1962年2月20日 |
アメリカはジョン・グレンを乗せたフレンドシップ7で アメリカ初の軌道周回飛行を4時間56分したのち帰還します。 |
1963年2月 |
アポロ計画を推進したケネディ大統領は ダラスで凶弾にたおれましたが、 その意思はそのままジョンソン大統領、 ニクソン大統領と引き継がれていきました。 |
1963年6月16日 |
旧ソ連は世界初の女性宇宙飛行士V・テレシコワを乗せた ウォストーク6号を打ち上げます。 |
1964年10月12日 | 旧ソ連は世界初の三人乗り宇宙船ボスホート1号を打上げます。 |
1965年3月23日 | アメリカはアメリカ初の二人乗り宇宙船ジェミニ3号を打上げます。 |
1965年3月 |
旧ソ連の宇宙船ボスホーク2号が打ち上げられ、 アレクセイ・レオーノフが初の宇宙遊泳にも成功しています。 |
1965年6月3日 |
アメリカは宇宙船ジェミニ4号を打ち上げ、 エドワード・ホワイトが、21分間の宇宙遊泳を成功させます。 |
1965年12月15日 |
アメリカはジェミニ6号と7号の世界初の30センチの ランデブーを果たします。 |
1966年3月 |
アメリカのジェミニ8号はアジーナ衛星とのドッキングを 成功させました。 |
1964年10月12日 |
世界初の三人乗り宇宙船ボスホート1号を 打上げに成功します |
1965年3月 |
宇宙船ボスホーク2号が打ち上げられ、 アレクセイ・レオーノフが初の宇宙遊泳に成功します |
1965年11月 |
予定されていたボスホート3号の打上げは設計長 S・P・コロレフの手によって進められていましたが コロレフ設計長の急病により延期されました。 (搭乗予定搭乗員ボリノフ(船長)、カチス(機関士)) |
1966年1月14日 |
外科手術を受けたコロレフ設計長が死去し、 ボスホート計画は大きく変更されることになりました。 (搭乗予定搭乗員はボリノフ(船長)、ショーニン(機関士)に変更) |
1973年5月14日 | アメリカはアメリカ初の宇宙ステーション スカイラブ1号を打上げます。 |
1975年7月17日 | アメリカのアポロ18号と旧ソ連の ソユーズ19号がドッキングに成功 |
1981年4月12日 | アメリカがJ.ヤング、R.クリッペンが 乗組み世界初のスペースシャトル コロンビア号が打ち上げます。 |
1983年6月18日 | アメリカ女性初のS.ライドが宇宙飛行します。 |
1984年7月17日 | 旧ソ連、サビツカヤがソユーズT-12で 世界女性初の船外活動 |
1984年10月5日 | アメリカ、K.サリバンが 米国女性初の宇宙遊泳に成功 |
1986年1月28 日 | アメリカ、チャレンジャー号が 打上げ直後の爆発事故をおこし 7人の乗員が死亡 |
1986年2月19日 | 旧ソ連、ミール、宇宙ステーション 打上げ |
1988年11月15日 | ソ連、スペースシャトルブランを エネルギアにて無人試験飛行 |
1990年12月2日 | 秋山豊寛さんがソユーズTM−11、ミールにより 日本人初の宇宙飛行を体験 |
1992年9月12日 | 毛利衛さんが日本人初の科学宇宙飛行士・ スペースシャトル飛行士としてエンデバー号に搭乗 |
1994年7月8日、 | 向井千秋さんが日本人初の女性宇宙飛行士として コロンビア号に搭乗 |
1995年2年6日 | アメリカのディスカバリー号と ソ連のミールがランデブーに成功 |
1995年6月29日 | 米アメリカのアトランティス号と ソ連のミールがドッキング |
1996年1月11日 | 若田光一さんが日本人初の ミッションスペシャリストとしてエンデバー号に搭乗 |
1997年11月19日、 | 土井隆雄が日本人初の船外活動を行うため コロンビア号に搭乗 |
1998年10月29日 | 向井千秋さんがディスカバリー号に 乗組み2回目の宇宙飛行 |
2000年2月 | 毛利衛さんがエンデバーに乗組み 2回目の宇宙飛行 |
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