シャワー室で襲われた翌日、虎徹は襲ってきた張本人のバーナビーに顔を合わせづらくて逃げていた。
腰のあたり蟠る微妙なだるさも昨日を無理やり思い出させるようで、余計に微妙な気持ちにさせられる。
まさかこの年になって、男に襲われるとは思っていなかった。
プラス、あんなに気持ち良くなったのも久しぶりで、余計に恥ずかしさにいたたまれなくなってくる。
男の身体というのは正直で、感じていることを隠せない。如実に表してしまうのが厄介だ。
しかも、犯してきた相手に向かってあまつさえ”おねだり”までしてしまったのだ。
噴飯もの以外の何物でもない。
一晩……途中で寝てしまったが、悩んで悩んで悩みぬいた揚句、とりあえず街をふらつくことにした。
アポロンメディアのビルに行けば、バーナビーに顔を合わせる確率が上がってしまうし、トレーニングセンターも鬼門すぎる。いつもの行動をとればそれはすなわち、顔を合わせるかもしれないということ。今の状態で顔を合わせてしまえば、どうなるか分からない。
殴りたいとは思わない。ただ、なぜあんなことをしたのか聞きたい。だが、昨日の自分を思い出すと恥ずかしくて恥ずかしくて、穴を掘って中に入りたくなってしまう。
今はまだ駄目だ。もう少し落ち着かないと、おちおち問いただすこともできない。
ぼんやりとしながら、虎徹は公園へたどりついた。
平日昼間の公園は人が少ない。散歩中の老夫婦や、子供連れの母親。ペットの散歩中の青年。そのだれもが穏やかな表情だ。
平和、とはこういうことを言うのだろう。
木陰に見つけたベンチに腰を下ろし、そんな光景を虎徹は見つめる。
正直驚いたが…気持ち悪いという感情はなかった。
男同士に偏見があるわけではないが、自分が巻き込まれるとは想像していなかった。
なんとなく、バーナビーから向けられる感情には気づいていたが確信はなかったし、まさか直接襲われるだなんて考えつきもしなかった。
何よりも、身体は快感に流されてしまったことが悔しい。
「なんで……あんなに良かったんだ」
ぼそりと零し、久しぶりに人と共有する快楽に心地よさを覚えたのも事実だった。
今まではするほう――もちろん、それは女性への話だが、されてはじめて、自分がこれほど弱かったのだと知った。
胸を触られているだけでイきそうになっただなんて、恥ずかしくて誰にも言えないけれど、あのままもしされ続けていたらイけたのだろうか、そうしたらどれだけ気持ちよかったのだろうか、なんてあり得ない考えも頭に浮かんでくる。
いやいやと考えを追い払うように虎徹は首を振り、いかにバーナビーと顔を合わせずに過ごせるかを考え始めた。
無意識に左手の薬指の指輪に右手を這わせ、小さくため息を落とす。
娘もいるようなおじさんが、まさか男とこんなことになるとは夢のようで、死んだ妻になんとなく背徳感を感じてしまう。
こんなことをしてていいのか、亡くなった妻に何と言って顔向けすればよいのか。
ずっと指輪をはめているせいでほかの指よりも幾分か細い印象を受けてしまう薬指を見つめ、さまざまな思いが交錯していく。
と、呼び出しのコールがかかり、びくっとして虎徹は思わず身体を跳ねさせてしまう。
「事件よ」
聞きなれたアニエスの声に、大きなため息をひとつ。
行かないわけにはいかないし、バーナビーと顔を合わせなければいけない。
ここで行かないなんていう選択肢は、虎徹にはありえなかった。
全てを振り払うように両手で何度か気合を入れるように頬をたたき、虎徹は勢いよく立ちあがってその場を後にする。
どうか、どうかいつも通りでいられますようにと。
事件はあっさり犯人を逮捕して終わった。
正直虎徹はあまり活躍はできなかったが、市民を守ることはできた。けが人はいなかった、それで充分だった。
そして、あっけないほどバーナビーとは何もなかったことに、安心して肩の力を抜いた。
思っていた以上に、そう、何もなかった。
バーナビーと会話することもなく、終わってしまった。
良かったと思うと同時に、拍子抜けしてしまった。
一仕事終わった後の汗を流すためにシャワーブースでシャワーを浴びる。
ここにいると、昨日を思い出すが、汗まみれで帰るのは嫌だった。
昨日を追い払うように、だがもしもバーナビーが来たらと思うと怖くて、手早く汗を流してシャワーブースを出た。
コックを捻ってお湯を止め、扉にかけていたタオルで水気を落としてサクッと着替えてしまう。
周りを気にするようにこそこそとあたりを見回し、その場を後にする。
途中アントニオとすれ違い、飲みに誘われた。
久しぶりに二人っきりで飲むか、とバーに向かった。
行きつけのバーに入り、店の奥のテーブル席に案内された。
二人してビールを頼み、とりとめもないことを話した。
生活はどうだだの、楓の近況や、最近のヒーローとしての在り方などを酒の肴に、どんどん呷った。
普段ならこんなむちゃな飲み方はしないのだが、ビールから焼酎にウイスキー何でもかんでも飲み倒した。
途中アントニオに止められたが、それでも虎徹は無茶をして飲んだ。このまま酔いつぶれてしまいたかった。
酔いが回って頭がふらつき始めるころ、一瞬アントニオの顔が歪んだ。申し訳ない、とでも言うように眉根を寄せた。なぜそんな顔をするのだと思う間もなく、虎徹はぐらりと頭が傾いで、そのまま意識を手放した。
どれだけ飲んだかわからないのだから仕方ない。
次に気づいたとき、虎徹は柔らかなベッドの上にいた。
虎徹のベッドではないことだけはしっかりと認識できた。虎徹のベッドはこんなにスプリングが利いていない。
酒のせいでガンガンとする頭を押さえ、あたりを見まわす。
見たことがあるような気がするが、どこであるのかはよく思い出せない。
ゆっくりと身体を起こし、うまく視線の焦点を合わせることができずにぼうっと座っていた。
「気づきましたか、先輩」
「……バニー……」
耳によくなじんだ声に、この部屋は見たことあるはずだと虎徹は思い直す。
ゆっくりと、声の聞こえたほうへと顔を向けると、バーナビーがグラスを持って立っていた。
「水です。飲んでください」
そばまでやってきてグラスを差し出されるが、酔いのせいでうまく身体が動かせずにグラスを受け取れずにいると、バーナビーは勘違いしたのか「なにも入ってないですよ」と肩をすくめて見せた。
そうじゃないと言いたいが、何も言えずに、のろのろと手を伸ばしてグラスを受け取る。
グラスの中身を一気に飲み干し、程よく冷えた水は身体の中にしみわたっていく。
カタン、と小さな音を立ててサイドボードにグラスをおく。
「酔いなんてまだ冷めないんでしょう? しばらく休んでいくといいですよ」
そういうとバーナビーはそのままくるりと背を向けて部屋を出て行ってしまった。
いったいどういうつもりなのだと投げかけようとしたが、虎徹はそれどころじゃなかった。
ちゃんぽんしたせいで、ひどく悪酔いしてしまっている。
今何時なのかもわからないが、虎徹が今正しく理解できるのは、とりあえずどうにもならないということだった。
身体の力ががくりと抜けたようにベッドに倒れこむと、またあっさりと意識を手放した。