「──今日はありがとう。わざわざ買い物に付き合ってもらっちゃって…」
「いえ、そんなこと。私も久しぶりに先輩と話しができてとても楽しかったです」

夕陽が山に吸い込まれていく。
綾風 渚(あやかぜ なぎさ)は考える。
何に置いても、物事の終わりというものは儚く、そして寂しい。例えそれが人工的な物であっても、自然が産み出したものであっても、だ。
天崎 凛(あまさき りん)もまた考える。
太陽が沈む時、それは同時に夜の訪れを示している。今日という一日が終わる瞬間、太陽は一段と輝きを増す。
そして、その最後の輝きを浴びながら、石田商店街の通りを二人の少女が──両手にポッポデパートのロゴとマスコットキャラクターと思われる清楚な感じの女性のイラストが入った大きな荷袋を抱えながら──歩いていた。荷袋からは野菜や肉類、お菓子やスィーツなどのシルエットが窺えた。その他にも、衣類や日用雑貨品など"セール"の文字が目立つ。

「ところで、凜ちゃん。部活の方はどう…?」

一人の少女が尋ねた。この右手に生後六ヶ月ほどの赤ん坊ほどの重さの紙袋を抱え、背中にはまるで小説やゲームの世界にしか存在しなくなってしまったであろう西洋の勇者や東洋の忍者が己の獲物を持ち運ぶときのように以上な長さを誇るフランスパンをたすきがけにかけている少女の名前は、『綾風 渚』(あやかぜ なぎさ)と言う。

「先輩が部活を辞めてから、いろいろあって大変だったんですからね!?」

一人の少女が答えた。彼女は両腕に、近隣の地域に放送される地域チャンネル"ぴぽっと石田"で先日放送された世界選手権十七連覇を狙うけん玉世界一の人が毎日持ち運び腕力を鍛えているという二十キログラムダンベルの数倍から数十倍ほどの重さがあるであろうことが用意に想像がつく荷物を持ち、背中には持っているだけで時と場所によっては警察官に止められてしまうのではないかと思うような凶器ともとれる日用雑貨をひっさげた少女は『天崎 凛』(あまさき りん)と言う。

「そういえば、凜ちゃんは合唱部とパワーリフティング部の両方に所属していたわよね?」

渚が挙げた部活は、両方とも凜たちが通う彩桜(さいおう)学園を代表する部活だ。
特にパワーリフティング部は昨年から『妖精』の異名を持つ生徒が現れ、インターハイにも二年連続で出場が決まったばかりだった。

──最も、凜は所属こそしてはいるが主力メンバーと言うわけではないので、二つの顔を持つことが出来ているというわけだ。

「そうなんですよ!最近、特にパワーリフティングの方が忙しくなってきて……」
「ふふ…相変わらず頑張っているようね。かといって、合唱の練習をサボってはいけないわよ?」
「なっ、なんで先輩がそのことを!?」
「部活を辞めたといっても、自然と情報だけは入ってくるものなのよ」
「──うっ……。ショウチシマシタ……」
「それに、勉強も頑張らないとダメよ?」
「そっ、それは言わない約束ですよ!もしかして、私が勉強出来ないことを知ってて言ってるんですか?」
「もちろん知っているわよ。だからこそ言っているの」
「えー!?ヒドイじゃないですか!」

他愛もない会話が、日常の何気無い平和を演出してくれる。
他愛もない会話が、途切れることのない時間の連続性を思い起こさせてくれる。
失われた何かを補うかのような、そんな"いつも"が未だ残っていることに、凜はどことなく懐かしさを覚えた。

「そういえば、芹川君とはどうなの…?彼、アナタに『恋文』を送ったみたいだけど…」
「──えっ?」
「今日は、デートでカフェに来たんでしょう?でも、さっき見た感じだと、何か初めてみる男の人と一緒だったような気が……」
「……」

──そのことには触れないでほしい。
凜は必死に願った。
その話題には早々とピリオドを打ってほしかった。
しかし、喉が潰れたかのように声が出ない。

「彼は一体何者なの…?」

──そんなことは疑問に思わないで欲しい。
頭の中が真っ白になって、自分が何を言えばいいのか分からなくなってしまう。
まるで、目の前の世界が歪んでしまうかのようだった。

「あっ、あの人はなんでもないですよ」

やっと出た精一杯の言葉は、ちぐはぐな散らかったパズルのようだった。

「そう……、それならいいんだけど…」

渚がそこまで言ったところで、目的地である喫茶店が見えてきた。
店の前には少し遅くなってしまったからか、喫茶店のマスター──渚の父親──が心配そうな顔をして待っていた。
ふと空を見上げれば、確かにあるのに見えない月、新月が出ていた。
少し前まで輝きを放っていた太陽は最期の時を向かえやがて隠れてしまった。

そうして、暗闇が二人の影を呑み込もうとしていた。








「おいーっす!お?どーした、凜。珍しくアンニュイだな」
「……」
「おーい、聞こえてるかー?」
「……」
「凜たろー?返事しな」
「──珍しくアンニュイな天崎凛の背中をバシバシ叩きながら笑うのは止めてほしいと私は思う!」

月曜日になった。
全国の学生の大半が憂鬱な気分を纏いながら学校へ行くブルーマンデーの日だ。
もちろん、天崎凛も例外ではない。彼女は月曜日になると、通常のテンションの三十パーセントオフで学校生活をお届けしている。
しかし、『津浦 波々』(つうら なみは)は例外だった。彼女は一週間を通して、常人の二倍から三倍のテンションを維持し続けることが出来る。
そんな氷河期人間と常夏人間の彼女たちだが、二人は親友だ。

二人が出逢ったのは、彼女たちが学園に入園してから四ヶ月ほど経った頃だった。
あの日も月曜日で、凜はブルー全開で校舎の中をブラブラ散歩していた。
真夏の空は、入道雲と青色のコントラストが美しく、天空を駆ける一羽の鳩が眩しかった。
真夏の大地は、緑が青々としげり、セミの鳴き声が辺り一面に響きわたっていた。
そのまま視線をずらし、校庭の方に目を向けると、屋外運動部の生徒達が爽やかな汗を流しながら部活動をやって、

ゴンッ!

凜が夏の学園についてナレーションをしていると、彼女の顔に突然黄色いテニスボールが食い込んだ。

「あっ!……あちゃー」

そして、黄色いテニスボールを放った──二ヶ月もかけて誰もとることの出来ないであろう必殺サーブを生み出した──張本人は顔を手で覆い、『私が犯人です』と言わんばかりの分かりやすい格好で立っていた。
しかし、凜にはその生徒が二人にも三人にも見えた。星かひよこか分からない謎の生命体も目の前を回っている。
そして凜はKOされた。
ボールを放った生徒、その生徒こそ、津浦波々その人だった。

「…ところで凜よ。本日のお昼飯はどうするか?」
「『お昼飯はどうするか?』って、まだ一限も終わってないけど、」
「そうか、じゃあ今日は屋上に行って食べるか。例え寒くなってきたとしても、そのような場所をチョイスする凜が私は好きだぞ」

まるでコミュニケーションがとれていなかった。

案の定、屋上は寒かった。
彩桜学園は校舎屋上に小さいながらも庭園を持ち、そのことを誇りにしている。
昼になれば生徒たちの笑顔で溢れ、また生物のフィールドワークにも利用される、とは学園発行のパンフレットのうたい文句だ。

「──寒……」

しかし、冬も近くなれば必然的に生徒の出入りも減少する。
わざわざ寒い中ここまできて昼食を食べようと言うのは、氷河期と常夏だけだった。
その時、庭園と校舎の唯一の出入り口である扉が大きな音を立てて駆動率百二十パーセントまで開いた。
反射的に振り返った常夏と、反射的に背筋に悪寒を感じだ氷河期。常夏の目の前に立っていたのは、冬物のセーターにマフラー、それと矛盾するような校則ギリギリを少しオーバーしてしまったスカートをはいた少女だった。
その少女は瞬き一つで氷河期と間合いを詰めると、反射させる暇もなく押し倒し自分の体重をもって相手を行動不能にした。
マウントポジションの完成である。

「──せ、先輩!なんで私(わたくし)を昼食にお呼びしてくださらなかったのですか?」

そう言うと、少女の頬を大粒の涙が流れた。
それと同時に、少女は自分が着ていた冬物のセーターとマフラーを脱いだ。

「わたくし……、美作(みまさか)はこんなにも先輩のことをお慕い申し上げてますのに……」

少女は涙を拭うこともせず、小刻みに震えていた。
それと同時に少女は自分のブラウスのボタンを外し始めた。
しかし、彼女は悲しくて泣いている訳ではなかった。
しかし、彼女は悲しくて震えている訳ではなかった。

「──……やっと、二人っきりになれましたわね」

そう言いながら、少女の手は、凜のブラウスのボタンを器用に一つ二つと外していた。

「もう、誰にも邪魔はさせませんわ……」

彼女の顔には悪魔のような笑みが浮かんでいた。
いま確かに目の前の少女が舌なめずりをする瞬間を目撃し、

ドンッ!

常夏の強烈なタックルが少女を三メートルは吹っ飛ばした。
そして吹っ飛んだ少女を指差して一言。

「──やめろ、泥棒ネコ!凜は私のモノだ!」

それに対し吹っ飛ばされた少女は華麗に受け身を取りながら一言。

「あら、暴力女先輩ではありませんか。いつからいらしたのですか?」

二人の少女の間には竜と虎、犬と猿、嫁と姑のように、青白い閃光がはしっていた。
一方凜は、ブラウスのボタンをとめると、側に落ちていた冬物のセーターとマフラーを纏い弁当を食べ始めた。 今日の卵焼きは少し胡椒を入れすぎたかもしれない。

彼女にすれば、それは日常だった。








俺は、公園に辿り着いた。
この公園は少女に事実を告げて以来訪れてはいなかった。
そもそも、それまでここに公園があることも知らなかったのだが……。
その時、何かが視界を横切った。その何かは、近くの砂場に着地するとこちらを見つめ返してきた。
鳩だ。
仲間とはぐれたのか、他には姿を見ない。
暫く見つめていたが、鳩は一向に視線を外そうとしなかった。

「──アナタはたしか……一人きりでこんなところで…一体何をしているの?」

声をかけられた。聞き慣れない声だったが、確か、

「──綾風、渚…だったか?」
「え、ええ。そうよ…。私、アナタに名前を教えたかしら?」
「あの時、お前の着ていたエプロンには名札が付いていた。たまたまそれを見て、たまたま覚えてただけだ」

こんなところで会うなんて少し予想外だった。といっても、大体は予想通りともいえる。
佐久間の情報網の広さと信憑性は半端じゃない。味方ながら、恐ろしい奴だ。

「一つ頼みがあるんだがいいか?」
「……何よ?」

別に頼む気なんて毛頭なかった。ただ一枚の写真を見せればそれで済む。
目の前の少女も、いつかの少女と同じような反応を見せた。
俺はいつまでこんなことを続けるのだろうか。
ふと視線を外した先、先ほどまで鳩がいた場所。
そこにはもう、鳩の姿はなかった。