昔は日本一の人口密度だった軍艦島。
土地が狭いので上に伸びるしかない住宅群の中には、同潤会青山アパート(大正15年)
より10年早く完成した物も有りました。
↑65号棟 その室内↑
↑瓦礫に埋め尽くされた通称“日給住宅”の中庭。 通称“地獄段”入り口↑
↑建物同士をつなぐ橋。
↑海が荒れるとここまで潮が飛んでくるので“潮降り町”と呼ばれた。
↑通称“めがね”。この下の磯から帰りの船に乗り移りました。
↑鉱長住宅跡。木造だったのでかなり前に崩壊した模様。
↑日給住宅屋上。土を盛って屋上農園にしていた時代もあったとか。
↑正面は日本最初の鉄筋コンクリート集合住宅、30号棟。