「よぉ、久しぶりだな。──蛯原」

男がゆっくりと、様々な思いを込めながら言葉を紡ぐ。

「──やあ、久しいね」

聞きなれた声に男、蛯原はゆっくりと振り向いた。



幾十もの車が景色の真ん中を流れていく。町の中心を貫く国道に面したファミレスからは、一日中同じ景色―――車が流れるだけの景色を見ることが出来る。
しかし、集客の上では絶好の立地条件にも関わらず客足はなかなか伸びず、夜のかきいれ時もウェイトレスは暇そうに欠伸をしていた。

そんなファミレスの、窓側から一番離れた席、そこに二人の男がいた。

全身を黒い衣服で固めた彼らはどこか怪しい雰囲気を醸し出している。



そんな彼らのもとへ、ウェイトレスは少し躊躇いがちに注文を取りにいった。
仕事だから仕方ないと思いつつも、やはり怖い。
二人の男が醸し出す雰囲気には、人間を本能的に恐怖させるものがあるのかもしれない、と彼女は思った。

それでも、近くに行ってみるとどうやら会話はしていないようだったので──少し安心して──何も考えずに声をかけた。
すると、後から入店してきた男にあからさまに嫌そうな顔をされた。

その時の男の目はあまりにも鋭かった。

そして、その目に射ぬかれたウェイトレスは呼吸もできずに、彼女には、

ただいつもより速い自分の心臓の鼓動だけがはっきりと分かった。

周囲の景色がゆっくりと流れ、まるで自分との干渉を避けているようにも思えた。

不意に耳鳴りの高音が脳を揺さぶり、堪えがたい吐気が込みあげてきた。



そして、凍り付いた時間が動き出す。



永遠にも思える時間に対し、現実の時間はたった五秒ほど。
それでも、その時間は彼女にとってはひどく長いものだった。
彼女はなんとか気を持ち直すと、額にうっすらと冷や汗を浮かべながら、いままで数百回と行ってきた客への注文をしどろもどろになりながらもなんとかやり遂げた。

脚は痙攣したかのように小刻に震え、喉は渇き、まるで呂律が回らなかった。

先ほど入店してきた男には紅茶を、前の子と交代する前からいた男にはオレンジジュースのおかわりと"苺とチョコのとろけるハーモニー!冬でも美味しいとろとろとろぴかるジャンボぱふぇ零式"を注文された。

「──で、では失礼します」



──なんとか終わった。

男二人の視界から外れた瞬間、不意に安堵が溢れ返り、何故だかは分からないが涙が頬を流れた。

「せ、せんぱ〜い!だいじょうぶ、ですか〜?」

その時、同じシフトで働いている後輩が声をかけてきた。
彼女はつい一週間前ほどに入ってきたばかりで、以前は特殊なタイプの喫茶店でアルバイトしていたらしく、所々でその特殊性が窺えた。

「──あ、うん。……なんとかね」

「で、でも。せんぱいの、おかお、まっさおですよ〜?だから、せんぱいは、すこし、やすんでいて、ください!」

初めて彼女と会ってまず驚いたのは、その口調だった。あまりにも口調に癖がありすぎて今でも正直聞き取りづらい。

しかも以前のバイトで身に付けたのか身振り手振りがやたら大きく、会話の最後に必ず首を四十五度傾け上目使いに笑顔をおくってくる。
以前はそれで通用、否、それが必須条件だったかもしれないが、ここは決してそんな場所ではない。
そのことを何度も彼女にいって直そうとするのだが、その場では『はい!わかり、ました〜!』とかいいながらも、言い終わった後に結局やっているという問答を四回続けてからは直すのを諦めてしまった。

だが今はそんなことはどうでもよい。とりあえず彼女がかわってくれるということだけはわかった。

実のところ、もうあの席には近寄りたくはなかった。

「じゃあ頼むね。──いちおう言っておくけど、二十三番の席の客には気を付けた方がいいよ」

「あ、にじゅうさんばんって、あのくろいひとたち、ですよね〜?あのひとたちって、かっこいい、ですよね!りかたんの、たいぷなんですよ〜!」

何気に爆弾発言が飛び出した。

「あー、……私はやめた方がいいと思うわよ」

「また、そんなこと、いって、せんぱいが〜、さきにとる、つもりじゃあ、ないです!?」

「──なっ、私は本心を言ったまでよ!」

まったくこの小娘は何を考えているのだろう。
もちろん知るわけはないし、知りたいとは思わなかった。

その時、ちょうど"苺とチョコのとろけるハーモニー!冬でも美味しいとろとろとろぴかるジャンボぱふぇ零式"──ちなみに目の前の小娘が命名した──が出来上がった。
先ほどまで頬を膨らませていた彼女の顔はたちまち明るく輝きだし、意気揚々と重さ六十キロはあるそれを持ち上げていった。

世の中には分からないことが多い。

彼女は素直にそう思った。



その時、ちょうど"苺とチョコのとろけるハーモニー!冬でも美味しいとろとろとろぴかるジャンボぱふぇ零式"──ちなみに苺とチョコはとろけすぎて何が何だか分からなくなっている──が運ばれてきた。
先ほどまでそっぽを向いていた蛯原の顔はたちまち明るく輝きだし、意気揚々と高さ五十センチはあるそれを食べていった。

世の中には分からないことが多い。

男は素直にそう思った。

このファミレスに入ってまず目に入ったのは、中米の島国ハイチ独自の宗教であるブードゥー教のものと思われる飾りつけだった。
異様な禍禍しさを放つそれは、どこか近寄りがたい雰囲気を放っていた。よく見ると飾りつけの至るところに血痕らしきものがあった。肉の焦げた臭いもする。
すると、向こうから明らかにアマゾネスのような出立ちの女性が現れた。手にもった槍は鋭く、冷たく光っていた。

──殺られる。

本能が警告を鳴らした。
逃げ道を探して店内を見渡すと、窓側から一番離れた席、そこに蛯原と思われる男がいた。正確には、日本人と思われる格好をしているのが他にいなかった。

必死の思いで席にたどり着くと、その男は果たして蛯原だった。

「よぉ、久しぶりだな。──蛯原」

声が震えていないか気になった。蛯原への憎しみのせいだけではない。この場所に対する本能的な恐怖だ。

「──やあ、久しいね」

聞き慣れた声に男、蛯原はゆっくりと振り向いた。

彼は、少し安心した。普通の人間がいた。

しかし、次に注文を取りにきた生き物は凄まじかった。恐らく人間であるということは想像がつくが、横幅だけで身長と同じくらいあった。歩く度に地響きがする。
しかも、何故だかは分からないが卵の腐ったような臭いを放っていた。

思わず生理的な嫌悪を感じ顔を歪めてしまう。早く終ってほしかった。

それなのにその生き物はフリーズした。
目を見開いたまま動かない。

男は酷い悪臭に数度気を失いそうになったがなんとかとどまった。横目で見ると蛯原は何でもないかのようにメニューを見ている。

永遠にも思える時間に対し、現実の時間はたった五秒ほど。
それでも、その時間は彼にはひどく長いものだった。

ようやく謎の生き物が立ち去った。

かと思ったら、すぐに違うのがやってきた。

今度のモンスターは身長は普通の人間とあまり変わらなかった。
しかし、体の横幅が細かった。細すぎた。
見たところ十センチほどだろうか。風が吹けば飛ばされていってしまいそうだ。

そのモンスターは、異常な大きさのパフェを担いで現れた。

そのモンスターは、おかしなくらい猫背だった。

そのモンスターは、特殊なタイプの喫茶店の衣装を着ていた。

そのモンスターは、獲物を狙う猛獣のような目もしていた。

そのモンスターは、パフェを置いたにも関わらずその場にい続けた。

煩わしいので追い払った。
昔ネットで見た魔除けの言葉が役に立った。

その時、既にパフェを食べ終えた蛯原が二枚の写真を取り出した。

「──これは……」

そこに写っていたものに見覚えがあった。
そこに写されていたもの…それは、つい先日手に入れたばかりの人形の姿だった。

「その反応だと、君のもので間違いないんだね」

「……これをどこで、」

「今日早速会ってきたんだけどね。そっちの方、可愛かったよ〜。──あの体中のキズ、君がつけたんだろう?」

蛯原はこちらの質問に答えることはなく、延々と喋り続けた。
時々投げ掛けてくる質問は、すでに答えの出た意味のないものだった。

「──でさ、俺のものにしようとしたらさ、逃げ出したんだよ。そしたら、車にド〜ンってさ」

「……お前のことだから、それも謀ってやったことだろ」

「ま、否定はしないよ」

そう言って蛯原は小さく笑った。壊れた笑いだった。

「ところで、もう一方の方なんだけど、君まだ手をつけてないでしょ?」

「……」

「さあ、何故でしょうか?……そういえばアヤカゼとかいう子、いま病院だね。──もう一方の子もお見舞いにいっている頃じゃないかな」

「……お前、まさか」

「病院の帰り道は暗いし人通りも少ないよ。──暴漢に襲われても仕方ないね」

その言葉を聞いた瞬間、男は飛び出していた。

涎を垂らしながら両手を広げ襲いかかってきたモンスターの関節を全て外し、脅えながらも行く手を阻む謎の生き物に百七十の拳を浴びせ店の奥まで吹き飛ばし、アマゾネスには先ほどテーブルに置いてあった塩で目潰しをし一呼吸で懐に飛込むと手刀での五段突きで三日は動けない状態にした。

しかし、男の頭のなかにはもはや一つのことしかなかった。
もう何も失わないために、男は走った。

そして、男が走り去った後の店内には、客が一人だけ残された。

「やっぱり、この子のことを……」

蛯原がゆっくりと呟いた。

「確かに、佐久間に似てるところはあるけど……、君を思う気持ちまで似てるとは限らないよ」

そこまでいうと、蛯原は不意に笑みを浮かべた。

「──それでも、君の大事なものを、俺はメチャクチャにしてあげるよ」

店内には、蛯原の笑い声と魔物の唸る声が、どこかの民族の音楽に合わせて響いていた。