Eiko
今年も残すところ一日と少しになりました。
ずいぶん長くご無沙汰してしまいました。ごめんなさい。
みなさまには、お変わりございませんか?
Eikoは、素敵なことも多くありましたが、大変なことも少なからずありまして、少々疲れ気味の年末です。
母の骨盤は、おかげさまですっかり回復しました。しかし寝たきり2ヶ月でしたので、足が相当弱り、外は歩行器か車イスが必要になりました。でも、家の中ではなんとか歩き回り、なかなかの悪態を付くババア状態に変化はございません。
が、11月初め、またまた転倒。なんともない、と言っていたのですが、念のため病院へ行ってもらうと、今度は肋骨骨折。
しかしながら、「骨盤のときの痛みを思えば、へでもない」とは本人の弁。
まあ、骨盤にしろ肋骨にしろ自然治癒を待つのみですので、体の動かない分、お口が動き続けておりましたが、なにしろ骨年齢29才ですので、回復も実年齢に比べると信じられないくらいの早さでございましたです。はい。
さて、次は、Eikoの夏からの行動を簡単なご報告♪
8月、月一回、我が家で行われる麻雀大会。今月は、メンバーでリーダーの洋一さん、養護学校の大先輩でもあるのですが。彼が我が家をリフォームされたというので
、そちらに押しかけての大会に。
リフォームしたというお宅にあがらせてもらったメンバー、異口同音に「どこ直したん?」
それでも一緒にお昼を食べ、楽しくイーチャンをし、メンバーのフジイさんの車で帰宅。 ルンルン♪
9月からは、Eikoは再び絵の教室に通い始めました。
やっと、なんとなく教室にもなじんてきて、これからの絵の方向性もみえてきて、楽しくなってきています♪
そして、の毎年楽しみにしている「例の忘年会」という集まりが今年は9月にあり、懐かしい顔、久々の顔、毎月の顔でワイワイにぎやかに過ごしました♪ で、Eikoは知らなかったのですが、洋一さん、帰りがけに車イスごと階段を転げ落ち、お顔を負傷、左手の甲を骨折。これで生涯16回目の骨折、と面白おかしく書いたメールが届きました。
11月は、翌日が麻雀大会という日に、母か転倒し翌日病院へ行くことになったので、Eiko欠席の麻雀大会は洋一さん宅でケッコウされました。Eikoは残念無念の日に。
でも12月は22日に我が家での開催が決定され、うふ♪
そして、師走に入ると、リハビリや絵画教室以外のお出かけがたくさんありました。
念願だった千本釈迦堂へ行き、六体の美しい観音菩薩像にお目にかかってきました♪
それから、母が骨盤骨折したおかげで保険金がたくさん出たので、一度は行きたいな、と心密かに願っていたクリスマスディナーショーに♪ 都ホテル 高橋真梨子 に行ってきました。母もEikoも車イスということで10人がけのテーブルにEikoと母と親戚だけ。食事も歌もゆっくり楽しむことが出来て、幸せな夜を過ごしました♪
それから、近くのレストランで、親しいひとたちとおしゃべりしながらフレンチも楽しみました。
そして、21日。翌日の麻雀大会に備え、近ごろ凝っているマニキュアでクリスマスをイメージしたネイルをしてもらっているときでした。麻雀仲間で、みんなをこまごまと気遣ってくださる「クミ長」から電話が。
「二、三日、洋一さんに連絡がつかないんやけど、知ってるひと、知らない?」。
いつもこまめにメールにお返事をくれる洋一さんです。
すぐに動けそうなフジイさんに連絡。「すぐ行ってみるわ」と。
それから、クミ長と連絡を取り合いながら待ちました。
フジイさんからの第一報は「鍵がかかってるけど、電気ついてる」。
その後、フジイさんは、警察に連絡したり、鍵を開けるには親族の許可が必要とかで、フジイさんが、唯一、洋一さんのおじさんの連絡先をご存じで、良かったと思いました。。。
洋一さんは、親族との交流もあまりないままにずっと一人暮らしをされていました。
10時を廻った頃だったでしょうか。「洋一さんはご遺体で発見されました」と連絡が入りました。
でも、いちばん親しく、且つ、いちばん家の中のことが分かっていて、洋一さんの親族の連絡先も知っていたフジイさんは、親族ではない、ということで中へは入れてもらえなかったそうです。
死因は脳出血で、18日頃なくなられたらしい、とは、後日知りました。
洋一さんは、毒舌家で、誰にでもハッキリものをいう方でした。でも内面は優しさに溢れかえっていました。
特に悲しい思いや辛い思いをしている後輩たちを知るとすぐ駆けつけ、喜びは一緒になって心から喜んでくれ、なんでも相談にのってくれる、我々後輩には頼もしい先輩でした。
囲碁をいちばんの趣味とされていて、碁会所などで教えられていたみたい。囲碁の大会で取られたトロフィーの数は数えきれません。
お馬さんも大好きで、家には、シンザン、オグリキャップなどの写真が飾られ、大穴を当てたときなどの喜び方は尋常じゃなかったな。
そして、Eikoのまったく知らない風俗の話をユーモアたっぷりに、下品になる一歩手前で話してくださってました。
Eikoが「うちのオヤジにも風俗の出前、取ったげよかな?」と本気で言ったら「娘が何を言い出すやら」と最後まで連絡方法は教えてもらえませんでした。
また「運転免許とりたい」と言ったときには「京都市の人口が半分になる。やめとけ」と。
しかし、お琴の師匠の結婚披露宴で、お琴の演奏を聴いて大泣きしたEikoに「また奏けるようになる」と大向こうからのひと声は洋一さんでした。
おしゃべりが上手くて、キツ〜イことも言われるのだけど、お話ししていると楽しくて仕方がない、大好きな先輩でした。
我が家に来られたときは、母も話の仲間に入れるように「おかあさん、あのねえ…」と一生懸命母にも解るようにしゃべってくださっていました。
きっと、ご自身が人一倍さびしさや悲しさ、辛さに敏感な方だったから、かな〜。。。
たった一人で旅立ってしまった洋一さん、今頃は10年前に旅立った大親友の眞ちゃんとしゃべりまくってるんやろな、、、
それで、お武さんや啓郎さんとも出会って、天国麻雀大会を開催、そこでも仕切ってるんでしょうね。
そのうちEikoも逝くはずだから、席、用意しておいてね♪
だんだん本格的な寒さになってきました。
みなさま、お風邪には十分気を付けて、佳いお正月をお迎えくださいますように。
今年も本当にありがとうございました。
Mog
みなさま、今年もふつつかなおねえちゃんを助けてくださったり、見守り、仲良くしてくださって、ほんとうにありがとうございました。
洋一さんのこと、あまりにも突然で、おねえちゃんはだいぶショックを受けたみたいです。悲しみは寄せては返す波のようにおねえちゃんを襲っていますが、もう少ししたら元の笑えるおねえちゃんにもどることでしょう。まあ、食欲だけはありますので、ご安心のほどを。
来年も、こんな頼りないおねえちゃんではありますが、よろしくお見守りくださいますよう、お願い申し上げます。
どうか、みなさまお揃いで佳いお年をお迎えくださいますように。
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