宇宙をとらえて

―アメリカと旧ソ連の宇宙開発の歴史をちょっと―

はるか昔、何もないところに空間と時間がうまれました。そこにいまの銀河や恒星が誕生しました。初期の恒星では生命は存在していなかったといわれています。星の生死の繰り返しによって宇宙が誕生して100億年の後、銀河系の端に三世代目の恒星の太陽系が誕生しました。その中に生命にかかわる重い原子を含む地球という惑星も誕生していました。原子が有機物を形成し、その自己複製により生命の種がうまれました。さまざまな環境の変化の中で淘汰を繰り返し生命は進化していきました。そして、地球上でたまたま生き残った子孫がわたしたち人類です。
(実はこの間にあったことについて、わたしはず〜っと興味をもって調べていて、とっても詳しく知っていたりします。機会があったら、もっと詳しく調べてみたいなっ・・と思っています。ですから今年の夏休みに公開されるディズニーの『Dinosaur』の公開をとても楽しみにしています。みなさんも楽しみにしていてくださいね。

むかし、空を見上げて太陽と月、小さく光る点を見ていた人類はその動きをみて、法則性があることを発見し、そこから天文学が発達しました。人々は宇宙を地球を中心として考えていました。星の多くは東から西に流れていきます。しかし、中には逆行したり、規則的に動かない星があることを発見しました。これは他の星より地球の近くにあるため、遠い星と比べて動きがおかしく見えるのです。太陽のまわりを回る地球がその外を回る火星を追い越すとき、 地球から見ると逆行して見えるのです。

天文学者たちはながめている宇宙から、自分たちが宇宙に飛び立ちたいと考えるようになりました。

車は地面を、電車はレールの上を接触、摩擦によるエネルギーで進むことができます。では、真空の宇宙空間ではこの接触、摩擦によるエネルギーをどうしたらいいか。大砲で砲弾を飛ばすときに、台座がしっかり固定されていないと大砲自体が動いてしまうことから、砲弾を飛ばす反動が大きければ大砲自体が打ち上がるのではないかと考えた人がいました。ロケット技術の発明はこのような発想から生まれたといいます。
ロケットを使っても果たして真空の宇宙空間を航行しつづけることはできるのか。最初、より高く飛ぶためにはたくさんの燃料が必要と考えられていました。しかし、燃料を多く積むと重力がより多く働き、飛び上がることが困難になります。この重力と推進力の問題を解決したのは発射速度でした。 鉄砲や大砲のように推進速度の速いものはより遠くに弾を飛ばすことが出来ます。その着目点から時速34、920キロ(第一宇宙速度)の速度で打ち上げれば、地球を一周してしまうことが計算されます。高度が高くなると空気や浮遊物の影響や抵抗がほとんどなくなり、推進速度から発生した遠心力と地球の重力がつりあうと周回運動の維持のためのエネルギーはほとんど必要なくいつまでも地球の周りをまわり続けることができます。これが1957年10月4日にフルシチョフ首相率いる旧ソ連が世界ではじめて大気圏外へ人工物を送ることに成功したスプートニク1号(人工衛星)の原理です。

1957年10月4日、旧ソ連が世界初の人工衛星スプートニク(直径56センチ)を打ち上げたことによって、米ソの宇宙開発競争が本格化します。
アメリカは旧ソ連に追いつこうと人工衛星を打ち上げようとしますが失敗がつづきました。
社会主義体制の優越を宣言するフルシチョフ首相の演説にニューヨーク株式市場は大暴落しました。
アメリカの一般大衆までがミサイル・ギャップを感じ、 政府の怠慢に対して非難をし、アメリカの科学技術教育制度そのものに欠陥があるとまで主張する人たちがあらわれるほどでした。

1957年11月3日、旧ソ連は世界初の実験用動物犬1頭を乗せたスプートニク2号を打ち上げます。 1957年12月、アメリカはバンガーロケットによる人工衛星打ち上げを行いますが点火とともにロケットは約6インチ持ち上がりますが失敗におわります。
アメリカの宇宙計画を推進したリンドン・ジョンソン上院民主党院内総務は、「ローマ帝国は世界を支配した。それは道路を建設する力があったからである。海の時代になって、大英帝国が世界を支配した。それは船を持っていたからである。空の時代となり、われわれが力を得た。飛行機があったからである。ところが今、共産主義者が大気圏外にその足場を築いたのである」と語りました。

1958年1月31日、アメリカはジュピター・ロケットを使いアメリカ初の人工衛星 エクスプローラー1号を打上げ軌道に乗せます。
アメリカはアメリカの宇宙開発の中心となっていたNACAを拡大させる形で1959年10月1日にNASAが設立され、その使命はソ連よりも先に月を征服することでした。
人工物を宇宙に飛び立たせることに成功したあとは、人類を宇宙に飛ばすことに目的が移っていきます。

1960年、旧ソ連はライカ犬を乗せたスプートニク5号を打上げます。
1961年1月に就任したケネディ大統領は「アメリカは60年代に月に人間を送り安全に帰すという目標の達成に専心しなければならない。アメリカ国 民全部が一人の人間を月に送るために努力しよう。月に到達するのは一人の宇宙飛行士ではなく、むしろ全国 民である」と宇宙開発の重要性と国民の協カを求める演説をしました。これをうけて大規模なアポロ計画が開始されNASAの予算は毎年倍増していきました。
人が宇宙に飛び立ち、戻ってくるためには一度大気圏外に出た人工物を、もういちど真空状態の空間から大気圏に突入させなければなりません、空気や浮遊物など大気圏での摩擦でおきる熱エネルギーに対応する装備の開発が進んでいきます。

1961年、ユーリ・ガガーリン少佐を乗せた1人乗りの宇宙船ウォストーク1号で旧ソ連が初めての宇宙に人間を送り出すことに成功しました。ウォストーク1号は、地球を1周し旧ソ連国内 に着陸しました。はじめて宇宙から地球をながめたガガーリンの「地球は青かった」という言葉は有名です。 フルシチョフ首相は、この成功をうけて社会主義体制の優秀さを示すものであると、積極的な外交攻勢や宣伝を展開してきました。
1962年5月5日に、アメリカはアラン・B・シェパードを乗せたフリーダム7を打ち上げました。フリーダム7の飛行時間は15分22秒でした。1961年の旧ソ連のウォストーク1号は、地球の軌道に乗り1時間49分の軌道周回飛行をして帰還したことを考えると旧ソ連の技術がアメリカよりかなり進んでいたことがわかります。

1962年2月20日 アメリカはジョン・グレンを乗せたフレンドシップ7で
アメリカ初の軌道周回飛行を4時間56分したのち帰還します。
1963年2月 アポロ計画を推進したケネディ大統領は
ダラスで凶弾にたおれましたが、
その意思はそのままジョンソン大統領、
ニクソン大統領と引き継がれていきました。
1963年6月16日 旧ソ連は世界初の女性宇宙飛行士V・テレシコワを乗せた
ウォストーク6号を打ち上げます。
1964年10月12日 旧ソ連は世界初の三人乗り宇宙船ボスホート1号を打上げます。
1965年3月23日 アメリカはアメリカ初の二人乗り宇宙船ジェミニ3号を打上げます。
1965年3月 旧ソ連の宇宙船ボスホーク2号が打ち上げられ、
アレクセイ・レオーノフが初の宇宙遊泳にも成功しています。
1965年6月3日 アメリカは宇宙船ジェミニ4号を打ち上げ、
エドワード・ホワイトが、21分間の宇宙遊泳を成功させます。
1965年12月15日 アメリカはジェミニ6号と7号の世界初の30センチの
ランデブーを果たします。
1966年3月 アメリカのジェミニ8号はアジーナ衛星とのドッキングを
成功させました。

この時点でアメリカは旧ソ連の技術を追い抜いたといえます。
1966年、旧ソ連はルナ9号から13号までの月探査船を打ち上げています。

有人宇宙飛行計画はアメリカのアポロ計画と並んで旧ソ連にもボスホーク計画がありました。
1964年10月12日 世界初の三人乗り宇宙船ボスホート1号を
打上げに成功します
1965年3月 宇宙船ボスホーク2号が打ち上げられ、
アレクセイ・レオーノフが初の宇宙遊泳に成功します
1965年11月 予定されていたボスホート3号の打上げは設計長
S・P・コロレフの手によって進められていましたが
コロレフ設計長の急病により延期されました。
(搭乗予定搭乗員ボリノフ(船長)、カチス(機関士))
1966年1月14日 外科手術を受けたコロレフ設計長が死去し、
ボスホート計画は大きく変更されることになりました。
(搭乗予定搭乗員はボリノフ(船長)、ショーニン(機関士)に変更)


ボスホート3号を打上げる準備として2月22日に、二匹の犬(ベテロック、ウゴレク)を乗せた無人のボスホート宇宙船(コスモス110号)が打上げられ22日間の飛行を行い3月16日に回収されました。

旧ソ連の宇宙開発の役割を果たしていたコロレフ設計長の死により、後任にV・P・ミーシン設計長が就任しましたが、ミーシン設計長はボスホート宇宙船がボストーク宇宙船をベースとした旧式の宇宙船でありアメリカのアポロ計画に対抗するためには、新しい型の有人宇宙船を開発する必要があると唱え、ボスホート3号をはじめ、1966年末に女性搭乗員(ポノマリョーワ(船長)、ソロビヨーワ(機関士)ソロビヨーワの宇宙遊泳も予定)で打上げる予定だったボスホート4号、1967年に医学テスト(ウサギの手術実験)を目的としてパイロットと医師が乗り組む予定だったボスホート5号、ズベズダ工場のセベリン技師の設計した宇宙バイクのテストが計画されていたボスホート6号、人工重力をつくる実験が計画されていたボスホート7号は飛行せずに終わってしまいました。

ミーシン設計長はボスホート計画にかわりソユーズ宇宙船の開発製作を急ぎました。
ソユーズ宇宙船の開発作業は1962年から開始され、1966年11月28日に新型の無人船(コスモス133号)が打ち上げられましたが、大気圏突入時の角度が大きすぎたために回収に失敗し中国に落下するのを防ぐために爆破されました。
1966年12月14日の第2号無人船の打上げは失敗に終わります。
1967年2月7日に、第3号無人船(コスモス140号)が打ち上げられましたが、熱絶縁の不良により降下装置がアラル海へ落下してしまいました。

1967年はロシア革命50周年ということで、これを祝うために宇宙部門はソユーズ1号、ソユーズ2号を1日あけて打上げる計画を立てました。
ソユーズ1号の補助搭乗員としてガガーリンも予定されていました。
このミッションは宇宙軌道上でソユーズ1号とソユーズ2号がドッキングした後、ソユーズ2号から2人の搭乗員がソユーズ1号へ移動し、ドッキングを解除することになっていました。
1967年4月23日、コマロフの乗ったソユーズ1号が打ち上げられましたが、太陽電池パネルの一枚が開かず電力は予定の半分しか得られずドッキングは不可能となり、ソユーズ2号の打上げは延期されました。
ソユーズ1号の飛行は早めに打ち切られ、コマロフは帰還することになりましたが、降下装置のパラシュートが開かず地表に激突しコマロフ飛行士は死亡してしまいました。
ソユーズ2号は1968年10月25日に打上げられました。
ソユーズ1号とソユーズ2号によるドッキング実験は1969年1月にソユーズ4号とソユーズ5号で行われました。

第一宇宙速度よりさらに速度が速くなると、宇宙船は地球の周りを楕円にまわるようになります。この楕円が細長くなっていくことで、地球からさらに遠くまで飛んでいくことが出来ます。この速度が第二宇宙速度に達すると地球の重力をふりきり月へ行くことができます。アポロ計画のロケットは時速3万8千キロで約10時間ぐらいで月に到着します。
1966年アメリカはジェミニ12号の打ち上げでジェミニ計画終了後、アポロ計画がはじまります

1967年1月20日アポロ計画最初の有人宇宙船アポロ1号に乗り込んだ、船長のガス・グリソム、エド・ホワイ ト、ロジャー・チャフィーの3人が内部電源テスト中に火災で 亡くなりました。
アポロ計画はこの事故で全面的に見直されアポロ2号から6号までは無人でテストが行われ1968年に有人飛行を試みるアポロ7号が完成します。

アポロ7号 (AS-205)
打ち上げ 1968年10月11日-AM11:02(現地時間)
帰還   1968年10月22日-AM7:11(現地時間)
飛行時間260時間8分45秒
アポロ計画初の有人飛行、司令船に積み込まれているコンピュータの作動テスト
月着陸船のテストも行われる予定だったが、月着陸船が完成しなかったこととサターン1Bロケットではアポロ7号を月まで送ることが出来ないため、アポロ8号が月に行くことになります。
ロケット―SA-205(サターン1B)
司令船―CM-101
機会船―SM-101
乗組員
ウォルター・シラー(船長)
ドン・イーゼル(司令船パイロット)
ロニー・カニンガム(月着陸船パイロット)

無人のアポロ4号を打ち上 げたサターン5を使ってアポロ8号を月まで到達させます。
月の軌道に乗るために、機械船のメインエンジンを逆噴射させてスピードを落とし月の軌道に乗月の周りを10周し、月から地球へ帰還する際には月の裏側でエンジンを再噴射して地球の軌道にのり無事に帰還しました。

アポロ8号 (AS-503)
打ち上げ 1968年12月21日-AM7:51(現地時間)
帰還   1968年12月27日-AM10:51(現地時間)
飛行時間147時間42秒
ロケットにサターンVを使用、月周回軌道に人類初の到達
ロケット―SA-503(サターンV)
司令船―CM-103
月着陸船―LTA-B
乗組員
フランク・ボーマン(船長)
ジェームズ・ラベル(司令船パイロット)
ウィリアム・アンダース(月着陸船パイロット)

アポロ9号 (AS-504)
打ち上げ 1969年3月3日-AM11:00(現地時間)
帰還   1969年3月13日-PM00:00(現地時間)
飛行時間241時間53秒
アポロ計画初の宇宙遊泳、地球軌道上で月着陸船のテスト
ロケット―SA-504(サターンV)
司令船―CM-101(ガムドロップ)
月着陸船―LM-3(スパイダー)
乗組員
ジェームズ・マクデビット(船長)
ディビット・スコット(司令船パイロット)
ラッセル・シュワイカート(月着陸船パイロット)

アポロ10号 (AS-505)
打ち上げ 1969年5月18日-PM00:49(現地時間)
帰還   1969年5月26日-PM00:52(現地時間)
飛行時間192時間3分23秒
月着陸船テスト(月着陸船を月面から15kmの場所までおろした)
ロケット―SA-505(サターンV)
司令船―CM-106(チャーリー・ブラウン)
月着陸船―LM-4(スヌーピー)
乗組員
トーマス・スタッフォード(船長)
ジョン・ヤング(司令船パイロット)
ユージン・サーナン(月着陸船パイロット)

1969年7月16日月着陸を目指してアポロ11号が打ち上げられます。19日には月の軌道にのり、打ち上げから100時間後司令船コロンビアから、着陸船イーグルが切り離されました。
7月20日、イーグルは月の裏側 で1度エンジンを噴射させ月面に15kmまで降り、エンジンを再点火させて月面へ降り立ちました。
「一人の人間にとってはは小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」(アー ムストロング船長)

アポロ11号 (AS-506)
打ち上げ 1969年7月16日-AM9:32(現地時間)
帰還   1969年7月24日-PM00:50(現地時間)
飛行時間195時間18分35秒
ロケット―SA-506(サターンV)
司令船―CM-107(コロンビア)
月着陸船―LM-5(イーグル)
月着陸地点 (緯度、経度)
0°40’N 、 23°29’E  静かの海
月面滞在時間 21時間36分
人類初の月面着陸 21kgの岩石をもちかえる
乗組員
ニール・アームストロング(船長)
マイケル・コリンズ(司令船パイロット)
エドウィン・オルドリン(月着陸船パイロット)

アポロ12号 (AS-507)
打ち上げ 1969年11月14日-AM11:22(現地時間)
帰還   1969年11月24日-PM3:58(現地時間)
飛行時間244時間36分25秒
ロケット―SA-507(サターンV)
司令船―CM-108(ヤンキー・クリッパー)
月着陸船―LM-6(イントレピッド)
月着陸地点 (緯度、経度)
3°2’S 、 23°25’W  嵐の海
月面滞在時間31時間31分
観測機器「ALSEP」を設置、43kgの岩石をもちかえる
乗組員
チャールズ・コンラッド(船長)
リチャード・ゴードン(司令船パイロット)
アラン・ビーン(月着陸船パイロット)

アポロ13号 (AS-508)
打ち上げ 1970年4月11日-PM2:13(現地時間)
帰還   1970年4月17日-PM1:07(現地時間)
飛行時間142時間54分41秒
ロケット―SA-508(サターンV)
司令船―CM-109(オデッセイ)
月着陸船―アLM-7(アクエリアス)
トラブル発生、緊急帰還
予定ミッション
月の丘が多い高台 Fra Mauro 地域の探検
Fra Mauro 形成の調査とサンプリングなど実質的な調査
月の表面実験観測機器( ALSEP )の配置
探査サイトの写真撮影
4月14日-AM10:30
着陸船で黄色警告ランプがつき船内の二酸化炭素増加を知らせる
酸素タンクに異常が発生し、酸素が船外に漏れ出していることを確認
4月15日-PM10:30
MCC5噴射により帰還軌道を調整
4月17日-AM7:15
機能停止した、支援船を切り離す。支援船の損傷部を撮影
4月17日-AM7:43
MCC7噴射により最終軌道を修正、月着陸船を切り離す
「イオウジマ」に回収される
事故原因…酸素タンク2のヒーターの自動温度調節装置に設計通りの部品が使用されておらず、ヒーターが加熱し、酸素タンクが破裂した。
乗組員
ジェームズ・ラベル(船長)
ジョン・スウェイガート(司令船パイロット)
フレッド・ヘイズ(月着陸船パイロット)

アポロ14号 (AS-509)
打ち上げ 1971年1月31日-PM4:03(現地時間)
帰還   1971年2月9日-PM4:15(現地時間)
飛行時間216時間1分57秒
ロケット―SA-509(サターンV)
司令船―CM-110(キティー・ホーク)
月着陸船―LM-8(アンタレス)
月着陸地点 (緯度、経度)
3°40’S 、 17°29’W  嵐の海、フラ・マウロ高地
43kgの岩石をもちかえる
月面滞在時間33時間31分
乗組員
アラン・シェパード(船長)
スチュアート・ルーサ(司令船パイロット)
エドガー・ミッチェル(月着陸船パイロット)

1971年4月19日、旧ソ連は世界初の宇宙ステーション・サリュート1号を打上げます。24日にはサリュート1号とソユーズ10号がドッキングに成功します。
1971年6月ソユーズ11号は帰還時の事故でドブロボリスキー、ボルコフ、パツァーエフの三人の飛行士が死亡

アポロ15号 (AS-510)
打ち上げ 1971年7月26日-AM9:36(現地時間)
帰還   1971年8月7日-PM4:45(現地時間)
飛行時間295時間11分53秒
ロケット―SA-510(サターンV)
司令船―CM-112(エンデバー)
月着陸船―LM-10(ファルコン)
月着陸地点 (緯度、経度)
26°6’N 、 3°39’E  雨の海、アペニン山脈のすそ野
月面滞在時間66時間55分
月面自動車を初使用。77kgの岩石をもちかえる
乗組員
デイビット・スコット(船長)
アルフレッド・ウォーデン(司令船パイロット)
ジェームズ・アーウィン(月着陸船パイロット)

アポロ16号 (AS-511)
打ち上げ 1972年4月16日-PM00:54(現地時間)
帰還   1972年4月27日-PM2:45(現地時間)
飛行時間265時間51分5秒
ロケット―SA-511(サターンV)
司令船―CM-113(キャスパー)
月着陸船―LM-11(オライオン)
月着陸地点 (緯度、経度)
10°S 、 16°E  神酒の海の西、デカルト・クレーター
97kgの岩石をもちかえる
月面滞在時間71時間2分
乗組員
ジョン・ヤング(船長)
トーマス・マティングリー(司令船パイロット)
チャールズ・デューク(月着陸船パイロット)

アポロ17号 (AS-512)
打ち上げ 1972年12月7日-AM0:30(現地時間)
帰還   1972年12月19日-PM2:24(現地時間)
飛行時間 301時間51分59秒
ロケット― SA-512(サターンV)
司令船―CM-114(アメリカ)
月着陸船―LM-12(チャレンジャー)
月着陸地点 (緯度、経度)
20°10’N 、 30°45'E  晴の海の東南、タウリス・リトロー地域
月面滞在時間75時間
110kgの岩石をもちかえる
乗組員
ユージン・サーナン(船長)
ロナルド・エバンス(司令船パイロッ)
ハリソン・シュミット(月着陸船パイロット)

アポロ17号の帰還によりアポロ計画が終了します。
アポロ計画に参加した人員40万人以上、月面歩行12名、月の赤道付近を中心に月面の1/4を調査、役400キロのサンプル(岩石)を持ち帰りました。

1973年5月14日アメリカはアメリカ初の宇宙ステーション
スカイラブ1号を打上げます。
1975年7月17日アメリカのアポロ18号と旧ソ連の
ソユーズ19号がドッキングに成功
1981年4月12日アメリカがJ.ヤング、R.クリッペンが
乗組み世界初のスペースシャトル
コロンビア号が打ち上げます。
1983年6月18日アメリカ女性初のS.ライドが宇宙飛行します。
1984年7月17日旧ソ連、サビツカヤがソユーズT-12で
世界女性初の船外活動
1984年10月5日アメリカ、K.サリバンが
米国女性初の宇宙遊泳に成功
1986年1月28 日アメリカ、チャレンジャー号が
打上げ直後の爆発事故をおこし
7人の乗員が死亡
1986年2月19日旧ソ連、ミール、宇宙ステーション 打上げ
1988年11月15日ソ連、スペースシャトルブランを
エネルギアにて無人試験飛行
1990年12月2日秋山豊寛さんがソユーズTM−11、ミールにより
日本人初の宇宙飛行を体験
1992年9月12日毛利衛さんが日本人初の科学宇宙飛行士・
スペースシャトル飛行士としてエンデバー号に搭乗
1994年7月8日、向井千秋さんが日本人初の女性宇宙飛行士として
コロンビア号に搭乗
1995年2年6日アメリカのディスカバリー号と
ソ連のミールがランデブーに成功
1995年6月29日米アメリカのアトランティス号と
ソ連のミールがドッキング
1996年1月11日 若田光一さんが日本人初の
ミッションスペシャリストとしてエンデバー号に搭乗
1997年11月19日、土井隆雄が日本人初の船外活動を行うため
コロンビア号に搭乗
1998年10月29日 向井千秋さんがディスカバリー号に
乗組み2回目の宇宙飛行
2000年2月毛利衛さんがエンデバーに乗組み
2回目の宇宙飛行

1998年に月の探査船ルナプロスペクターが25年の時を経て月へと旅立ちました 2002年 国際宇宙ステーション ・アルファ完成予定

月よりもさらに遠くの惑星にまで到達するのには第三宇宙速度が必要といわれます。(太陽系外へ旅立ったボイジャーは木星の重力を利用することでこれに成功しました)月まではすぐに到達することができますが、火星までとなると到達するまでに半年もかかります。1997年に土星に向かって飛ぶ立った探査船カッシーニが土星に到達するのは2004年の予定です。惑星までの飛行には宇宙ステーションが必要といえます。

写真の著作権はNASA Jet Propulsion Laboratoryにあります。

Courtesy Jet Propulsion Laboratory. Copyright (c) California Institute of Technology, Pasadena, CA. All rights reserved


NASA Homepage(アメリカ航空宇宙局)
http://www.nasa.gov/
Space Research Institute(IKI) Home Page(ロシア宇宙科学研究所)
http://www.iki.rssi.ru/
NASA Jet Propulsion Laboratory
http://www.jpl.nasa.gov/
などのサイトを参考にさせていただきました。
このほか参考にさせていただいたWebサイト並びに参考資料とした書籍がたくさんあります
その一覧は Promenade のページに追加してあります。

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