──夕陽に街が包まれていく。
町並みが、夕陽に照らされ綺麗な夕焼け色に染まっている。
つい先ほどまで人気の多かった街の中心部も、人通りがまばらになってきた。
子ども達が無邪気に走り回っていた公園も、静寂に包まれ始めた。
立ち並ぶ家々には、ぽつりぽつりと灯りが点り始めた。
山の境界に沈む夕陽が、どこか言いようのない寂しさを掻き立てていた。
そんな景色を、建物の屋上から一人の男が見つめていた。
着ているスーツはよれ、どこか無表情に、タバコをだらしなく口に加えながら鉄の柵にもたれ掛かる姿からは、どことなく頼りない印象を受ける。
「──こんなところにいたのか」
男の背後から声が掛った。太く落ち着きのある声だった。
声の主は暫く男が返事をするかと期待していたが、男が何も返して来ないのが分かると諦めたのか、男の側の鉄の柵にもたれかかった。
男がタバコをくわえているのを見ると、自分もタバコを吸おうと懐に手を入れて、結局何もとらずに出した。妻にタバコをとめられていること、内緒で買ったタバコが今朝バレて大目玉をくらったことを思い出した。
「すまないが……、一本わけてくれないか?」
何気無い気持ちで男に尋ねてみた、が男からは何の反応もなかった。相変わらず虚空を見つめている。
「少しは返事でもしたらどうだ、霧島」
それに対し霧島と呼ばれた男は名前を呼ばれると、まるで初めて気付いたような返事をした。
「あ、美作警部……っすか」
「なんだ、そのあからさまな落胆はにも似た表情は」
「い、いえ!そうではないんですが……、少し考え事をしていまして」
そういって『霧島 啓護』(きりしま けいご)は薄く笑ってみせた。笑っているはずなのに顔には影がさし、とても暗い印象がある。
その表情に声をかけた男、『美作 卓』(みまさか すぐる)は思い当たる節があった。
以前にも、霧島がこんな顔をする事件があった。
「……この前の事件のことか?」
「……」
美作の言うこの前の事件とは、ある姉妹が連続して何者かに殺害された事件のことだ。
最初の事件は公には自殺と発表されたが、それではどこか府に落ちない箇所が数ヶ所あるため、警察内部では殺人の線でも未だ調査を続けている。
犯人は同一犯との見方の強い事件であるが、それ以外に分かったことは特になく、犯人が男性か女性か、若いか年をとっているかなども分からなかった。
ただ言えることは、両方の事件ともに犯人は快楽を求めて殺害した疑いが強い、ということだった。
「分かりやすい奴だな。お前がそう気を病むことは、」
「確かに……そうかもしれませんけど、──でも!……でも、」
そこまでいうと、なにかを堪えるかのように霧島はうつ向き肩を震わせた。
そこから言葉が繋がらなかった。
──どのくらい時が経っただろうか。
夕陽は完全に山に姿を隠し、空には月と星が輝いていた。
建物の屋上に佇む二人の男は、特に会話をすることもなく、ただ鉄の柵にもたれていた。
その静寂を破ったのは、霧島の声だった。
「──警部、三年前の事件のこと覚えてますか?」
会話の内容は先程と違うものだったが、霧島の声は先程と変わらない真剣なものだった。
「三年前というと、お前がこの署にきた時期だな。あの年は信用金庫が潰れるというデマが流れ、実際に銀行が潰れそうになるという事件があったな」
「いえ、女子生徒の方っす。まだ犯人が捕まっていない……」
「あー、確か……、岩屋谷中学の女子生徒が何者かに殺害された、」
「そうっす、それです。あの被害者、ダチの妹だったんですよ」
「……」
「その子、根っからのお兄ちゃんっ子でね。昔はそれでよくダチをからかってました」
「……」
「その子が殺された前の日、そのダチの家にいったんっすよ」
「……」
「確かにあそこには日常ってもんがあったんですよ」
「……」
「おかしいっすよね。この前元気に話してた人が、次に会った時には棺桶に入ってるんすよ」
「……」
「しかも、その子の亡骸、顔がなかったんすよ。……あれじゃ、顔拝むこともできやしない」
霧島は依然として顔をうつ向けたままであったが、先程と違い声には落ち着きがあった。
しかし、逆にその異常なまでの冷静さが彼の抱えるものの大きさをはっきりと表していた。
「──そういえば、警部の娘さんは彩桜に通ってましたよね」
話が唐突に切り替わった。
面を上げた霧島の顔は、いつもと何も変わらない気の抜けたような顔だった。
「あ、ああ。そうだな」
「早く捕まるといいっすね、この前の犯人。それまで心配でしょ」
急に話を切り替えられ、未だ霧島の一言一言に集中していた美作は盛大に肩透かしをくらった。
「なっ、バカを言うな。──捕まえるのは私たちだ」
「それもそうっすね」
そういって、不意に霧島が吹き出した。
それにつられて美作も笑い出す。
二人の男は夜空の下、いつまでも笑っていた。
いつまでも笑っていた。
※
──夕陽に街が包まれていく。
町並みが、夕陽に照らされ綺麗な夕焼け色に染まっている。
つい先ほどまで人気の多かった街の中心部も、人通りがまばらになってきた。
子ども達が無邪気に走り回っていた公園も、静寂に包まれ始めた。
たち並ぶ家々には、ぽつりぽつりと灯りがともり始めた。
山の境界に沈む夕陽が、どこか言いようのない寂しさをかきたてていた。
そんな景色を、建物の屋上から一人の男が見つめていた。
全身を黒い衣服で固めた男はどこか怪しい雰囲気をかもしだしている。
「……俺を殺しに来たのかい?」
男が突然口を開いた。
しかし、男を除いて辺りに人の姿はみられない。
それでも男は続けた。
「君も気付いたはずだ……、いや、むしろ最初から分かりきっていたのかもしれないな」
始めは尋ねるように、あとの方は何かを確認するかのように言葉を紡ぐ。
そんな男の足元へ、二枚の写真が舞い落ちてきた。
男は別段驚くこともなく写真を広いあげると、一目確認し懐にしまった。
「まあ、どちらにしろ、君は俺に力を貸すよ。何よりも君が分かっているはずだ、『雇う雇われる』の関係に私情の入る余地のないことを」
その時、男の前髪を一陣の風が撫でた。
その風は北風よりも鋭く、そして冷たかった。
そして風の過ぎ去った後には、男が一人だけ残された。
いや、元より一人だけだったのかもしれない。
「とりあえず、俺は仕事さえ真面目にこなしてくれればいいんだけどね」
そう言うと男は、懐から二枚の写真を取り出した。
男は暫くの間写真を愛おしそうに凝視していたかと思うと、不意に不適な笑みを浮かべ始めた。
「次は君がいいな……、その前にやることがあるか」
一通り笑うと、男はその場から去っていった。
夕陽は完全に山に姿を隠し、空には月と星が輝いていた。
建物の屋上に、人の姿は見えなくなった。