日曜日になった
空はどこまでも蒼く、飛行機雲が天空を不格好に二分していた。そっと肌を撫でた風は、ほんのりと湿気を含み季節の移り変わりを感じさせた。
日曜日はあらゆる地域、あらゆる国にとって休日にあたる。普段は寝グセを直す暇もないほど急いでサブウェイに飛び乗り、仕事のディスコールに耐えるだけの人々も、この日ばかりはダラダラ昼まで寝たり、愛しのペットとデートしたりと思い思いの時を過ごすことができる。
そうして繁華街は人で溢れかえり、街の至るところから喧騒が聴こえてくるようだ。通りですれちがう人々の顔は皆楽しそうな笑顔を浮かべている。
しかし、それとは対照的に、通りの中央を歩く少女はドス黒いオーラを放っていた。

「―――わたし……、何してるんだろ」

そういって少女は大きな、深い溜め息をついた。
彼女の名前は『天崎 凛』(あまさき りん)という。どこにでもいる、ごく普通の少女だった者だ。
だが、いまとなってはそれも過去の話となってしまったが。

「"何してる"って、今から僕のオススメの喫茶店に行くんですよ」

そういって少年が答えた。
彼の名前は『芹川 湊』(せりかわ みなと)という。親が資産家との噂が流れる、一部の地域でとても有名な少年だ。
何でも完璧にこなす彼は、勉強だけでなく運動や対人関係においても他人より秀でていた。

「安心してください。マスターとは付き合いが長いので、味は保証します」

言いながら微笑んだ。完璧な笑顔だった。
それに対し、凜はありがとうといって小さく笑い返した。別に今から行く場所に不安があるわけではなかった。 むしろ、凜にとって芹川との初デートは喜ぶべき出来事であり、事実とても楽しみにしていた。
しかし、予想外の事件が起きた。

「──俺は喫茶店とか洒落たとこより、ゲーセンの方がいいんだがな」

そういって男が会話に割り込んだ。名前は……、凜は男の名前を知らなかった。
年は凜と五つか六つほど離れているだろうか。全身を黒い衣服で固めた彼はどこか怪しい雰囲気を醸し出している。
そんな男が凜の目下の悩みだった。

「そんなこと言わないでくださいよ。喫茶店だって、ゲームセンターに負けないほど面白いものを持っていますよ」
「へぇーへぇーへぇー。……例えば?」
「あー……、馴染みのマスターとの会話とかですかね?」
「そりゃ、お前にとっては楽しいかもしれねぇがよ。ってか何で疑問形で返してくんだよ」

二人して笑った。流石は芹川君だ。初対面の相手でもまるで旧知の仲のように接している。一方で凜は完全においてけぼりをくらってしまった。

今日の朝、待ち合わせ場所に着くと芹川と男が既に到着し楽しそうに話していた。
芹川は待ち合わせをした相手だ。何の疑問も浮かばない。
だが、あの男は呼びたくて呼んだわけではなかった。男を呼ばなくてはならない理由があったのだ。
天崎凛は、彼に脅迫されていた。
そして、このデートは男が望んだモノだった。



──夕闇に街が包まれていく。
長い沈黙の末、先に口を開けたのは男の方だった。

「へぇー。写真よりもカワイイんだな」

学校の帰りに男に捕まり、近くの公園まで来て十分ほど経っていた。風は冷たく肌にあたり、木々のざわめきは夜の訪れを教えているようだった。

「どうして……。どうやってあなたはその写真を、」
「──いまお前が心配すべきことは、『ここまでどうなったか』ではなく『これからどうなるのか』ということだろ」

確かに男の言うことは最もだった。
だが、凜はこの不条理に、理不尽さに納得できなかった。もっとも、納得できるかできないかの問題ではなかったが。

「お。その手紙は何だ」

男が指差したのは、凜のカバンから顔を覗かしていた封筒のことだった。
男は凜に返答を求めることはなく、まるでそれが当たり前のことであるかのように封筒を抜き取り読みだした。 再び沈黙が流れる。
流石は便箋十枚にも及ぶ力作だ。
しかし、今の凜にとってはその長さが忌まわしく、否定しがたい現実をより鮮明に受け止めさせることとなった。

「ふーん。いいんじゃねぇか、行けよ」
「──なっ……」
「そうだな……。日曜の昼に、」

そういって男は待ち合わせ場所や服装までいろいろと注文をつけてきた。もちろん凜に選択肢はなかった。 天崎凛は、彼に脅迫されていた。



ちぐはぐ三人組が街をゆく。
あれから何度か話題をふられたのだが、真ん中を歩く凜のテンションが異常に低いことから、ほとんど会話らしい会話はなかった。
そのようにして少し行くと、当初の目的地である喫茶店に到着した。少し歴史を感じさせる、どこか懐かしい雰囲気を放つ店だ。
看板には『カフェマラ』と書かれていた。

ドアを開けると、からんからんと涼しい音が店内に響き渡り客が来たことを伝えた。
芹川にとってその店は一際思い入れのある店だった。
それは芹川がまだ幼いときの話だ。この店は強盗に襲われ店の運営が出来なくなってしまったことがあった。
その時に、マスターの妹が重傷を負い、また常連客の一人も怪我をした。
そのため、マスターは一時は店を閉めることを考えたが、常連客などの熱い要望により再び営まれることとなったのだ。

「マスター、コーヒー牛乳…ってその前にこの人たちを紹介しますね」

そういって芹川はうなだれている少女と、暇そうに欠伸をしている男をマスターに紹介した。

「ああ、はじめまして。坊ちゃん久しいね」

そういって歩いて来たマスターは、右足が悪いのか杖をついていた。

「ああ、これかい」

凜の視線に気が付いたのかマスターが答えてくれた。

「これは昔のやんちゃの名残だよ」

そういって遠くを見つめたマスターの瞳は、どこか虚ろで同じ時を過ごしてきたであろう人々よりも苦労してきたであろうことが容易に窺えた。

「マスター。そのへんにしといてくださいね。あなたの昔話はとても長いですから」
「坊ちゃんも言うようになったね。いや、すまないな」
そう返したマスターの瞳は、今はしっかり前を──凜達のいる方向を──見ていた。
「お二人さんは何にするかい?」

幾人もの人々が店の前を行き交う。人々の顔は皆楽しそうな笑顔を浮かべている。
しかし、それとは対照的に、店の中で紅茶を飲む少女はドス黒いオーラを放っていた。

「わたし……、何してるんだろ」

そういって少女は大きな、深い溜め息をついた。
彼女の前には二人の男がいた。一人はコーヒー牛乳を美味しそうに飲んでいる。
もう一方の男は、

「マスター。ジャムかなんかあるかい?」

マスターに変な注文をしていた。
凜は、一体ジャムを何に使うのかと横目で見ていると、男はマスターから受け取ったジャムをスプーンで山盛りにすくい、それを自分のお茶の中に入れた。
信じられない光景だった。凜が絶句している間にも、男は執拗にスプーンでかきまぜ、ジャムを溶かそうと努力していた。

「あ、その飲み方美味しいですよね」

そして、何故かそれに同調する芹川という少年。

「やっぱ普通そうだよな!俺はイチゴジャムが一番美味しいと思うんだが」
「あ、それ僕も同じ意見です。やはり他のジャムとは比べ物になりません」

二人して笑った。この二人は案外波長が合うのかもしれない。一方で凜は完全においてけぼりをくらってしまった。
こんな予定ではなかった。
初デートとはこんなものなのか。
世界中にいる少女は皆このような初デートを経験しているのか。
こんなものなのか……。
そんな自問自答の無限ループに凜が入り始めた時だった。
店の奥から一人の少女が現れた。
その少女はマスターと二言三言話したかと思うと、何かメモをとって店から出ていこうとこちらにやってきて、

「──あれ、凜ちゃん。こんなところで何をしているの?」
「……センパイ?」

話しかけてきた少女は、凜と同じ学校に通う一つ学年が上の先輩、『センパイ』こと『綾風 渚』(あやかぜ なぎさ)その人だった。