―――――ある日曜日の朝、あの男が交通事故で入院したというので、びっくりして、母さんと一緒に、病院に見舞いに出かけました。
母さんは気楽に構えていましたが、私にとっては、この見舞いが最初で最後、まさしくLast Dance そう、つまりは私とあの男のLast Stageになる、そう覚悟していました。あの時までは…。
私の名は…いや、いいだろう。私に名前など無い、いや、必要ないのだ。私は私であり、私でないのだから。
今から私が殺そうとしている男は、血の繋がりだけで言えば、私の実の兄にあたる。本当に、血の繋がりについてのみであるが。
ここは、まだ駅のプラットホームだが、私は既に臨戦態勢。勿論、装備も完璧。抜かりはない。あらゆる事態を想定し、頭の中で、あの男をいかに殺すか、そればかり考えていた。
――――そもそも、オレはあの女が気に食わなかった。五つも年下のくせに、ともすれば、年上のように振る舞うからだ。平たく言えば、まるでアイツが姉で、オレが弟みたいに…そんな風に接してきやがる。あぁ、目ん玉を抉り出したい。耳から何かを突っ込んでグチャグチャに掻き回してやりたい。アイツがいなくなれば、オレの心はどれだけ清々しく、晴々しくなるだろう?しかし、オレは知っていた。アイツを殺しても、虚しさだけしか残らない事を。それでも、オレは…
《第一幕・誠と蒼眼と某くーまん 〜時々、悪寒〜》
「はぁ…」【因果なものね…でも、アイツが事故で死ななくてよかったわ…】
駅で電車を待つ少女は、いかにも落ち着き払った様子で、心に押し寄せる緊張を紛らわすために何度も溜め息をついた。
事故で死ねば手間が省ける、とか、そういう類の事は考えない。考えられない。
あの男を殺せるのは、私と、あの忌々しい男のコピーとして生み出された、哀れな青年だけだ。
思えば、彼はどうなってしまったのだろう?確たる存在でない彼は、時の流れに呑み込まれてしまったのだろうか?
なんにせよ、彼はもう、二度と私の前には現れないだろう。
もし現れるとすれば、私が棺に入る時だ。いつものようにどこからともなくふっと現れ、あの色素の抜けた紅色の瞳で私の亡骸を悲しそうに見つめるのだろう。
ふと、自分が棺に入る、そんな光景が頭に浮かんだ。不安が過ぎる。
『私に、あの男が殺せるのだろうか…?』
『棺に入ったら、文字通り箱入り娘だな…』
と。
私は、おそらくあの男には勝てない。最高でも刺し違えが限界、悪ければ即死。戦いになどならないかもしれない。
油断を見せれば、人を裁くためだけに生まれてきたあの男の餌食になる。
あるいは、もう…
その時、電車の到着を告げるベルが鳴り響いた。
第二章『絶望は常闇より深く』 完