この作品はアルヴィン・ストレイト氏の実話をもとに作られています。でも、この話はアルヴィン・ストレイト氏が自ら語ったものではありません。
兄に逢いに行く道のりの中で出会った人々、そしてアルヴィン・ストレイト氏の身近にいる人たちから語られた話です。

作品を通じてアルヴィン・ストレイト氏が考えたことが、ほとんどないことに気がつきました。

この作品は実際にあったこと、人々がアルヴィン・ストレイト氏から受け取った言葉をもとに、観る人たちにアルヴィン・ストレイト氏が考えたであろうことや、彼の心の中を想像させ、そして観る人はそれぞれ自分の心の旅におきかえることができる。
そんな作品のような気がしました。

96年に他界したアルヴィン・ストレイト氏、昨年他界したリチャード・ファーンズワース氏のご冥福をお祈りします。


少しとろいということを理由に子どもたちと引き離されてしまったアルヴィンおじいちゃんの末娘ローズ(シシー・スペイセク)。年老いた父親の面倒を一生懸命みている様子や子どもに想いを馳せている姿に触れたとき、最近、起きている子どもに対する虐待の数々を考えられずにはいられません。
ローズから子どもを取り上げるのに、どうして虐待を平気でする親のもとに子どもをおいておくのか。
どんな時でも小さな子どもたちは親を愛しているのに、愛を利用されて殺されていく子どもたちは、どうすれば救われるのでしょう。


2001.2.4
ADU


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