山陽新幹線 岡山開業30周年
記念列車・リバイバル列車運行
2002.3.16〜5.19
ここに掲載されている他にも、山陽新幹線 岡山−新大阪間に「0系ひかり」が 運転されましたが、都合で撮影していませんので、ご了承下さい。(^^;;;▼記念列車「県内一周号」運行
山陽新幹線 岡山開業30周年を記念して、3/16には岡山県内のJR線を
一周する「県内一周号」が運行されました。 当日は、JR西日本のジョイフルトレイン、「サロンカーなにわ」(大阪)、 「TABIJI」(広島)、「ユウユウサロン岡山」(岡山)の車両が使用されました。 それぞれ6両編成のうち2両ずつが、備前片上、宇野、笠岡から岡山に集結し、 3種類のジョイフルトレインの混合編成が、岡山から山陽線で倉敷へ、 倉敷から伯備線・新見・姫新線・津山・津山線経由で再び岡山へ戻ってくるという 経路で運行されました。 また、各区間で一日運転士や一日車掌の乗務、沿線の主要駅では一日駅長の参加する 「県内一周号」の出発式などが行われました。
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「鷲羽」は、昭和34年9月に大阪−宇野間の準急「わしう」として誕生。 翌35年10月の宇野線電化伴って、153系急行型電車に置き換えられ、 列車名も「鷲羽」改められました。 また、165系急行型電車が編成に加わることもありました。 最盛期には1日11往復運転され、関西と四国を結ぶ連絡列車として活躍していましたが、 山陽新幹線開業に伴って夜行2往復に縮小。 昭和55年10月に廃止されました。 今回のリバイバル運転では、3/30に、大阪・日根野電車区所属の165系電車6両を使って 1往復運転されました。
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EF58型電気機関車は、昭和21年から172両生産された直流電気機関車で、
これまで多くの優等列車を牽引し、戦後の電気機関車の代表的存在の一つです。 しかし、製造初年から50年以上経過した現在では、全国で僅か4両のみ。 一方、展望客車マイテ49は、昭和13年に製造され、特急「富士」や「はと」など、 戦前、戦後期の優等列車で活躍しました。 現在使用できるものとしては1両のみ存在しています。 今回のリバイバル運転では、3/17、4/27に、これらEF58とマイテ49を組み合わせ、 さらに客車5両(3/17は12系急行型客車、4/27は14系特急型客車)で編成を組み、 3/17は岡山−宮島口間、4/27は大阪−岡山間に、それぞれ1往復運転されました。
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「しおじ」は東海道新幹線開業に伴って、昭和39年10月に新大阪−下関間で運行開始しました。 運転開始当初は151系特急形電車でしたが、後に181系特急形電車に置き換わり、 583系特急形寝台電車や485系特急形電車も加わります。 一方運転区間は、山陽新幹線 岡山開業に伴って岡山−下関間が主となり、 山陽新幹線全面開業とともに、廃止されました。 「リバイバルしおじ」は、2001/7/30にも、 JR東日本 青森運転所所属の583系特急形寝台電車で、下関−新大阪間に運転されていますが、 今回のリバイバル運転では、5/18に、金沢総合車両所所属の489系特急形電車7両で、 大阪−広島間に運転されました。
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「はと」は「つばめ」に次ぐ戦後二番目の特急として、東京−大阪間で活躍していましたが、
東海道新幹線開業に伴って、151系特急形電車で新大阪−博多間に運行されるようになりました。 その後、車両は481系特急形電車、581系特急形寝台電車や485系特急形電車に置き換わり、 運転区間も、山陽新幹線 岡山開業に伴って岡山−下関間となりました。 しかし、昭和50年3月の山陽新幹線全面開業とともに、廃止されました。 「リバイバルはと」は、2000/8/26にも485系特急形電車9両で、 新大阪−博多間に運転されていますが、今回のリバイバル運転では、 5/19に、金沢総合車両所所属の489系特急形電車7両で、広島−岡山間に運転されました。
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