ビューティフル・ピープルからボスニア戦争そして命と生きることを思う
ビューティフル・ピープル ―Beautiful People―
ジャスミン・ディズダー監督はボスニア出身だという。
笑いのエッセンスを混ぜ込んで、たくさんのことへの風刺を折り込んで、われわれが言葉で語ることがはばかれる程の悲惨なボスニア戦争というものをモチーフにおいて、生きていることの意義や喜びを感じさせるこの作品は、その悲劇を知っているものだけに許される表現ではなかったかと思われました。
たしかに作品全体、重い題材をもちながらも、どこか苦笑いを含みほっと出来る結末。
ほっと出来る結末は、ボスニアの人たちがみな思う、そうであってほしいという希望の結末なのでは・・・などと考えてしまいます。
この作品が5つの異なるエピソードからなっていて、それがどこかつながっている展開であることや、時代背景、折り込まれたエピソードなどはオフィシャルのページにとても詳しく書かれています。
ビューティフル・ピープルオフィシャルサイト
http://www.cinemabox.com/filmarc/beautiful_people/
ここから書くのはこころあたたまるエッセンスを含んだ作品を、深読みしすぎて脱線しそうなわたしの感慨です。
(この分野にはわたしのサイトを訪れる方たちの中に、仕事として趣味としてとても詳しい方たちが多いので、曖昧なところを書いてご指摘をうけるかもしれませんね)
ボスニア戦争については、簡単だけど前に『ボスニア』を観た頃にその作品の背景が知りたくて調たことがあります。
内戦―ボスニア戦争について
http://home.att.ne.jp/orange/FifteenHours/civilwar.html
中世のころから民族紛争の絶えなかった東欧・バルカンの国々。この地域に80年代後半から悲惨を極める紛争の火ダネが起こりはじめたのには、第二次世界大戦以降(ヤルタ協定、ポツダム宣言)から40年以上にも及ぶ旧ソ連による中欧・東欧支配の力が弱まってきたことで、民族主義の思想が再び燃えだしたことも原因のひとつであることや、サラエボ、ボスニアばかりが言われるけど、旧ユーゴ以外にもこの時期、ハンガリー、ルーマニア、アルバニアなどにも独裁などによる大虐殺など数々の悲劇がおこっていたことを最近知り、興味をもって時間のあるときに調べたりもしています。
でもやはり旧ユーゴ、民族紛争は悲惨です。
すべての若者が武器を手にとって戦い、敵を殺し村を焼いた。兵士たちによる略奪、強姦なども数多くあった。旧ユーゴはセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の3民族の他にもスロベニア人、アルバニア人などたくさんの民族が長い間、隣同士で暮らし、婚姻を結んで過ごしてきた。政治家たちが利権をめぐって国民の民族主義をあおって内紛を勃発させると隣同士が、幼なじみや友人が、親戚同士が互いに敵同士となり、民族主義を主張し、民族浄化を求め、それに西側諸国もからんで紛争は長期化しました。
とくに長い歴史の中でのわだかまりをもつクロアチア人とセルビア人、ムスリム人の争いは、壮絶なものがあります。
深読みしすぎたわたしの心に写ったのは、戦火を抜けたボスニア出身のディズダー監督が、深く傷ついたボスニアの人々の過ちを指摘するとともに、その傷を癒すべく、傷つきながらも生き延びた人々が命を感じ生きていることを大切に、こうなってくれたらという希望と、平和に見える国にも、おろかな過ちがたくさんあることを語っているのではないかなどという思いでした。
映画の中でも難民であったペロが、自室の壁に貼った写真を観ながら過去形でものを話す。兵士だった自分は過去の姿、故国ユーゴスラビアは崩壊し今はもうない。家族も犠牲になったのだろうか。
ペロは自分の過去を語り、その紛争が何をもたらしたのかをしっかり自分の中で浄化させて、新しい自分を見つけ、愛する人を見つけ生きていく。民族にこだわるではなく、言葉の通じない他国の女性と心をかわし結婚する。これも理想的なエピソードだと思います。
バスの中で偶然出会った、セルビア人とクロアチア人も多分そんな関係だったのでしょう。
多分、紛争の起きる前は、ラストシーンのようにトランプに明ける日もあったのかもしれない。
というより、昨日までトランプをして騒いでいた隣人同士が実際に敵同士となり戦ったことも多かったのだと思います。でも、あの紛争が起きる前までは良き隣人同士だった。紛争を逃れてやり直すことが出来る土地にいる彼らのこうなってほしいエピソード(『ボスニア』のような悲劇的結末にならないように)
臨月のお腹を抱えて病院を訪れた若い夫婦にしても、女性が敵の兵士たちの力に屈することはかなりの頻度であったということです。命があっただけでも幸運だったのかもしれません。宗教観もあったのかもしれませんが、事実がわかっていて臨月までお腹で子供を育ててきた若い夫婦。すべてがこわれそうな事実にも、小さな無垢な生命をまのあたりにしたとき、生む苦しみを経験したのちの母性、小さいものを守ろうとする人間性が、すべてを浄化させ命の尊さを感じて、プラスになる道を選んで生きていくこと。これは、ボスニアという地にあって、親兄弟、友人たちを失う哀しみをしっている彼らの選択なのだと思います。たくさんの不幸を抱えながら、新しい生命とともにこう生きていってほしいという人たちの希望がつまったエピソードなのではないでしょうか。
平和な国で暮らす人々をとりあげたエピソードはどこの国でもおきていること。
生と死の姿は野戦病院で切り落とされた脚が示している。
負傷した患者のもとにあったときは確かに生きていた脚なのだ。
切り落とされ外に運ばれ放置された脚はもう呼吸をしない意志をしめさない死せるものなのだと思う。
こぼれた水は元にはかえらないけど、生きているかぎり希望はある。そして人は希望を見つけることができるんだって思うことが出来る作品でした。
しかし、ジャスミン・ディズダーという俳優さん『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』、『ニル・バイ・マウス』と目にするたびにジャンキーだな〜
2000.9.10
ADU
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