タイトルは、お題配布サイト「Cubus」様より、秘めやかに3題内の「02.誰もいない教室でする口づけ」をお借りしています。
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誰もいない教室でする口づけ-case 手塚-










珍しいものを見たと思った。

約束どおり部活後に3年1組の教室へ行くと、手塚先輩はいつものように自分の席に座っていた。

窓際の前から2番目。

それが中学生活最後の席替えで先輩の席に決まった場所で、私の中では教室での先輩の定位置として認識しているくらい、その席に先輩の姿があるのは自然なことだ。

だから、そこに先輩がいたのが珍しかったわけではない。

珍しかったのは、そこにいた先輩がうたた寝をしていたから。

「油断せず行こう」が口癖で、常に隙がないイメージの先輩が、誰もいない放課後の教室とはいえ眠っていたから。


(珍しい…)


そっと顔を近づけ、頬杖をつき目を閉じている先輩を覗き込む。

初めは眠っているとは思わなかった。

机に頬杖をつき微動だにしない後ろ姿に、何か考え事でもしているのかなと思った。

だから教室の入り口でかけようと思っていた声を呑み込み、静かに先輩の席まで近寄った。


「せんぱ…」


最後まで言い終わらないで、言葉を呑み込む。

すぐ真横まで辿り着いたとき、先輩の横顔がいつもと違うことに気が付いたから。


(眼鏡、外してる…)


机の上に先輩のトレードマークのひとつである眼鏡が無造作に外されていて、いつもまっすぐに物事を見つめる眼差しは固く閉じられていた。


(って、もしかして眠って、る…?)


俄かには信じ難い光景に何度か目の前で手を振ってみたけれど、先輩からの反応はない。

じぃぃっと食い入るように見つめてみても、やはり何の反応も返ってこない。

睫毛、長い。

髪の毛、サラサラしてる。

そんな風に間近で先輩を観察してみても、注意の言葉さえ紡がれない。

そこでようやく、先輩は本当に眠っているのだという結論に達し、珍しいものを見たと思った。

先輩と付き合うようになった昨年の合同学園祭以降、今までなら知ることもなかったはずの様々な先輩の姿を近くで見てきたけれど、こうして眠る姿を見るのは初めてだった。

疲れているのかな、と思う。

あと一ヶ月もすれば卒業式。

先輩は生徒会長ということもあって、卒業生代表で答辞を読むことにもなっているし、その他にも準備はあるだろうから、いろいろしなくてはならないことがきっとあるのだろう。

もちろん、その「いろいろしなくてはならないこと」の中には、留学の準備も含まれていて…。






もうすぐ先輩は、将来の夢を叶えるためドイツへと行ってしまう。

先輩が遠くへ行ってしまう人なのは、先輩と仲良くなっていく中で自然と分かった。

先輩は最近まで何も言ってはくれなかったけれど、合同学園祭以降、先輩の一番近くにいる特権を与えられ、いつでも一番近くで先輩のことを見てきたから分かっていた。

先輩は、まだ私が描くこともできない未来の自分をしっかりと描き始めているのだと。

そしてそれを現実にするためには、もっと広い場所へ羽ばたかなければいけないのだろうと。

だから、卒業後はドイツに留学することを打ち明けられたとき、私は驚かなかった。

驚かない私に先輩のほうがむしろ驚いていたくらいだ。

でも、私はいつか先輩にそんな話をされるのだろうと思っていたから、驚くよりも「ああ、やっぱり」そんな気持ちのほうが強くて、自分でも不思議なくらい冷静に先輩の話を聞いていた。

とはいえ、先輩がもうすぐいなくなってしまう実感が、私の中にちゃんとあるわけではない。

むしろ、まだ実感は湧いてもこないというのに、時間だけが刻一刻と近づいてきている。


遠くへ行ってしまうことは予想できても、その予想が現実になることを実感できずにいる。


そんな感じだ。

これを友達に話すと意味が分からないと言われるけれど、当事者である私自身も意味が分からない。

自分のことなのに、この不思議な感覚が上手く表現できない。

それでも、ふたりでいられるタイムリミットまで、あと僅か。

私の中に実感が湧こうが湧くまいが、不思議な感覚を理解できようができまいが、時間の流れを止めることはできない。

そのことがなんだか酷く怖くて、最近の私はカレンダーをあまり見ることができない。

実感が伴わないまま、その日が来たら?

実感が湧くことのないまま、そのときを迎えたら?


ワタシハ、ソノトキ、ドウナルノダロウ?






ふと机に視線を落とすと、無造作に外された眼鏡の下の書類に目が留まった。

書きかけのその書類は、私では意味が理解できない言語で綴られている。

ドイツ語なのだろうということは何となく分かるけれど、どんなことが書かれているのかはまったく分からない。

恐らく留学に関する書類なのだろう。


先輩は確実に私の目の前から、いなくなる。


その書類を見た瞬間、そんな言葉が私の中で突如として浮かんだ。

もう随分前から何度も同じようなことは考えているはずなのに、初めて妙な生々しささえ伴ってその言葉が頭の中をよぎっていく。


(先輩は、確実に、私の目の前から、いなくなる)


心の中でもう一度呟いてみると、その言葉は鋭い刃を持った凶器のように、私の胸を突き刺した。

胸が酷く痛い。

どうしようもない、どうすることもできない苦しさに声を上げることもできず、眠る先輩の顔を見つめると、ますます胸が苦しくなった。

伏せられたままの目に、私の姿が映ることはない。

でも今は、そのほうがいいと思う。

本当は風邪を引かないよう、すぐにでも起こすべきなのだろうけれど、今は目を覚ましてほしくない。

あともう少しだけ、このまま眠っていてほしい。

もし仮に先輩が目を覚ましていたとして、私の姿がその瞳に映っていたならば、私は今このときを現実だと受け入れるしかなくなってしまう。

生々しさを伴った言葉も、胸を突き刺された感覚も。

現実のことだと受け止めざるを得なくなる。

けれど先輩がうたた寝をしているなんて非日常的なことが起きているのなら、すべて現実ではなく夢かもしれないと思える。

夢でなかったとしても、今この教室は現実から切り離された空間にある、そんな錯覚をすることもできるから。


実感が伴わないのも、生々しいほど感覚が研ぎ澄まされるのも、どちらも同じくらい怖い。


矛盾していると言われようとも、たぶんそれが私の本音。


(だから、もう少しだけ眠っていてください)


逃げているだけなのかもしれないけれど、今だけはすべてに目を背けさせてほしい。

先輩が眠っている今だけでいいから。

そんな祈りを込めながら、私は眠る先輩の頬に唇を寄せる。

恐る恐る近づけると共に、至近距離に迫る先輩の横顔。

触れるか触れないかの口づけに、先輩の瞼が微かに震えてドキッとしたけれど、結局その瞳が開かれることはなかった。

掠めるだけの口づけ。

本当にしたのかしていないのか、自分でも曖昧なほど。

そんな先輩との初めてのキスにはまるで現実感がなく、現実を受け止めたいのか受け止めたくないのか分からない矛盾だらけな今の私には、とてもピッタリなものだった。







2012.04.27


4人目の手塚でした。
今回はこのシリーズ初のからキス!な内容です。
とはいえ手塚は眠っているし、肝心のキスもしたんだかしてないんだか微妙ですが(^^;
しかもがさらっと言ってるけど、これが一応初めてです(笑)
その辺りのことは私の中で設定やら妄想があるのですが、いずれ機会があればってことで。

今回の脳内テーマは「の矛盾に揺れる心」なので、それを感じていただけたら成功だと思っています。

それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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