Cradle Will Rock
クレイドル・ウィル・ロック
―Cradle Will Rock―
その頃、海の向こう芸術の都イタリアはフィレンツェでは
英国のご夫人達が優雅にお茶を楽しんで.......
実話ベースの映画を観ていると、いろいろな作品が微妙なつながりをもったストーリーを展開していることに気がつくことがあります。
わたしにとって『クレイドル・ウィル・ロック』は、その後に観た『ムッソリーニとお茶を』につながり、前に観ていた『怒りの葡萄』につながるものでした。
『クレイドル・ウィル・ロック』とは1937年6月16日にヴェニス劇場で初演されたミュージカルの題名ですが.......この作品の上演にまつわる話しを、関係した人々の姿を通して時代の流れや社会情勢をうきぼりにし、舞台の上と裏側、そして舞台の外をとても興味深く描いている作品だなと思いました。
自分の育ってきた環境からか、舞台は正面から観るより、裏側から観る時の方が居心地が良く感じたりもします。
最初の上演予定劇場だったマキシーヌ・エリオット劇場での上演が禁止されたため、上演劇場を求めて21ブロック先のヴェニス劇場までを劇団員と観客が大行進するシーンには胸躍りその場に居合わせてみたい気持ちにかられました。
組合の規定で、他の劇場の舞台にのぼることができない劇団員が作者のブリッツスタイン(ハンク・アザリア)のピアノと語りに合わせて、演劇魂がわきたつように客席上で立ち上がりセリフを言い、演じ始めます。
その瞬間自分もヴェニス劇場に駆けつけた観客のひとりとなっているような錯覚をおぼえました。
この上演までの流れの中にあるのが大恐慌下にあって、政府資金を使い失業演劇人に救済の手をさしのべる公共事業「フェデラル・シアタープロジェクト」(1935年〜1939年)の存在と、その中で奮闘するハリー・フラナガン(チェリー・ジョーンズ)彼女には声援をおくりたくなります。
そして、わたしでも知っているオーソン・ウェルズ(アンガス・マクファデン)、ジョン・ハウスマン(ケアリー・エルヴィス)も『クレイドル・ウィル・ロック』の演出家、製作者として登場します。
歌手を夢見る貧しい娼婦から『クレイドル・ウィル・ロック』のヒロインを手にするオリーブ・スタントン(エミリー・ワトソン)。
『市民ケーン』のモデルになった新聞王ランドルフ・ハースト(ジョン・カーペンター)も登場。
大恐慌下という時代、貧しい人が溢れる中でも、必ず富める人々がいるものだという代表格ネルソン・ロックフェラー(ジョン・キューザック)。
そして架空の登場人物もまじえて、歴史の裏側をみているようで楽しい。この作品は登場する人物も演じる人もとても豪華です。
この作品の中で『クレイドル・ウィル・ロック』を演じる役者たちの中でキーパーソン的な役割を示すイタリア移民のアルド・シルヴァノ(ジョン・タートゥーロ)がアメリカに渡ってきてもイタリアを愛する一族に対してファシズムを否定します。
これもひとつのキーワード。
ムッソリーニの意を受けて、アメリカの資本を求めて富豪たちに絵画を売るムッソリーニの元愛人ともいわれるマルゲリータ・サルファッティ(スーザン・サランドン)、こうしてイタリアの芸術は散らばって行ったのかしら?
ここにもムッソリーニとイタリアの芸術というキーワードが........
とにもかくにも、第二次大戦参戦前のアメリカの姿のひとつが描かれている。
当時の社会、舞台と、とても素敵な時間を過ごすことができました。
そして同じ時代、理不尽な扱いを受け土地を追われていった農民たちの姿が『怒りの葡萄』の中にあります。
そして同じ頃、海の向こうの大陸、フィレンツェでは「スコーピオンズ」と呼ばれる英国のご婦人達が優雅な時間を過ごすことを少しずつ制約されてきていました。
この『ムッソリーニとお茶を』は英国のご婦人たちと米国のご婦人たちが主役(これもまた豪華な出演者がそろった作品です)だけど、そのバックで流れていく時代背景、社会情勢がとてもさらっとしかもしっかりと描かれています。
凛とした淑女たるかたがたのそれぞれの生き方に魅力を感じながらも、このご婦人たちは自分たちの人生に酔いしれているけど、本国から参戦して戦っている兵士たちのことって頭の片隅にもないのかしら? たしかにこれは戦時下の話しだと思うのだけど........
まあ、それもよしとして......
だからこそ、よしとして........
まだ平和にお茶の時間をすごすことが出来ていたころ、この作品の監督であるフランコ・ゼフィレ(ルカ少年)は英国式の教育を受けるのですね。
街並の中にサンドロ・ボッティチェリの絵が映る(彼の晩年の絵に好きなのがあるのよね)などと思ったりもします。
このルカ少年は英国流の教育を身につけつつ、伊独同盟がむすばれるころは、父親の命令によってオーストリアに行きドイツ流の教育を受けることになります。
そしてイタリア人の血を引く......これらを身につけてバランス良く育ったのかしら?
この作品のバックグランドにある第二次大戦.......
歴史の教科書にも出てくるムッソリーニ.......では、ベニト・ムッソリーニとは何者なのか?
簡単なメモを........
1883年イタリア中部ロマーニャに生まれたムッソリーニは教師、ジャーナリストを経て社会主義運動の活動家として働いていました。
それが1911年にファシズム運動を開始し、1922年に首相となます。
この1911年というのは第一次大戦直後でイタリアも大不況の中にいて社会主義者の台頭として現れたのがファシストだったのでしょうか?
ムッソリーニは古代ローマ帝国の再興を目指し、地中海を中心にエチオピア侵攻、スペイン内戦への介入などをすすめ結果的に国際的に孤立していき1937年に国連を脱退して
日本、ドイツと日独伊の三国同盟を結び、1939年第二次大戦の開始とともにドイツ寄りにかたむきつつ、1940年6月に英仏に対して宣戦布告をするのですが、
軍備力や生産力が十分とは言えない状態で、戦況は苦戦を強いられることが多く、連合軍がシチリア島に上陸した時にはイタリア北部で戦っているのはドイツ軍という
感じ......
これが、『ムッソリーニとお茶を』の最後のシーン、場所はイタリアのはずなのに、聖堂などを爆破して逃走しようとしているのはドイツ兵たちなのですね
この作品の中でイタリア人はあまり良くは描かれていないような気がするのですが.......
この間、ご婦人たちが奮闘している間に、1943年ムッソリーニは失脚し逮捕されたり、その後ヒトラーに救出されたり、
1945年4月25日に連合軍によってミラノが解放されると2日後に逮捕されて処刑されるという運命をたどったのです。
大不況の中、ドイツは国民の不満や第一次大戦の戦勝国やユダヤ人に向けることでヒトラー率いるナチ党は巨大化していき、
イタリアはムッソリーニ率いるファシズムで乗りきったのでしょうか?
今でも、その時代をほこりにムッソリーニを崇拝する声が多くあるといいます。ネオ・ファシストの存在もあります。
と、いう感じだと思うのですが自信はありません。歴史や思想は難しいですね。わたしももう少し勉強しなくては。
でも、この『ムッソリーニとお茶を』はそんなことを考えずに、登場してくる人たちの生き方を観てるだけで
楽しめる作品です。何度も観るときっとそのたびに何かを発見しそうで楽しみな作品ですね。
同じ時代、舞台はヨーロッパとアメリカ、面白い作品を続けて観ることができました。
『クレイドル・ウィル・ロック』
監督・脚本…ティム・ロビンス
2000.11.14 恵比寿ガーデンシネマ
更新日 2000.11.27 ADU
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