NIL BY MOUTH
   ニル・バイ・マウス

鑑賞日2000.6.10
DVD(JVBF-47016)
提供:日本ビクター/日本ヘラルド
発売元:日本ビクター株式会社

悲しみを食うか、食われるか――サウスロンドン8区
「ニル=ゼロ」つまり「ニル・バイ・マウス」とは手術などの前後「何も口にすることの出来ない」状態をいうが、親が子供に温かい言葉を口にしない状態をも指す。・・・中略・・・この映画は、ゲイリーの父の想い出に捧げられている。 (DVD解説文より)

子どもの心にトラウマとして残ってしまう幼児虐待というのものには、暴力などで肉体的な苦痛を与える身体的虐待、言葉の暴力によって精神的な苦痛を与える情緒的虐待、性的虐待、子どもの健康や発達の保護や世話などを放棄する身体的放置、拒絶・突き放しや無関心で子どもとの関わりを放棄する情緒的放置などがあるそうです。

ゲイリー・オールドマンの父親は彼が7歳の時に家族を捨てて家を出ていったそうです。この作品はその父親に対するトラウマや、自分の育ってきた環境をとおして語った半自伝的作品ということらしい。

ゲイリー・オールドマンの友人であるエリック・クラプトンがノーギャラで参加しているというのはなんとなくわかるような気もする(わたしの母は27年来のエリック・クラプトンのファンなのでクラプトンにかんする書籍なども多数あるのでなんとなく)。

1945年3月30日生まれのクラプトンは、ノルマンディ上陸を前にしてイギリスに駐屯していたカナダ軍兵士と当時16歳のパット・クラプトンのあいだに生まれ、父親はその後カナダの妻子の元に帰ってしまい、母親も別のカナダ人と結婚しドイツにわたってしまいクラプトンは祖父母のもとで、祖父母の子どもとして育てられたという生いたち。70年代初頭多くのミュージシャンがドラッグがもとで死亡する中、クラプトンも数年間ドラッグが切り離せないジャンキーとしての生活を送り専門の治療をうけて更生したけど、ドラッグを克服したのもつかの間、今度は重度のアルコール中毒に陥り入院生活を経てそれを克服したという経歴の持ち主。

ゲイリー・オールドマンの心のトラウマをふりきるように語られていく作品であると同時に、その物語のバックで流れるギターの音色はエリック・クラプトンの語りなのかもしれないな。

ビデオやDVDなど自宅で観た映画のことを深く話すことは今までなかったんだけど、
この作品はもし今劇場で公開されていたら絶対に観たかった作品って思うので
めずらしく、わたしも愛なんてものを語ってみようかな・・・

<ここから本編>

舞台はサウスロンドン8区
予告で暴力的な感じで登場していたこの話の主役と思われるレイモンド(レイ・ウィンストン)が家族や友人たちに酒をふるまう姿であらわれる。おや、この人は見たことがある。だれだったかな?・・そうそう『フェイス』でロバート・カーライル演じるレイに哀愁に満ちた哀しい顔をさせた彼ではないか。あのシーンのカーライルは切なくて胸にきゅんとくる感じだった。

どうやら話の内容からするとドラッグに溺れているらしい。うさんくさい仲間とつるんでドラッグの横流しや売買をしてるようだ。

彼の奥さんヴァレリー(キャシー・バーク)の弟ビリー(チャーリー・クリード=マイルズ)があらわれる。
このチャーリー・クリード=マイルズにちょっと注目、エリック・クラプトンのヤードバーズ時代の姿(母親の夫に逢うために髪の毛を短く刈ったころの感じ)にちょっと似ているのでびっくり。

もう、随分登場人物があらわれているけど、なかなか登場人物の関係が把握できないな。

ビリーは自分のドラッグを盗んだと腹をたてたレイに噛みつかれ、鼻に怪我を負って無一文で放り出される。
公園で息子が遊ぶのを見守る父親に声をかけタバコを一本もらう、人のよさそうな相手に小銭を無心してみると、その父親はがらりと態度を変えて息子を「ゲイリー」・・・と呼び帰ろうとする。監督のゲイリー・オールドマンはこの作品に出演はしていないけど、ちゃんと自分が父親とまだ一緒に暮らしていたころの年齢で登場させているではないか。そして転落しているビリーの姿を醒めた目で見つめているではないか。ふ〜ん、なるほどね。この作品にはこのちらっと映し出された「ゲイリー」少年と、レイの娘のミッシェルという二人の子どもが登場するけど、きっとどちらもゲイリー・オールドマンの子ども心の代弁者なんじゃないかな。ミッシェルの怯えて心配そうな後ろ姿、哀しみも怯えも言葉にしなくてもその目がすべてを語っている。レイに抱かれて笑っている姿も印象的。この作品の中で彼女の果たしている役割はとても大きいような気がする。

ビリーが帰りついた家、ママと呼ぶ相手ジャネット(ライラ・モース)この人の雰囲気、誰かに似てるな。(そう思いながら見終わったあと調べてみたら、このライラ・モースはゲイリー・オールドマンの実の姉だそうだ。それでゲイリー・オールドマンとどこか雰囲気が似ていたのだろう。彼女が演じるジャネットがゲイリー・オールドマンを女手ひとつで育てた母親のイメージなのかな)。

ビリーがドラッグほしさに母親に無心し断られて行った先は姉の家。誰もいないとわかると家捜しをしてレイの母親の写真まで盗んでしまう。母親の稼いだお金をあてにしてドラッグに手を染め、姉にもたかる、こいつはどうしようもない奴かもしれない。レイの母親の写真を盗んだのには訳があるらしい。ビリーはレイに噛みつかれたことに相当頭にきている。レイにとって母親の写真というのがとても大切なものだということを知っていたのかもしれない。

この作品は、父親というのはどうも寂しくどうしようもない奴として描かれているけど、母親は強くたくましくやさしく大切なものとして描かれている。

夜の街で友達とつるんでドラッグの話をしているビリー。子犬を抱いている友人ダニー(スティーブ・スウィーニー)のハスキーな声には聞き覚えがあるぞ。だれだろう・・・そうだ『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(いつ書いても長いタイトルだ)でヤクの売人の手下をしていたプランク、この人けっこう好きなキャラクターだったのよね。長髪を結んでいて、どこかおマヌケな感じでキュートだなって思った。今度もなかなか好感のもてるぞ、かなりイカレテいるけど。

子犬を見てビリーが自分の父親のことを語りだした。父親ということはジャネットのご主人だ。うん、だんだん登場人物の構図がわかってきたぞ。
ビリーが可愛がっていたシェパードを彼が留守の時に殺してしまったという。その時の傷ついた心を話す。そして、その父親は自分の母親を深く愛していたと(ようはマザコンだったと)愛人をつくっていた父親を許せずその愛人を殺し、父親にも怪我をさせ服役中だという。ジャネットのご主人は殺人と父親をも殺そうとした罪で服役中で彼女が家計を支えているのだろう。その母親から金をまきあげようとする、やっぱりとんでもない息子だ。でも、ビリーにも心のキズがあるのだろう。父親は自分のかわいがっていた犬を殺し、祖父を殺そうとした。結果的には両親の関係にも疑問ももっただろう。これはビリーだけではない。ヴァレリーにとっても同じ傷なのだろう。ヴァレリーは、ドラッグに溺れアルコール依存気味の暴力的な夫を前にしていても娘のミッシェルに弟妹をつくってやりたいと考え必死に家族のいる家庭を守ろうとしているように見える。娘のことを心配しているジャネットも、心配しつつも家庭を無くした自分の経験からか、娘の動向を黙認しているのかな。

ビリヤードに興じている妻を見つけて「一緒に帰ろう」すぐに自分と家に帰ってほしいと語るレイの言葉をすぐに聞きとめないヴァレリーにレイの苛立ちが増長される。その夜、アルコールのせいかドラッグのせいか妄想がひろがりキレかかる自分に歯止めがきかなくなり、その暴力の矛先がヴァレリーに刃を向く。とんでもないことをしたのではと感じながらも正当化しなければ生きていけないほどレイも追い詰められていたのだろう。このときのレイの様子には、その暴力に対する嫌悪感とともに切ないまでの哀しみを感じてしまった。この人はこの先どうするんだろうと心配にもなってしまった。

ヴァレリーと引き離されたレイはアルコールにたよりヴァレリーに電話をかけるが何も言えない。そして電話線を抜いてつながらなくなった電話の向こうに、一生懸命自分のことをあやまり、愛していると繰り返す、レイの本質が見えてくるような場面。息子を愛していたがヴァレリーのことを愛して、息子と妻を捨てたと話す。ここにも父親像があらわれる。このレイというひとも愛に飢えて、抱えきれないほどの愛をもちながらその表現する方法がわからずに苦しんでいるのかもしれない。つながっていない電話の先に愛を語り愛を乞い、そして報われないことにキレてあばれる。

翌日、アルコールをあおりながら友人に自分の父親のことを語るレイ。父親の話でありながら母親の姿が浮んでくる。家族よりも友人たちを大切にした父親が入院した時にベッドにかけられた札に書かれた「ニル・バイ・マウス」その意味を訪ねた彼にかえってきた母親の返事「何も口にすることの出来ない」という答えより、彼の心をしめたのはもうもうひとつの意味、親が子供に温かい言葉を口にしない状態だったのかな。父親の墓標に刻むのにちょうどいい言葉だと語る。女の子にとっての母親の存在と並んで、男の子にとっての父親に認めて欲しい気持ちは大きいものなんだろうな。女の子にとっての父親の占める役割と男の子にとってのそれは同じであって異なるものだと思う。大きな人と思っていた父親が死の床で小さくちじんで見えて、初めて言えた、どうして自分を愛してくれなかったかという言葉。感じていても言葉に出して言うことはできなかっただよねきっと。言葉に出してしまうと、その事実を認めてしまうような気がしてこわかったんじゃないかな。この人もほんとうに傷ついて育ったんだね。

ジャネット一家が気分をはらそうとパブにやってくる。なんとおばあちゃんまで一緒。このおばあちゃんがまた、なかなか素敵なキャラクターなんだな。いつのまにかそのおばあちゃんがステージの上にそして歌いだす「Can't Help Lovin' Dat Man」ミュージックリストをみると歌っているのは「Kay Oldman」実はゲイリー・オールドマンの母親ケイ・オールドマンが歌ったものを吹替えたものらしい。なんだか母親に対する愛情を感じるエピソード。

ヴァレリーの30歳の誕生日に階段でプレゼントを片手にレイがまっている。レイと暮らしていたころその家庭を守りたいがために口にしないでレイに従っていたのだろうと思えるヴァレリーの気持ちが爆発。
ヴァレリーに決定的な暴力をふるった日、レイは別れて暮らす息子に逢わせえてもらえなかったことを話す。ヴァレリーにひどいことをし続けてきたのも愛していたからだと話す。それに対しいつも、飲んだくれて話も出来ない、アルコールの臭いをさせてベッドに入ってくると言い放つ妻の言葉にレイには、自分と自分が嫌悪した父親の姿がだぶって見えたのかもしれない。レイと別れて自分を愛してくれる人と人生をやりなおすんだといいながらも、レイを見ながら「あんたは結局は自分を傷つけているんだ」という。この言葉のかげにヴァレリーのレイに対するたまらない愛を感じたのはおかしいかな。壊れてしまった家庭に育って必死で自分の家庭を守ろうとして耐えている女性かと思っていたけどこの女は、なんてつよくあたたかいひとなんだろう。

妻や子どもにとってとんでもない存在だった父親像を柱においているけど、ちゃんと敬愛すべき母親像が存在している。たくさんのどうしょうもない出来事が、すべて愛情の裏返しで起きていく。父親を憎む気持ちも愛しているからであり、愛されたいからであるという気持ち。愛しているからという行為で暴走し自分が傷ついてしまう。困った時に支え合う人がいる。どうしようもない奴でもつるんでくれる友達がいる。一見平和そうにみえて、信じられない事件と言い放される事件が起きるわたしたちのまわりよりよっぽどやさしさがあるじゃない。ラストのシーンを見てこれからまたどうなるのかと心配もしながらほっとできるのは、いろいろな出来事が辛辣なんだけどその中に愛がみえるからかな。まあ、ビリーはやっぱり、どうしようもない奴みたいだけどそのうちなんとかなるのかな。
とても重い内容の話だけど、ラストまで観てこれがゲイリー・オールドマンの半自伝的な話なのなら、今のゲイリー・オールドマンは愛を手にいれたのではないかなんて思ってしまう。

この話は決して特別なものではないと思う。形は少しちがっても、自分のまわりにもあることだということをわたしは知ってる。その話はまたいつか。

監督・脚本…ゲイリー・オールドマン
製作…リュック・ベンソン、ダグラス・アーバンスキー、ゲイリー・オールドマン
1997年カンヌ国際映画祭主演女優賞…キャシー・バーク
1997年エジンバラ国際映画祭最優秀監督賞

<CAST>
レイモンド…レイ・ウィンストン
ヴァレリー…キャシー・バーク
ビリー…チャーリー・クリード=マイルズ
ジャネット…ライラ・モース
キャス…エドナ・ドール
ポーラ…クリシー・コッテリル
アンガス…ジョン・モリソン
マーク…ジェイミー・フォアマン
ダニー…スティーヴ・スウィーニー


2000.6.12 ADU
BACK


Return to
Movie
Home