愛する彼女。私は、確かに彼女を愛している。
――――――――故に、殺したい。
私は怖いのだ。
彼女が何処かに行ってしまうのが。
―――――――彼女が、私のものでなくなってしまうのが。
…故に、殺したい。
―――――いや、正確には、殺したいほど愛している。
…私に…そして彼女に…何が起きても大丈夫な様に、殺す。
――――そう、殺せば彼女は永遠に生き続けることが出来るのだ。
私を取り巻く永遠の中で……………
―――――遂にこの日がやってきた。
そう、計画を実行に移す日だ。
いつものようなささいないさかいや、口喧嘩とも今日でお別れだと思うと、含み笑いを禁じ得ない。
……愛する妻の殺害。そのためだけに考え出した方法はいたって簡単なものだ。
彼女が、仕事から疲れて帰って来たときに、刺す。たったそれだけ。
どこを刺そうか?やはり頭…いや、腹か。
…陰鬱な私の気持ちとは裏腹に、出勤前の彼女は、クセのある黄色い声で気安く私に話しかけてきた。なんと、今日から社員旅行に行くのだという。
『冗談ではない!』
私は心の中で憤慨した。だが顔には出さない。出せない。
そうか…社員旅行か。暢気なものだな…。自分の命が狙われているとも知らずに。
しかし、このまま社員旅行に行かれるのはマズい。今は決心がついているが、流動する時の中で人は変わり、迷うものだ。おそらく、今日殺さねば、私は永遠に『その機会』を…失ってしまう。
『――――――いたしかたない。』
…私は、作戦を少々変更することにした。
『そう、今だ。今すぐ、殺せばいいのだ。このチャンスを逃す訳にはいかない。そうだな…会社には私から連絡し、彼女は熱を出したとでも言っておけばいいだろう。』
思い立った私は、彼女を玄関で呼び止めた。
――――そして。
笑顔で振り向く彼女の腹に、刃渡り数十センチの刃物を突き立てようとした。
ドッ・・・
…私の周りだけ、全ての時が止まったようだった。
ポタ・・・ポタ・・・
フローリングの床に、生温く、何よりも赤い血潮が垂れ滴る。
―――おかしい。
何故、彼女は倒れないのだ?
不意に視線を玄関の鏡の方にやると、私はそこに映し出された光景に愕然とした。
――――刺されているのは他でもない、私自身だったのだ。
崩れ落ちる様に倒れた私に、彼女は、優越感に浸っているのであろう表情でこう言った。
「アナタが私を殺そうとしていたのは知っていたわ。ず〜っと前から、ね。アナタが今日、私を殺す気でいたというのも、もちろん知っていたわ。だから、アナタを焦らせるために……嘘をついたの。最初で最後の嘘を。今日から社員旅行だ……っていうね。でも、その嘘は今から半分本当になるわね…。アナタの処分も無事成功したことだし、これから、私は温泉旅行にでも行くことにするわ。」
――――――そう、か。
どうやら、彼女の方が一枚上手だったようだ。
彼女は、倒れ伏す私を一瞥し、軽快に青空の下へと出て行った。もう、二度と戻ることのない『巣』から。
一瞬、彼女の後ろ姿の先に、眩暈がするほどまでに深い…闇の様な蒼が見えた。
プルルルルル・・・
私以外の主を失った家の奥で、ただただ電話が鳴っている。
――――――私は最後の力を振り絞り、電話に出た。
そして――――――
「あ、もしもし。有限会社●●の者ですが、奥様は……」
「彼女、今日は休みます。熱があるみたいで……」
―――――そう、私は彼女を愛しているから…
END