──公園に人間が二人いた。
一人は、その地域で特に有名な学園の制服を身にまとった少女。
だが、普段着こなしているはずの制服は縒れ、無気力で、その双眸に宿る光はどこか儚く、ただひたすら虚空を見つめていた。
一人は、全身を黒い衣服で固めた男。
年は少女と五つか六つほど離れているだろうか。しかし、例え同じ静寂であっても、彼のまとった雰囲気は少女のものとは完全に対極を為すものだった。
二人の人間は、ただただそこに存在していた。
どちらが動くというわけでもなく、時間だけがゆっくりと流れていた。
──どれほど時が経っただろうか。
公園から人間はいなくなった。
──どれほど時が経っただろうか。
公園には大勢の人間が、忙しそうに動いていた。
その中心にいるのは、その地域で特に有名な学園の制服を身にまとった死体だった。
人間は死体のまわりにマークをつけたり、白い粉を振りかけたり、写真を撮ったりしていた。
「──こりゃ、ひでぇ……」
人間が一人、率直な感想を洩らした。
その人間は、言うや否や耐えきれなくなったのか、口を押さえトイレのある方へと駆けて行った。
無理もなかった。
死体には、無数の穴が空いていた。
死体には、皮を剥がされたあとがあった。
死体には、首がなかった。
死体には、
「──おい、霧島」
人間が一人、死体の側に立っている男に声をかけた。
「……この事件をどう思う?」
質問というよりも確認に近い質問。
霧島と呼ばれた男は、あまり興味が無さそうに答えた。
「……前の事件と同じヤツじゃないっすか?」
「お前もそう思うか」
それっきり会話は途絶えた。
男の前には、ただ死体があった。
そして、男はただ死体を眺めていた。
その男が、不意に視線をこちらに向けた。
不思議な静寂が流れる。
「お前……、犯人しってっか?」
男が突然口を開いた。
「──ま、鳩に聞いたとこで分かんねぇか」
そしてすぐに否定する。
そんな男も、今度は違う人間に呼ばれたらしく死体の側を離れていった。
男の向かう先には、いつかの公園で見掛けた少女がいた。
そして、
死体の側には誰もいなくなった。
※
眩しい朝日と共に、彩桜学園の生徒が登校する。
ある者は歩いて登校し、ある者は自転車に乗り、ある者は電車を利用し、またある者は寮から通っている。
登校の仕方は様々であるが、いずれの生徒も朝のショートタイムが始まる頃には、必ず席に着いていた。
数年前に行われた学園の統合により、生徒数は五千弱という巨大学園になった彩桜学園は、その際校則が一段と厳しくなった。
中でも生徒たちから特に恐れられているのが、
『遅刻厳禁』
だった。
一見すると単純明快な校則だが、その裏では様々な噂が飛び交っていた。
遅刻したものは学園の敷地に入れない。
遅刻したものは各教科のプリント二百枚が課せられる。
遅刻したものはグランドを六十周走らなくてはならない。
遅刻したものは授業料が二倍になる。
遅刻したものは性的恥辱を味わう。
遅刻したものは晒し首となる。
どこまでが真実で、どこからが虚構なのか定かではないが、彩桜学園の生徒に故意に校則を破るものはいなかった。
しかし、
「──今日もマーシャルがいない……」
凛が主のいない机を見て呟いた。
本来ならばその席には岸田マーシャルが座っているはずだ。
しかし彼女は、姉の葬儀などにより数日前までは忌引ということで欠席していた。
彼女の両親は既に他界しており、また身近に頼れる存在のない彼女にとって、姉を弔うことが出来るのは彼女自身だけだった。
──マーシャルの姉、マリアは自殺した。
しかし、それはあくまでも警察が発表した"タテマエ"にしか過ぎない。
最後に学園にやってきたとき、彼女は凛にそんなことを洩らした。
あれから一週間が経つ。
流石に忌引というわけではないだろう。
彼女に一体何があったかは分からないが、何か大変なことが起ころうとしているのかもしれない。
「──今日もマーシャは休みか……」
そんな凛の思考に親友が割って入った。
凛が視線を向けると、そこに立っていたのは波々だった。
普段の彼女とは違いその顔にはどこか不安を浮かべている。
以前聞いた話では、波々とマーシャルは幼年学校の頃から大の仲良しだったらしい。それは、彼女がマーシャルを、古くからのあだ名である『マーシャ』と呼ぶことからも容易に窺い知る事が出来る。
そういうこともあって、マーシャルの失踪には人一倍言い知れぬ何かを感じ取ったのであろう。
「波々……」
こんな時に親友にかける言葉を凛は知らない。思いつきもしない。
気のきいた言葉の一つや二つ言えたらどれほどよいだろうかと考えてしまう。
そのとき、まるで凛の心の内を見透かしたかのようにチャイムが鳴った。教室から喧騒が失せ、同時に担任の神宮寺龍が教室に入ってきた。
「きりーっ!」
クラス委員が元気に声をあげた。彼は野球部に所属しているせいか何かと声が大きい。特に朝は元気が有り余っているせいか、声を出しすぎて度々神宮寺にツッコミを入れられる。
そんないつも通りの光景なのに、どこか違う。
凛は気付いた。
普段は教室の誰よりも、生徒よりも気力に満ち溢れた神宮寺だが、今日の彼の表情はどこか重かった。
ツッコミもなかった。
号令のあとは担任からの諸連絡がある。
凛には神宮寺が今からどのようなことを話すのかが、なんとなくわかったような気がした。
凛は大人があんな表情をするときに、どんな話が切り出されるのかを知っていた。
「──えー……。今日は皆に悲しい知らせがある」
いつもとは違う声色にクラスの誰もが息をのむ。
「先日から休んでいた岸田マーシャルが、」
神宮寺はそこで一旦区切ると、まるで自分に言い聞かせるかのように残りの言葉を吐き出した。
「昨日、亡くなったとの連絡が入った」
クラスのどこからか、椅子を倒す音が聴こえた。
凛は振り替えることはなく、親友が教室を飛び出していくのをただ背中で感じていた。
※
──マーシャルが死んだ。
凛はダンベルを持ち上げながら考えた。
担任は理由などについては詳しく語らなかった。しかし、マーシャルが最後に自分に言ったことが正しければ、彼女も何者かに殺されたのではないのだろうか。
彼女に一体何があったのかは分からないが、何か大変なことが起ころうとしている、いや、起きているのかもしれない。
「──凛ちゃん。ちょっといいかしら?」
その時、凛の思考を中断する形で限りなく優しい声が降り注いだ。
「あ、先輩……」
見ると綾風渚がこちらに向かい手招きをしている。
「どうしたんですか?」
凛が渚の方へ向かいながら声をかけた。
「……マーシャルちゃんが亡くなったらしいわね」
「そうです……」
渚はそこで少し考え込むようなそぶりを見せると、先程より少し声を落として聞いてきた。
「あなたは何か感じた?」
「えっと、美恵のこと思い出しちゃいました」
「──えっ……」
予想外の答えだったのか渚が驚きの声をあげる。
「ほら、三年前のことです。あの犠牲者、美恵は私と同じクラスだったんです……」
「……そうなの」
凛のいう三年前のこととは、三年前に起きた殺人事件のことをいう。
女子学生が何者かに殺され、犯人は未だ捕まっていない事件だ。
「──ねぇ、凛ちゃん」
「なんですか?」
「実は、マーシャルちゃんを最初に見つけたのは私なの」
「えっ……」
「ある人に言われて、普段は行かない公園に行ってみたら……」
「……」
「凛ちゃん」
「…に…ですか?」
「……黒い男には近付かない方がいいわよ」
「えっ……」
「それだけは伝えたかったの。彼は危険過ぎるわ」
それだけ言うと、渚は返答も聞かずにかけていった。
走り去る際、制服の端から見え隠れする渚の首や手足には、先日までは見られなかった痣のようなものが確認できた。
「──『近付かない方がいい』、か……」
凛は未だに渚の真意を飲み込めずにいた。
そんな凛を密かに見つめる瞳が二つ。
渚が凛に話しかけた時から二人を見つめていた瞳は、凛が気配に気付いて振り返ったときには既に姿を消していた。
後には、呆然と立ち尽くす凛と、寒気を帯びた風だけが残された。