オール・アバウト・マイ・マザー
ALL ABOUT MY MOTHER

もって生まれた環境や資質のうえにアグラをかかずに
常に自分の求める自分のために努力して生きている人は美しいと思う。

シングルマザーのマヌエラ(セシリア・ロス)と仲の良い息子エステバン。
エステバンに問われていた父親の事を話そうと思っていた彼の17歳の誕生日。
エステバンは事故に遭い彼の心臓は移植を待つ人のもとへ。

移植された人をそっと見にいくマヌエラ........ここまでは『heart』ののりだ。

でも移植コーディネーターの仕事をしているマヌエラにとってはその心臓は ひとつの臓器の旅立ちであり、魂の宿っているものではないという認識のもとで (そうでなければ移植はなりたたない)働いていたので、 この作品はスプラッタホラーとはなっていかない。

マドリッドからバルセロナに移り行くトンネルのような空間は胎内から始まる 生への出口にも似ているのかもしれない。

事故で亡くなったエステバンが、多分、両親が写っていたであろう半分が欠けた 写真を見て、いつも自分の中で何か半分欠けている思いをいだきつづけたように、 この作品には何かが欠けている人たちがそれぞれの在り方で一生懸命自分探しを している姿が映しだされているように感じる。

マヌエラの喪失感をうめるための旅であると同時に、半分欠けたまま逝ってしまった エステバンの旅でもあるような気もする。

逝ってしまったエステバンの心と同じ血をひくロサのお腹の中の子が互いに呼びあった のだろうか(なんか不思議な気がするけど、そんなことって意外とあるような気がする) マヌエラとロサは互いに近づいていく。

本物の女性になろうとしているアグラードはキレイだ!お友達になりたい(笑)

豊胸手術をして女装をしながらも、下半身は男性の本能に支配されているロラは 見た目はキレイだけど女性として(人間としても)の魅力には欠ける。
やっぱり、どこか中途半端なんだよね。
大体、エイズに感染していて平気でロラを妊娠させちゃって男としてっていうより 人間として無責任なヤツだね。
でもって、豊胸手術もして女装をしてても、息子が欲しいというのは、 やはり男のエゴイズムなのかな?

18年前に胸の大きな女装をしたロサと一緒にいて妊娠し、そしてロラから逃げ出した マヌエラの気持ちはなんだったのだろう。
結局は男も女もエゴイストってことかな。人間そんなものかもしれない。

この作品の中に出てくる女性(?)たちは母性のかたまりのような人たちの 集りでありながら母親にはなれない人たち。

何かが欠けた人たち。何かが欠けた同志。
でも人間なんて、誰でも何かが欠けて生きている。
だからこそ人と助け合っていける。

破かれて半分がない写真。半分が欠けたままそこに存在していたエステバン。

人は何かが欠けているから、いとおしい。
自分の欠けている部分を認識できる人は、やはり何か欠けていることを認識している人と その空間をうめあうことができる。
ジグソーパズルのようにピタッとはまらなくてもいいのだと思う。
少し隙間をあけながら楽しい関係をもつことができる。
はまらない分だけあたたかい。

話自体は出来過ぎな感じもするけど、何かが欠けている人たちの泣き笑いを 通して、半分欠けていたエステバンの隙間をうめてあげられるそんな気持ちに なる作品のような気がしました。

しかし、この作品に出てくる人は女も男もなんて我儘なんだろう。

絵具箱をひっくりかえしたような色彩に目をみはり、そしてちょっとスペイン語を 学びたくなったのでした。

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♪ BGM by Torazo ♪

2001.3.17
ADU