二十日鼠と人間
 ―Of Mice and Men―



監督…ゲイリー・シニーズ
原作…スタインベック『ハツカネズミと人間』
ゲイリー・シニーズ、ジョン・マルコヴィッチ、シェリリン・フェン
レイ・ウォルストン、ケーシー・シーマズコ、ジョー・モートン

『二十日鼠と人間』は以前から原作と共にとても興味を惹かれていた作品でした。
原作と読み比べてみたとき、この映画はとても原作に忠実に描かれていてしかも登場人物が本の中で動き出しそうなほどにその人物を表現していることに驚ろきます。
やっぱりゲイリー・シニーズ、ジョン・マルコヴィッチは凄いですね。そして、他の脇役陣も凄く良い。

とても地味な作品で淡々と進んでいき衝撃的な結末を迎えるのですが、この時代の社会の闇の部分や人間のありかたをとても感じられました。この作品はわたしにとってしまっておきたい一本になりました。

舞台となっているソルダードは原作者スタイン・ベックが生まれ育ったサリーナスから川を25マイルほどさかのぼったところにあります。
時代は1930年代不況の中、家や家族を持たずに農園を渡り歩いて働く農夫たちが多かった時代。月に50ドルの賃金で寝床と食事を得ます。金を貯めて自分の土地を持ち家族を持つ夢を見ながらも報酬を得たあとは人恋しくなり、町に遊びに行ってしまう。

この作品の主人公はジョージ(ゲイリー・シニーズ)とレニー(ジョン・マルコヴィッチ)という、いつも一緒に農場を渡りあるいている二人組。このように、家族もなく農場を渡り歩いている農夫たちは誰かと一緒に歩くということはめずらしいことだそうです。混沌とした時代の中でそれほど信じあえる友とめぐりあうことが難しかったのでしょうね。

このジョージは小男で機敏で頭がきれるひとりでうまく生きていけそうなタイプ。レニーはかなり頭の弱い怪力の大男、純真無垢な心をもっていてジョージを心から信頼していて彼なしでは生きていくことも困難な様子。

ちょっと見はレニーのおばさんを知っていたジョージが、レニーを見捨てることができずにいつも貧乏クジをひきながら面倒を見ているようにみえる。たしかにそうなのだけど、レニーがジョージを必要としているのと同様に、もしかしたらそれ以上にジョージにはレニーと一緒に行動して同じ夢を見ながら、語ることが大切だったのかもしれない。

この話は、二人がソルダードに着いた木曜日の夕方から日曜日の夕方まで、四日間の出来事なのですが、映画の方はもう少し長い期間かなとも思われました。(でも、四日間なのかもしれません)

『サイダーハウスルール』のように農場で働く者たちが共同で寝泊まりする場所。そこで起きる数々の出来事は社会の闇と人間のありかたを伝えています。

黒人への激しい差別もあります。原作の中で彼は、差別を受けている中で、仲間がだれもいないと気が変になってしまう。あまりさびしくなると病気になってしまうということを言います。これは差別とはあまり関係のなくなった現在でもみんなが感じていることなのではないかなと思いました。特に今の世の中ってさびしい人が多いのかもしれない。だから群れるのかな

老犬を飼っている、農作業中のケガで片腕を無くした老人。老犬を始末しなければならなくなって仲間が撃ち殺したけど、あとで老人は後悔します。自分で撃てばよかったと。老いぼれて働けなくなった時の自分と老犬をだぶらせて見る姿は、誰もが老いを感じて生きることと死んでいくこと、死ぬこともかなわず行き場を失うことなどを考え夢を見ることを望む姿。

ジョージとレニーの深く結ばれた友情というより愛情と言ったほうがふさわしい姿に胸うたれ、起こるべきして起きた結末に胸が震えました。




John Steinbeck
(ジョン・スタインベック)

1902年2月27日米国カリフォルニア州サリーナスの生まれ。
本名ジョン・アーンスト・スタインベック、父は郡役所の収入役、母は小学校の教師、姉が2人、妹が1人。
父方の祖父はドイツ北ライン地方出身でアメリカに移住しその後カリフォルニアに移りサリーナスに定住し製粉工場を経営する。
母方の祖父は北アイルランドからカリフォルニアに移住し農業を営みます。

1915年サリーナス・ハイスクールに入学しスポーツ選手として活躍したり、学内誌「エル・ギャビラン」に短編小説や詩を寄稿。

1920年 18歳 スタンフォード大学に入学、英文学専攻するが主に海洋生物学を学んだ。

1925年大学を退学し、作家を志してニューヨークに移り住みますがいくつかの短編は出版社に受け入れられずカリフォルニアに戻り執筆を続けます。

1929年8月処女作である長編伝記小説『黄金の杯』(Cup of Gold)を出版。

1930年1月14日 キャロル・ヘニングと結婚。 モンテレーの缶詰横町に太平洋生物実験所を開設していた生物学者エドワード・リケッツと親交を結ぶ。

1932年10月連作短編集『天の牧場』(The Pastures of Heaven)を出版。

1933年9月 31歳 『知られざる神に』(To A God Unknown)を出版。

商業雑誌「ノース・アメリカン・レヴュー」誌に短編『赤い小馬』『大連峰』を発表。

1934年4月 「ノース・アメリカン・レヴュー」誌に『殺人』を発表しO・ヘンリー賞を受賞。

1935年5月『トティーヤ平』(Tortilla Flat)を出版。

1936年1月 『勝敗の分からぬ戦』(In Dubious Battle)を出版。小冊子『世に法外なことなし』『聖処女ケイティ』を出版。

1937年2月 『二十日鼠と人間』(Of Mice and Men)を出版。7万5000部を売上げベスト・セラーになる。 8月 『二十日鼠と人間』の戯曲化が完成。11月戯曲「二十日鼠と人間」を上演。『赤い小馬』(The Red Pony)を出版。

オクラホマの農民とカリフォルニアで労働をともにし『怒りの葡萄』の母体的体験をする。

1938年短編集『長い谷間』(The Long Valley)を出版。パンフレット『彼らの血は強い』(Their Blood is Strong)を出版。

6月 『レタスバーグ事件』が完成するが出版せず改作を続け年末 に『レタスバーグ事件』を『怒りの葡萄』と改題し完成。

題名は米の女流詩人ジュリア・ウォード・ハウの『共和国の戦いの歌』(1862)からとったそうです。

1939年4月長編小説『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath)を出版。初版が50万部以上を売り上げる。

1940年『怒りの葡萄』が、ピューリッツァー賞、アメリカ・ブックセラーズ賞はじめ多数の賞を受賞。

1941年12月『コルテスの海』(The Sea of Cortez)を出版。 これは友人の生物学者エドワード・リケッツと行った海洋生物採取の記録です。

1942年3月『月は沈みぬ』(The Moon is Down)を出版。 11月 『爆弾投下』(Bombs Away)を出版。妻キャロル・ヘニングと離婚。

1943年3月女優グウィン・ヴァードンと結婚、ニューヨークに引っ越す。

1944年アルフレッド・ヒッチコックの映画『救助艇』(Lifeboat) のシナリオを書く。 12月 『缶詰横町』(Cannery Row)を出版。

1947年2月『気まぐれバス』(The Wayward Bus)を出版。 8〜9月 カメラマンのロバート・キャパと共にソ連に旅行する。12月 『真珠』(The Pearl)を出版。

1948年4月 『ロシア紀行』(A Russian Journal)を出版。5月 エドワード・リケッツが自動車事故で死亡。 8月 妻グウィン・ヴァードンと離婚。

1950年11月『爛々と燃える』(Burning Bright)を出版。12月エレーン・スコットと結婚。

1951年9月 『コルテスの海の航海日誌』(The Log from the Sea of Cortez)を出版。

1952年9月パスカル・コヴィチに捧げられた長編小説『エデンの東』(East of Eden)を出版。

1954年6月『たのしい木曜日』(Sweet Thursday)を出版。

1957年4月中編小説『ピピン四世の短い治世』(The Short Reign of Pippin IV)を出版。 9月 第二十九回国際ペン大会出席のため来日。

1961年4月 『われらが不満の冬』(The Winter of Discontent)を出版。

1962年7月 旅行記『チャーリーとの旅』(Travels With Charley)を出版。 チャーリーとは愛犬のプードルの名前で1960年秋に一緒に旅行したときの旅行記。 12月 『われらが不満の冬』が契機となって、ノーベル文学賞を受賞。

1965年12月「ニューズデー」紙特派員としてヨーロッパ・中近東を旅行し、通信『アリシアへの手紙』を同紙に連載。

1966年7月ソ連の詩人エフゲニー・エフトシェンコが「リテラトゥールナヤ・ガゼッタ」に詩を発表し、 米軍の北ベトナム爆撃の暴虐を、『怒りの葡萄』の作者であるスタインベックが黙視していることについての責任を追及をうける。 7月 「ニューズデー」紙上でエフトシェンコに反論。10月 『アメリカとアメリカ人』(America and Americans)を出版。

12月 南ベトナムの前線を視察した現地報告は『アリシアへの手紙』として「ニューズデー」紙に掲載され、 同紙を通じて世界の各紙に転載される。日本では毎日新聞が『ベトナムからの手紙』という題で訳載。

1967年1月ソ連の青年共産同盟機関紙「ゴムソモールスカヤ・プラウダ」が、 ベトナム前線視察のスタインベックの行動を「戦争殺人の共犯者」と非難した記事に反論して、 「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙に公開状を発表。

1968年12月20日 ニューヨーク市で心臓マヒのため死去66歳。

1969年 『ある小説の日誌』(Journal of a Novel)が出版。これは『エデンの東』執筆当時、 パスカル・コヴィッチから与えられた大型ノートブックの左ページに、書かれていた随想。

参考…『エデンの東 下』早川書房 MBN:MJ00049807、スタインベック年表などより





映画化(TVを含む)されたスタインベック作品

二十日鼠と人間 ―Of Mice and Men― 1992年米作品
原作「ハツカネズミと人間」
監督…ゲイリー・シニーズ
ゲイリー・シニーズ、ジョン・マルコヴィッチ、シェリリン・フェン
レイ・ウォルストン、ケーシー・シーマズコ、ジョー・モートン

The Grapes of Wrath 1991年TV作品
原作「怒りの葡萄」

The Winter of Our Discontent 1983年TV
原作「われらが不満の冬」
監督…ウォリス・ハッサン

キャナリー・ロウ―缶詰横町 ―Cannery Row― 1982年
原作「缶詰横町」
監督…デーヴィッド・S・ワード
ニック・ノルティ、デブラ・ウィンガー

Of Mice and Men 1981年TV
原作「ハツカネズミと人間」
監督:レザ・バディヴィ

East of Eden 1981年TV
原作「エデンの東」

The Red Pony 1973年TV
原作「赤い小馬」
監督…ロバート・トッテン
ヘンリー・フォンダ

Topoli 1972年(イラン)
原作「ハツカネズミと人間」
監督…レザ・ミルローイ

Des souris et des hommes 1971年TV

The Harness 1971年TV

Burning Bright 1959年TV
原作「爛々と燃える」

気まぐれバス ―The Wayward Bus― 1957年
原作「気まぐれバス」
監督…ヴィクトル・ヴィカス

エデンの東 ―East of Eden― 1955年米作品
原作「エデンの東」
監督…エリア・カザン
ジェームス・ディーン、ジュリー・ハリス、レイモンド・マッセー
ジョー・ヴァン・フリート、リチャード・ダヴァロス

Viva Zapata! 1952年

赤い子馬 ―The Red Pony― 1949年
原作「赤い小馬」
監督…ルイス・マイルストン
ロバート・ミッチャム、マーナ・ロイ、ピーター・マイルズ

La Perla 1947年
原作「真珠」
監督…エミリオ・フェルナンデス

A Medal for Benny 1945年

救命艇 ―Lifeboat― 1944年
原作「救助艇」
監督…アルフレッド・ヒッチコック
タルラ・バンクヘッド、ウィリアム・ベンデックス
ウォルター・スレザク、メアリー・アンダーソン

The Moon Is Down 1943年
原作「月は沈みぬ」
監督…アーヴィング・ピッケル

Tortilla Flat 1942年
原作「おけら部落」
監督…ヴィクター・フレミング

The Forgotten Village 1941年

怒りの葡萄 ―The Grapes of Wrath― 1940年米作品
原作「怒りのぶどう」
監督…ジョン・フォード
ヘンリー・フォンダ、ジェーン・ダーウェル、ジョン・キャラダイン
チャーリー・グレープウィン、ドリス・ボーデン、ラッセル・シンプソン

廿日鼠と人間 ―Of Mice and Men― 1939年
原作「ハツカネズミと人間」
監督:ルイス・マイルストン


詳細データ
IMDb
http://us.imdb.com/Name?Steinbeck,+John

その他資料
スタインベック全集 12エデンの東 上(大阪教育図書)
ISBN:4-271-11422-7、MBN:MJ99106888
スタインベック全集 13エデンの東 下(大阪教育図書)
ISBN:4-271-11423-5、MBN:MJ99106889
ハツカネズミと人間(新潮文庫)
ISBN:4-10-210108

2000.9.10
ADU


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