日本の朝鮮植民地支配が韓国を近代化した
-兩班(ヤンパン)階級抹殺、ハングル語標準化は日本の歴史的貢献
Re:
反日洗脳が生んだ韓国愛国男の親日老人撲殺
殺人事件が起きたのは、2013年5月、ソウルのメインストリート鍾路の脇の
宗廟市民公園で、37歳の男が、まったく無抵抗の95歳の老人を蹴飛ばし、
老人の杖を奪い、その杖で老人の頭などを殴りまくって、95歳の老人を惨殺した。
95歳の老人が
「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」

一言もらしたことに憤激した男の残忍な犯行だった。

中韓の歴史認識姿勢
自国の歴史は「知らぬ、存ぜぬ」の手前勝手な中国と韓国

日本敗戦翌月の1945年9月から、1952年の日本主権回復までの
6年半あまり続いた米国による日本占領時代に、戦前の軍国主義・日本は、
180度の変化を遂げ、民主主義平和国家・日本に生まれ変わった。

このことは、中国と韓国以外の世界の国々全部が理解していることである。

その中で、日本敵視政策を明確に打ち出している非民主の独裁国家・中国と
国際法を無視する最高裁を頂点とする非法治国家・韓国の2か国だけが
ジャパン・ディスカウント(日本引きずり下ろし)という邪悪な目的のために、
国家元首が先頭に立って、敗戦前の軍国主義・日本の悪業・悪行を種に、
世界中で日本非難・日本誹謗を行っている。

戦後の民主主義平和国家・日本の、韓国・中国に対する膨大な経済援助や
真摯な技術援助により、韓国・中国が工業立国できたという歴史事実を
現在の若い国民にまったく教えず、あくことなく、
敗戦前の軍国主義・日本の悪業・悪行を種に、日本非難・日本誹謗を
国家元首が先頭に立って行っているのである。
「恩を仇で返す」行為の典型であるといわざるをえない。

中国・韓国の、愛国教育と称する反日洗脳教育は、
国民の大脳・潜在意識に、恨み・憎悪を奥深く埋め込み、
感謝貢献の精神を国民から奪い、
道義心と良識を喪失した国民の量産を続ける
国を滅ぼす亡国教育である。憂慮にたえない。

発行部数韓国トップの朝鮮日報の記事



中央日報:発行部数約131万部といわれる韓国第2位の日刊紙


4月19日、中央日報は「韓国は三流国家だった」という強烈な見出しの
社説を掲載した。
韓国のニュース番組は、自称民間潜水士の女性が「救助作業をする
民間潜水士に、救助隊員が適当に時間をつぶしておけと話した」との
虚偽事実を報じたが、こんなデタラメ報道が、ネット上で事実として
広められてしまうほど韓国社会には深い不信感が広まっている
と指摘している。

また、「この超大型災難の前で、私たちの【安全政府】に対する期待と
希望までが沈没してしまった。

世界7位を誇る輸出強国、世界13位の経済大国という宣伝語が
恥ずかしく、みすぼらしい。

木と草は強風が吹いてこそ、その生存能力を見分けることができるという。
一国の危機管理レベルと生存能力も、災難が起きた時に分かる。
今回の災難に対する韓国の危機対応レベルは落第点。
三流国家のものだった」と韓国政府を糾弾している。

「韓国は、エセ・プロの3等航海士が操縦したセウォル号のように
転覆・沈没してしまうのではないか」、「こんな国家運営では、我々は
再び中国に支配される被植民地国家に転落してしまう」などとの
自国批判の声が上がっている。


Re:反日洗脳が生んだ韓国愛国男の親日老人撲殺

殺人事件が起きたのは、2013年5月、ソウルのメインストリート鍾路の脇の
宗廟市民公園で、37歳の男が、まったく無抵抗の95歳の老人を蹴飛ばし、
老人の杖を奪い、その杖で老人の頭などを殴りまくって、95歳の老人を惨殺した。
95歳の老人が
「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」

一言述べたことに激怒しての暴行であった。

この凶悪な韓国愛国男に下された刑は懲役5年であった。
国際法を無視する最高裁を頂点とする非法治国家・韓国の
韓国司法のデタラメぶりを示す実例である。

李承晩始めた反日洗脳教育この愛国男から
道義心と良識を奪ったのである。


「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」
と一言もらした
この95歳の老人は1945年日本敗戦時は27歳であった。

この老人が日本の植民地統治のどの点を「良いことだった」と評価したのかは
わからないが、日本統治の実態と、
朝鮮戦争の惨禍
李承晩の国民虐殺と悪政
朴正煕の軍政など、その後の韓国の実態を体験してきたわけだから
その一言には重みがある。

一方の37歳の暴行男は、朝鮮戦争の惨禍李承晩の国民虐殺と悪政
まったく知らない。朴正煕の軍政時代すらほとんど記憶していない世代である。

しかし、徹底的に反日洗脳教育を受けて、連日の韓国マスコミの反日煽動に
教化されて、道義心と良識を失ってしまったこの37歳の熱烈な愛国者は、
95歳の老人の一言に激怒した。95歳の老人を蹴飛ばし、
老人の杖を奪い、その杖で老人の頭などを殴りまくった。
95歳の老人は頭蓋骨や脳などに重傷を負い、治療を受けたものの死亡した。

驚くべきことに、韓国では、この37歳暴行男への擁護論が少なくない。
ネット上では、この37歳暴行男を愛国青年と称賛し、「日帝を称賛した時点で
ジジイは犯罪者だ。殺されて当然。」「懲役刑?むしろ勲章モノじゃねえか。」
「裁判官は売国奴!」などと、
愛国暴行男の殺人を正当化するコメントが多数見られた。
徹底的な反日洗脳教育と、繰り返し繰り返しの韓国マスコミの反日煽動が
韓国国民の道義心と良識を喪失させたことを如実に証明する事実である。

「韓国は、歴史観が違えば、人を殺していい国?」
と嘆く声もあるが、
反日洗脳教育で道義心と良識を失った反日無罪意識国民を大量生産し続け、
反日意見勢力が強い韓国ネット上では
殺人正当化派が絶対多数である。


日本の植民地支配時代を経験し、実体験に基づいた言葉を語った老人を、
その時代を生きてもいず、聞かされ続けた反日洗脳情報を盲信した愛国男が、
「許せない」と
95歳の老人を殴り殺す。そして、下った刑はたったの懲役5年。更に、犯人を
愛国者と持ち上げる韓国社会。日本人は何とも暗澹たる気持ちになる。
これがリアルな現在の韓国社会の実態である。

  韓国国民よ、日本の植民地支配で
 韓国の近代化が成し遂げられた
   恨みを死んでも忘れるな!?


朝鮮(現在の韓国と北朝鮮)は、日本が植民地支配する以前は、
李王朝を頂点とし両班(ヤンパン)と呼ばれる世襲特権階級による
苛酷な無慈悲な専制政治が行われていた。
李王朝時代には民主的選挙による政治がなされることはなかった。

日本の植民地支配時代には、地方に道議会が創設され、選挙が行われた。
道議会議員の8割以上が朝鮮人であった。道知事にも朝鮮人が多数登用された。
日本の植民地支配時代の各道の知事はほとんどが朝鮮人であった。

日本の植民地支配時代にハングル文字が標準語として導入され、
5200校の小学校が創設され、義務教育が導入され、
識字率4%から61%に向上して、ハングルによる
朝鮮文学が普及した。













両班ヤンパン時代は特権階級だけが文字を持ち使うことができた。しかしながら、
韓国は中国の属国だったため、中国に人質として跡継ぎを差しだし、彼らが
成人してから帰国させ跡目を継がせていた。当然、支配階級内で使う文字は
中国語で、いわゆる韓国語と言われる公用文字は存在しなかった。

中世にハングルという文字が創設されていたのだが、身分のある者の間では
蔑視され使われることはなく、一般朝鮮人の間には文字は存在していなかった。

一般朝鮮人の間に技術や法律を伝える文字が存在しないことに困惑した日本が
ハングルの存在を見いだし文法的に整備し改良し、これを朝鮮文字として
広く朝鮮人に教育し、初めて一般朝鮮人は文字による学習を受ける機会を得た。

日本がハングルを普及させたという証拠資料はこうしてしっかり残っているが
ところが、戦後、韓国政府と韓国メディアは、もともと自分たちの文字である
ハングルを日本人が奪ったとか、漢字は日本人も使っている敵国言語だと
言って漢字の使用を禁止したりして、ウソをつきまくっている。


韓国の祖先の歴史は漢文で描かれている。しかし、いまや、その漢文の歴史書や
伝記を読める人間は、学者以外は、ほとんど皆無というのが韓国の現状である。

福沢諭吉の弟子、井上角五郎が日本でハングルの活字を作り、それをソウルに
持っていって作った『漢城旬報』(朝鮮半島で最初の漢字混じりハングル新聞)が
近代ハングルの始まりである。  


兩班(ヤンパン)漢字文化から庶民ハングル文字文化へ



李王朝は、近代化の根本である
「一般国民からの人財育成」をまったく行ってこなかった!



1945年の日本敗戦までに、日本が朝鮮半島のインフラストラクチャー建設
つぎ込んだ資金は、現在の価値に直して80兆円以上という膨大な金額であった。
日本が建設した韓国のインフラストラクチャーは太平洋戦争の被害をまったく蒙って
いなかった。

日本は朝鮮半島のインフラストラクチャーの整備に力を入れた。
施設建設工事や施設運営は朝鮮人主力に行われたことで
近代的雇用が創出された。

しかし、朝鮮戦争で、これらの貴重なインフラは徹底的に破壊された。

1929年6月、米国カーネギー財団から朝鮮半島に派遣された米国人記者団は、
「朝鮮半島は、日本の統治によって数百年間の前近代的状態から抜け出して、
近代化の道を歩みだした。朝鮮人民は、李王朝の過酷無慈悲な暗黒政治から
救いだされた」と日本の近代化努力を高く評価している。



反日朝鮮民族運動者たちが出迎え

1929年(昭和4年)6月9日、米国新聞記者一行が朝鮮の首都京城に到着すると、
朝鮮民族運動者たちが遠来の客を迎えてくれた。

朝鮮民族運動者たちは、日本政府に対する彼らの苦情を我々、米国新聞記者一行に
訴えるための機関紙特別号を記者一人ひとりに渡してくれた。
この機関紙特別号は、日本の朝鮮統治に対する不満苦情を書き連ねていた。

この日本政府の朝鮮統治に対する不満苦情について、米国新聞記者たちは、
朝鮮人に対して十分同情を持ち、気の毒には思えるが、朝鮮に対する日本の統治は、
公平・冷静・客観的に見て、李王朝の統治と比べてはるかに勝っており、朝鮮人民
全体としてみるならば、朝鮮人民全体の益を増していると考えざるを得なかった。

朝鮮人が朝鮮を統治しつつある日本政府の施政に対して、一言も発言出来ない
ことは事実でる。又、学校に於ける日常語は日本語であり、李王朝の王族は日本婦人と
結婚し、朝鮮が、着々と日本化されつつあることは事実として認めるが、しかし、又、
一方において、数世紀の間、朝鮮は隣強諸国より蹂躙され、其の結果、
貧困の極に達していた。その朝鮮が、今や、恒久的恵沢の裡に太平を謳歌し、無限の
進歩と繁栄とに輝きつゝあることは、誰の眼にも歴然として映っている事実である。

教育ある朝鮮人は愛嬌好く上品である。彼等は祖国を愛し、その伝統的精神を尊び、
自治権を失った事を非常に痛嘆している。しかし、反面て、日本の統治が、その宜しきを得、
時を追って貧民の数を少くしつつある。「彼らは自治権を失ったが、それによって
得たものは遥に大なるものがある」とクラーク氏は述べている。

ホーグ氏は次の如く書いている。
「日本統治に不満を抱いているのは、朝鮮人の少壮者であるが、彼等は日本政府の
建てた学校で教育を受けた者である。朝鮮における人口の大部分を占める農民と
労働者は、政治に対しては無関心であり、むしろ、現在の朝鮮は昔の李王朝時代に
比べて、遥かに大なる進歩であると考えている。

しかし、学校で学んでいる青少年は日本を敵視している。彼等は学校でデモクラシーを
学んでいて、反抗的で、日本政府の厳正な法の命令によらないと仲々服従しない。

しかし、列車の窓から見える千万の農民たちは、日韓併合に対しては何の反感も
持っていない。むしろこれを承認している。日本統治開始以降19年間、農民たちは、
その生命財産の安全を保障されているのであるから、若し、この生命財産の安全の
保障が覆ることにでもなつたら、それこそ大恐慌を来す。

政体などという様な事は、農民たちの原始的な概念では考え得らるることではない。
日露戦争終了後の25年間、農民たちのの所有する田畑が、兵馬のために、
畦道一隅たりとも損はれた事はない。勿論、他国の侵略を蒙つた事もない。
又、一度たりとも掠奪に遭つた事もない。このように、田園生活の平和は乱された事は
ないのである。

朝鮮人は、対岸の支那人が革命戦争のために、戦々兢々として国境を越え、
彼等の領内の山谷に避難して来るのを目撃して居る。彼等は二十代を経て、
ようやく、今日始めて、他国の侵略を免れているのである。

彼等の消費する食糧は祖先の時よりも少くはないが、尚多量の残余があつて、
四代前には夢にも見なかつた値で売捌く事が出来、多額の収入をもたらしてゐる。

それ故、いくら朝鮮民族主義者たちから、日本政府は朝鮮人の味方ではない、
敵だと吹き込まれても、そんな事に傾聴する事は出来ない。「安全」と云ふ事は、
彼らの子弟が、外国人の書いた書物で学ぶデモクラシーの真意よりも、遥かに
勝つて価値のあるものである。

しかし、この状態が何年間続くものやら予想は出来ない。

日本政府は朝鮮に4000余の学校を設立した。1929年5月末日現在の
幼稚園及書堂を除く学校数は、官公立2162校、私立640校、計2802校である。
日本政府は初等教育の普及に努めている。初等教育効果は、朝鮮半島の
津々浦々に及んでいる。

しかしながら、初等教育の普及によって、新思想が旧思想を追い出している。
学校を出たばかりの青年たちは、水田で草とりをするよりも、京城の都会で、
舗装された道を闊歩するのを好む。親たちは、田畑で汗水を流しながら、
青年たちが農耕生活を嫌っていくことを嘆いている。

何故、教育を受けた青年たちは、彼らの祖先の時代には、一向、気にされなかつた
農耕生活を、かくまで嫌うのであらうか。彼ら農民たちの日本政府に対する唯一の
不満は、子弟の就学を強要させられる事である。子弟の就学は、時間の浪費であり、
又無益の事柄の勉強であつて、その時間、田畑で働けば収益があがるからである。」

記者の眼から見た朝鮮人の生活状態

訪問先の各地の光景は、実に、絵の様に美しい。

朝鮮人の服装は男女共に真白であつて、ほとんど色を用いていない。
馬毛でできた帽子は特に目を惹く、この馬毛帽子は、40年前、朝鮮全権一行が、
米国の首府ワシントン市を訪れ、米国政府に朝鮮独立の承認を求めて失敗に終つた時、
米国人たちを仰天せしめた帽子である。この馬毛帽子は髷を保護するためもので、
朝鮮では、髷は社会地位の示すものである。髷を保護するこの帽子を冠る人は
最高位の人々である。



女性たちは男性たちとは異つた帽子を冠る。女性たちは、重いものを運ぶとき、
頭上に載せて運ぶ。このため女性の身体は真直である。

米国新聞記者一行は、朝鮮の農民の農作法の原始的なのには驚かざるを得なかつた。
汽車のと直ぐ窓の下のところで、2人の農民いた。1人が篩で麦を振っている間、
他の1人はこれを見ているだけであった。我々の汽車がカーブを廻るまで、この1人は
見ているだけであった。実に遅々たる動作である。汽車が少し行くと、2人の農民が
溜め池から水田に水を汲み上げる作業をしていた。2人はバケツが結ばれた綱の両端を
持ち、そしてバケツ溜め池に下しては引ききあげて水汲み上げていた。熟練を要する
仕事ではあるが骨の折れる仕事である。ポンプか水車でやれば、労力がも省けて
より善い仕事が出来るのだが。





1929年(昭和4年)6月現在、見える此の変化は何であろう。
首都京城はさながら西洋の都会を見る観がある。
道路は広いブルバードで、立派な学校の校舎は建てられ、総督府庁舎は、
米国等で建てたら少くとも500万弗(約1千万円)は要する立派なものである。
釜山から京城に行く途中、プールマン車の内から目に映ずるものは豊作の田畑で、
潅漑の為のイリゲション・デッチが山谷を蜒々として流れて、豊富に注いで
いるのが見える。良き道路は風景を飾つて居る。近い中には残りの禿山も
緑と化するであらう。

日本は併合以来19年間にして、数百年間、停滞状態にあつた李王朝朝鮮と、
近代文明国との間に渡橋を架けた。これ等の変化に照してみると、
朝鮮民族主義者たちが、日本の朝鮮併合・朝鮮統治は、朝鮮一般民衆に
莫大な益をもたらしたことは、疑いのない厳然たる事実である。

   
日本軍部が日本乗っ取り!
軍事国家・日本によって
朝鮮植民地支配は大きく暗転


しかしながら、米国人記者団から高い評価を受けた2年後の
1931年の満州事変で、陸軍を中心とする日本軍部は、
昭和天皇の統治権・統帥権を簒奪した。
日本の議院制立憲君主制は崩壊した。
日本は軍部が完全支配する軍事国家・日本となった。


日本の朝鮮植民地支配は、
様変わりに、大きく暗転した。

軍事国家・日本は、朝鮮において、
皇民化教育や創氏改名などを推進した。
義務教育で必須科目として教えられていた
朝鮮語は随意科目となった。
日本語使用政策が強力に推進された。
さらに、朝鮮語教育が公立学校から完全に排除されていった。
軍事国家・日本の国際孤立が濃くなるにつれて
朝鮮においても情報統制が強化された。
1940年には朝鮮語の「朝鮮日報」「東亜日報」が
朝鮮総督府の命令により廃刊させられた。


軍事国家・日本が行った、
これらのあまりにも愚かな政策については、
ウソつき・韓国が非難する通りであって、
弁護・弁解する余地はまったくない。

『日本の朝鮮植民地支配』についてのコメント

20世紀初頭、世界各地に存在していた欧米諸国の植民地では、奴隷労働の強制、
さまざまな経済的搾取、一方的・無差別的な住民懲罰、移住強制などが常態化していた。

しかし、日本は朝鮮の植民地支配において、奴隷労働の強制、さまざまな経済的搾取、
一方的・無差別的な住民懲罰、移住強制は行っていない。

それとは正反対に、日本は、李王朝がまったく行っていなかった、鉄道網、電話通信網、
学校、図書館、工場、病院などの建設・構築を積極的に行い、朝鮮半島に近代的技術と
近代的インフラストラクチャーをもたらした。

また、李王朝がまったく行っていなかった、朝鮮人の健康、教育、福祉の改善向上に
積極的に取り組んだ。

韓国の歴史書は、前近代的な李王朝の無能・無責任にはふれず、多くの歴史事実を
無視して、日本の朝鮮植民地支配について、極端な偏見に満ちている。

現在においても、悪魔王国・北朝鮮の初代悪魔・金日成の数え切れないほどの
殺人実績や、朝鮮戦争という歴史的な戦争犯罪にはふれず、朝鮮半島分断は
日本のせい、北朝鮮の脅威は日本のせいと反日洗脳している。

日本の韓国の近代化貢献については一言もふれていない。



日本の朝鮮植民地支配には、汚点が少なくないのも事実である。

しかし、同時代の欧米諸国の植民地支配との比較において、
アモス氏の言を借りて言うなら、「日本は九分通り公平 almost fair」だった。

明治維新前の鎖国・日本と同様、当時の李王朝・朝鮮は、
まさに、前近代的そのものであった。

日本の朝鮮植民地支配において、日本政府と朝鮮総督府が、善意を持って、
朝鮮の近代化のためにあらゆる努力を惜しまなかったとことは、
まぎれもない歴史事実であるる

日本国民は、日本の朝鮮植民地支配について、正しい知識を身につけて、
反省すべき点は謙虚に反省すべきだが、ウソつき韓国の歴史書の、
偏見に満ち、一方的に描かれている歴史事実に、負い目を感じる必要はない。

とはいうものの、日本の朝鮮植民地支配を実際に体験した人たちはいなくなった。

現在では、韓国は、韓国官民あげての、社会的反日洗脳に骨の髄まで侵された
人たちの反日洗脳情報だけが独り歩きする時代になってしまった。

韓国における反日感情の根源は、朝鮮民族の誇りが傷つけられたことにあるという。

韓国人は、「高度な文明社会だった我が朝鮮」が、
「野蛮な日本に侵略され、メチャクチャにされた」と徹底的に洗脳されている。
「偉大なる朝鮮民族の高度文明社会が、野蛮な日本民族に侵略され、
メチャクチヤにされたから何時までも日本人を憎むのだ。」

大統領の朴槿恵が「1000年たってもこの恨みは消えない」という所以である。

韓国の近代化に最も貢献した日本の

伊藤博文公を暗殺した
安重根
韓国国民的英雄



  韓国国民よ、日本の植民地支配で
 韓国の近代化が成し遂げられた
   恨みを死んでも忘れるな!?



英国のBBC放送が、毎年、世界28か国、約3万人を対象に定期的に行っている
調査の2012年度版に、世界各国の自己評価と世界評価の結果が示されている。

韓国はどうかというと、自国評価64%に対して、世界評価は35%である。
それに対して、日本は自国評価45%に対し、世界評価は52%である。
中国の自国評価は77%、世界評価は40%である。

日本以外のすべての国は自国評価の方が世界評価より高い。
日本だけが、自国評価が世界評価より低くなっている。






李王朝時代にはまったく手が付けられていなかった
韓国近代化が日本の植民地支配36年間で成し遂げられた。


1945年の日本敗戦までに、日本が朝鮮半島のインフラストラクチャー建設
つぎ込んだ資金は、現在の価値に直して80兆円以上という膨大な金額であった。
日本が建設した韓国のインフラストラクチャーは太平洋戦争の被害をまったく蒙って
いなかった。

しかしながらこの、日本が建設した韓国インフラストラクチャーを、
対日憎悪の権化・李承晩
は、殺人鬼・金日成と一緒になって、
朝鮮戦争で徹底的にぶち壊した。

対日憎悪の権化
かつ、殺人鬼・李承晩は、
韓国を、国民一人当たりGDP100ドル以下という
乞食同然の最貧国に陥れた。
あらゆる点から見て李承晩ホントウワルイヤツであった
Re:
朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書
-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪



日本は朝鮮の奴隷制度を廃絶して
農奴、奴婢
(ぬひ)を解放した

李王朝時代、朝鮮には奴隷制度があった。
李王朝時代の朝鮮の階級別人口は、両班(ヤンパン・貴族)が7%、
良民(常民)が約5〇%、奴隷(農奴・奴婢(ぬひ))が約43%であった。

この李王朝時代の朝鮮の階級区分と階級差別は、階級間移動がほとんど無く、
500年間も固定状態であったという点で東アジアでは最悪であった。

特に、最下級の奴婢(ぬひ)は、売買された奴隷であり、家畜と同様の
財物とみなされ、家畜と同様の扱いを受けた。
両班(ヤンパン・貴族)が奴隷(農奴・奴婢(ぬひ))を殺しても、罪にならなかった。

日本はその奴隷制度を断乎廃絶した。この奴隷制度廃絶が、今に至る
両班(ヤンパン・貴族)の日本に対する根深い恨みを生んだのである。

日本の朝鮮の国土開発は、こうした元・奴隷を「労働者」として雇う」ことによって
行なわれた。その際、日本は彼らに「賃金」を支払った。李王朝時代には、
両班(ヤンパン・貴族)が奴隷に「賃金」を支払うことはなかった。
元・奴隷に賃金が支払われたことは、朝鮮半島の歴史が始まって以来、
破天荒のことであった。文字通り、実に歴史的なことであった。

しかし両班(ヤンパン・貴族)にとっては、それは500年間続いた特権の喪失で
あった。両班(ヤンパン・貴族)は日本に対し根深い恨みを持ち続けた。

日本敗戦後、韓国の指導者となったのは、この両班(ヤンパン・貴族)の流れを
くんだ人々であった。
両班(ヤンパン・貴族)の流れをくんだ人々は韓国の教育界を反日一色にした。






ゲ・デ・チャガイ編 『朝鮮旅行記』 
73頁~第81頁抜粋
1885年の朝鮮の現況 
ロシア・アムール州総督官房付
公爵
 ダデシュカリアニ

各州の長官から三年置きに中央官庁へ寄せられる情報によると、
2年前の1883年の朝鮮の人口は1,063万人であった・
女性の方が多数を占めている。

われわれの理解するところでは、朝鮮人は主要な3階層に区分が可能である。
即ち、高貴なる階層の両班(ヤンパン)、半ば高貴な中人(チュイン)、
高貴でないイワノミである。

これらの3階層は、外観(衣服)でも権利においても、お互いに厳しく識別し
あっており、決して婚姻を介して相互に混じり合ってはならない。さらに、
これらの3階層のそれぞれに、たくさんの下位区分が存在する。

例えば高貴の両班(ヤンパン)の下位区分は、まず先祖の国事に対する
功労によって決定される。その際、文官としての功労の方が、軍人の
功労よりも上位に置かれている。次に、財産、つまり召使い数や奴隷の数、
ならびに国王の土地を賃借するための資金額による。

朝鮮には土地の所有権が存在しない。朝鮮王国(李王朝)の土地はすべて
国王に、換言するなら、国家に帰属する。朝鮮人は、高貴であると否とに
かかわらず、国王以外はすべて国有地の単なる賃借人である。

朝鮮人は賃借地の対価として一定額を国庫に納めねばならない。
宅地についても同様である。屋敷の所有者に属するのは建物だけで、
宅地は含まれない。

農耕地についても同様である。農耕地の賃借権の売買は存在する。
建物の売買の場合は、建造物の価格のみが評価の対象となる。

広大な土地賃借の権利は両班(ヤンパン)にのみ与えられている。
両班(ヤンパン)はその広大な賃借地を召使いや奴隷に耕作させている。
両班(ヤンパン)以外の階層は、土地の賃借権をまったく持たぬか、
あるいは限られた小面積の土地を賃借できるにるに過ぎない。

両班(ヤンパン)の特権は、広大な土地の賃借権だけではない。
李王朝・朝鮮の政治体制における主要な官職は、すべて両班(ヤンパン)に
独占されている。両班(ヤンパン)以外の階層の人々は官職に
就くことができない。


中人(チュイン)は、もっぱら宦官(かんがん・去勢された官吏)、
秘書、通訳官の職に就いており、王宮に勤務する中人(チュイン)が
最も重んぜられている。

最も数が多く、複雑な階層がイワノミである。イワノミは家柄と職務の
位によって区分されている。区分数は職業の数にほぼ匹敵する。

イワノミで第1位を占めるのは商人と家内手工業経営者である。
次には土地賃借者が続く。最下位が聖職者、輿運び人、奴隷である。

奴隷の存在は、李王朝・朝鮮の最も醜悪なる現象で、
決定的に社会を退廃させている。

しかしながら、奴隷のおかげで、両班(ヤンパン)と中人(チュイン)
のみならず、イワミノ内部の商人と家内手工業経営者も生きているのである。

奴隷は誰でも購入できるのである。

李王朝・朝鮮における男奴隷と女奴隷の総数は100万人にも達する。

この不幸な奴隷のみが実質的勤労者であり、この奴隷100万人が、
残りの930万人全部を養っているのである。

李王朝・朝鮮は奴隷によって支えられているのだ。

奴隷は、死ぬまで、一生働き続けることが強制されている。
奴隷には、一切の人権が認められていない。
奴隷所有者は奴隷の生殺与奪権を握っている。
奴隷所有者が奴隷を殺害しても罪にはならないのである。







-兩班(ヤンパン)漢字文化から庶民ハングル文字文化へ

両班(ヤンパン)時代は特権階級だけが文字を持ち使うことができた。しかしながら、
韓国は中国の属国だったため、中国に人質として跡継ぎを差しだし、彼らが
成人してから帰国させ跡目を継がせていた。当然、支配階級内で使う言語は
中国語で、いわゆる韓国語と言われる文字は存在しなかった。

中世にハングルという文字が創設されていたのだが、身分のある者の間では
蔑視され使われることはなく、一般朝鮮人の間には文字は存在していなかった。

一般朝鮮人の間に技術や法律を伝える文字が存在しないことに困惑した日本が
ハングルの存在を見いだし文法的に整備し改良し、これを朝鮮文字として
広く朝鮮人に教育し、初めて一般朝鮮人は文字による学習を受ける機会を得た。

日本がハングルを普及させたという証拠資料はこうしてしっかり残っているが
ところが、戦後、もともと自分たちの文字であるハングルを日本人が奪ったとか、
漢字は日本人も使っている敵国言語だと言って漢字の使用を禁止したりして、
ウソをつきまくっている。

韓国の祖先の歴史は漢文で描かれている。しかし、いまや、その漢文の歴史書や
伝記を読める人間は、学者以外は、ほとんど皆無というのが韓国の現状である。

福沢諭吉の弟子、井上角五郎が日本でハングルの活字を作り、それをソウルに
持っていって作った『漢城旬報』(朝鮮半島で最初の漢字混じりハングル新聞)が
近代ハングルの始まりである。  









イザベラ・バード 『朝鮮紀行』 第59頁












上記の朝鮮日報・反日洗脳檄文は、まさに、韓国社会に定着している
韓国人の
「反日無罪発想・反日無罪思考=
自己責任否定、相手に罪をなすりつける発想」

とは何かを示す迷文だと思う。

「反日無罪発想」とは、わかりやすくいえば、「韓国の不幸は、すべて日本の
せいである。韓国は悪くない。従って、韓国が、韓国の不幸の原因である
日本に対しては、どんなことをやっても、それは、罪悪ではない」という
発想・思考である。

さらに具体的に実例を示すと、相手に対してなんらの加害行為をしていなかった
親日老人を、韓国愛国青年が、親日的な言葉を言ったということだけで、
なぐり殺した。この、道義心と良識を完全に喪失した韓国愛国青年の殺人行為に
ついて、韓国ネット上の意見の過半数は、「反日無罪、親日老人はなぐり殺されて
当然。韓国愛国青年は悪くない」である。

「韓国の不幸は、すべて日本のせいである。
韓国は悪くない」
という韓国人の大脳に幼児期から20年間ものあいだ
刷り込まれてきた
自己責任否定呪文は、しらずしらず、
韓国人の発想・思考を、

「自分の不幸はすべて他人のせい。自分は悪くない。
トラブルの原因はすべて相手が悪いせい。
自分は悪くない」
という発想・思考に進化していった。

韓国が、初代大統領・李承晩時代より60年間続けている愛国教育と称する
反日洗脳教育を止めることはあり得ないと思うが、これからどうなることやら!







Re:反日洗脳が生んだ韓国愛国男の親日老人撲殺
-李承晩が始めた愛国教育
(反日洗脳教育)
  韓国国民から道義心と良識を奪った!


殺人事件が起きたのは、2013年5月、ソウルのメインストリート鍾路の脇の
宗廟市民公園で、37歳の男が95歳の老人を蹴飛ばし、老人の杖を奪い、
その杖で老人の頭などを殴りまくった。95歳の老人が
「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」
と一言述べたことに激怒しての暴行であった。

この凶悪な韓国愛国男に下された刑は懲役5年であった。
国際法を無視する最高裁を頂点とする非法治国家・韓国の
韓国司法のデタラメぶりを示す実例である。

李承晩始めた反日洗脳教育この愛国男から
道義心と良識を奪ったのである。


「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」
と一言もらした
この95歳の老人は1945年日本敗戦時は27歳であった。

この老人が日本の植民地統治のどの点を「良いことだった」と評価したのかは
わからないが、日本統治の実態と、
朝鮮戦争の惨禍
李承晩の自国民虐殺と悪政
朴正煕の軍政など、その後の韓国の実態を体験してきたわけだから
その一言には重みがある。

一方の37歳の暴行男は、朝鮮戦争の惨禍李承晩の自国民虐殺と悪政
まったく知らない。朴正煕の軍政時代すらほとんど記憶していない世代である。

しかし、徹底的に反日洗脳教育を受けて、連日の韓国マスコミの反日煽動に
教化されて、道義心と良識を失ってしまったこの37歳の熱烈な愛国者は、
95歳の老人の一言に激怒した。95歳の老人を蹴飛ばし、
老人の杖を奪い、その杖で老人の頭などを殴りまくった。
95歳の老人は頭蓋骨や脳などに重傷を負い、治療を受けたものの死亡した。

驚くべきことに、韓国では、この37歳暴行男への擁護論が少なくない。
ネット上では、この37歳暴行男を愛国青年と称賛し、「日帝を称賛した時点で
ジジイは犯罪者だ。殺されて当然。」「懲役刑?むしろ勲章モノじゃねえか。」
「裁判官は売国奴!」などと、
愛国暴行男の殺人を正当化するコメントが多数見られた。
徹底的な反日洗脳教育と、繰り返し繰り返しの韓国マスコミの反日煽動が
韓国国民の道義心と良識を喪失させたことを如実に証明する事実である。

「韓国は、歴史観が違えば、人を殺していい国?」
と嘆く声もあるが、
反日洗脳教育で道義心と良識を失った反日無罪意識国民を大量生産し続け、
反日意見勢力が強い韓国ネット上では
殺人正当化派が絶対多数である。


日本の植民地支配時代を経験し、実体験に基づいた言葉を語った老人を、
その時代を生きてもいず、聞かされ続けた反日洗脳情報を盲信した愛国男が、
「許せない」と95歳の老人を殴り殺す。そして、下った刑はたったの懲役5年。
更に、犯人を愛国者と持ち上げる韓国社会。
日本人は何とも暗澹たる気持ちになる。
しかし、これがリアルな現在の韓国社会の実態である。



李王朝時代にはまったく手が付けられていなかった
近代化が日本の植民地支配36年間で成し遂げられた。


韓国国民よ、日本の植民地支配で
韓国の近代化が成し遂げられた
恨みを死んでも忘れるな!?


日本敗戦後70年間に、日本の朝鮮半島植民地支配
(日韓併合)によって韓国社会から抹殺された
両班
(ヤンパン)の思想、生き方が韓国社会に定着した!?


明治維新時、日本は、近代化の妨げとなるとして、武士階級という階級を抹殺した。
これに強く反発、反抗して起きたのが薩摩藩(現在の鹿児島県)の武士たちによる
西南戦争であった。日本においては、以後、旧武士階級による武力反乱は起きていない。

これとは対照的に、韓国においては、1910年の日本の朝鮮半島植民地支配
(日韓併合)によって抹殺された両班(ヤンパン)の凄まじい反発、反抗、反乱は
1945年の日本敗戦まで絶えることはなかった。

日本敗戦後、独立を回復した韓国においては、この両班(ヤンパン)の考え方・生き方が
社会に完全定着して現在に至っている。極めて当然のことなから、韓国初代大統領の
李承晩に代表される両班(ヤンパン)の凄まじい対日憎悪感・反日洗脳情熱は、
ことあるごとに増幅されて、現在では、韓国国民のほとんど全部に浸透し定着している。

英国の著名な女性旅行作家、イザベラ・バード(フルネームはIsabella Lucy Bird,
1831年~1904年、1881年に結婚改名しイザベラ・ビショップ)は、4度にわたり
李王朝時代の朝鮮を訪れて『朝鮮紀行』を書いた。

その中で「朝鮮では、搾取側と被搾取側が明確に分かれている。
搾取する側は王族・両班(ヤンパン)で、搾取される側は良民(常民)と・奴隷
(農奴・奴婢(ぬひ))である」と述べている。




20世紀初頭の朝鮮においては、文化といえば排他的な朱子学があるだけで、
科学も、医学なかった。公用語は中国の漢字で、ハングルは地方の方言にすぎなかった。

公立学校も、公立病院、治水施設等もほとんどなく、中国の文豪・魯迅は
「朝鮮は世界一貧しい国」と述べている。

ソウルを訪れた外国人は、「ソウルは世界有数の不潔な街」と酷評し、ソウルでは
糞尿を踏まずに道歩くのは不可能だったとすら述べている。ソウルの街には鼻をつく
悪臭が満ちていた。また当時の朝鮮にいた外国人宣教師は、あまりにも水がきたないので、
風呂に入れば、入る前よりも汚れてしまうほどだったと蔑んでいた。

流通は、貨幣が普及しておらず、物物交換が主流であった。

まともな産業も、まともな道路もなかった。また人々が、冬の寒さをしのぐ薪とするために
山の木を徹底的に切り尽くしていたため、山々は、皆、樹木皆無のハゲ山であった。
そのために大雨があると、山から泥水が流れだし、農業田畑が壊滅状態にあった。

しかもし、そんな極貧の状態にありながら、朝鮮国内では、内乱が頻発していた。

李王朝末期の時代、朝鮮は、国内で深刻な政治対立が続き、財政は破綻し、
対外防衛力を欠き、国家的破産状態であった。

王族・両班(ヤンパン)の苛酷な搾取対象であった朝鮮の平民・奴隷は、現在の
北朝鮮同様、常に、飢餓、疫病、重税に喘ぎ、極貧状態に置かれていた。

搾取階級たる王族・両班(ヤンパン)は、徹底的に肉体労働を蔑視し、
自らは決して労働をしなかった。

李王朝の政治は混乱し、李王朝末期の朝鮮は崩壊寸前であった。国際連盟の
事務局次長であった新渡戸稲造は、この崩壊寸前の朝鮮を「枯死国朝鮮」と呼び、
「朝鮮は国家的な死に瀕している」と述べている。

日帝に抹殺された
両班(ヤンパン)の思想と生き方

日本に根深い恨みを抱いたこの両班(ヤンパン)人々は、「箸と本以外に
重いものを持たない」と徹底的に肉体労働を蔑視した。両班(ヤンパン)は、
額に汗して肉体労働する良民(常民)・農奴たちをさげすみながら、
良民(常民)・農奴たちから搾取して自分たちの生活を支えてた。

両班(貴族)は朱子学を奉ずる人々であった。朱子学では、人間を「君子」と
「小人」に分ける。「小人」とは一般の肉体労働者である。
朱子学では「君子」は働いてはいけないのである。両班(ヤンパン)はスポーツも
忌み嫌った。本を読み、肉体労働をせずに暮らすのが両班(ヤンパン)の正しい
生き方・日常行動なのである。異常に高い気位と怠惰が両班(ヤンパン)
特徴であった。

両班(ヤンパン)は朝鮮国内では頭を下げる事を極度に嫌い、少しでも
プライドが傷つけられるような事になれば、烈火のごとく怒りだす人々であった。

しかし、その一方、両班(ヤンパン)は、中国に対しては「事大主義」に徹した。
事大主義とは大きな勢力には逆らわず、ペコペコして、追従して生きる態度を
とる生き方である。中国の属国であった朝鮮では、宗主国・中国の意向に
いつもペコペコして、年貢を納め、中国の要求には何でもお従いしますという
態度がしみついていた。

両班(ヤンパン)の思想と生き方について、米国の外交官、グレゴリー・ヘンダーソンは
『朝鮮の政治社会』のなかで、「朝鮮の両班(ヤンパン)は、国家と民衆を食い物にして
私腹を肥やすことしか考えていなかった」と記述している。

両班(ヤンパン)は「公」に奉仕するのではなく、私利私欲に生きる人々だった。
そして、中国に対するその卑屈な態度は、そのうっぷんを晴らすかたちで、
国内では逆に、彼らの異常に高い気位となって現われていた。



ゲ・デ・チャガイ編 『朝鮮旅行記』 
73頁~第81頁抜粋
1885年の朝鮮の現況 
ロシア・アムール州総督官房付
公爵
 ダデシュカリアニ

各州の長官から三年置きに中央官庁へ寄せられる情報によると、
2年前の1883年の朝鮮の人口は1,063万人であった・
女性の方が多数を占めている。

われわれの理解するところでは、朝鮮人は主要な3階層に区分が可能である。
即ち、高貴なる階層の両班(ヤンパン)、半ば高貴な中人(チュイン)、
高貴でないイワノミである。

これらの3階層は、外観(衣服)でも権利においても、お互いに厳しく識別し
あっており、決して婚姻を介して相互に混じり合ってはならない。さらに、
これらの3階層のそれぞれに、たくさんの下位区分が存在する。

例えば高貴の両班(ヤンパン)の下位区分は、まず先祖の国事に対する
功労によって決定される。その際、文官としての功労の方が、軍人の
功労よりも上位に置かれている。次に、財産、つまり召使い数や奴隷の数、
ならびに国王の土地を賃借するための資金額による。

朝鮮には土地の所有権が存在しない。朝鮮王国(李王朝)の土地はすべて
国王に、換言するなら、国家に帰属する。朝鮮人は、高貴であると否とに
かかわらず、国王以外はすべて国有地の単なる賃借人である。

朝鮮人は賃借地の対価として一定額を国庫に納めねばならない。
宅地についても同様である。屋敷の所有者に属するのは建物だけで、
宅地は含まれない。

農耕地についても同様である。農耕地の賃借権の売買は存在する。
建物の売買の場合は、建造物の価格のみが評価の対象となる。

広大な土地賃借の権利は両班(ヤンパン)にのみ与えられている。
両班(ヤンパン)はその広大な賃借地を召使いや奴隷に耕作させている。
両班(ヤンパン)以外の階層は、土地の賃借権をまったく持たぬか、
あるいは限られた小面積の土地を賃借できるにるに過ぎない。

両班(ヤンパン)の特権は、広大な土地の賃借権だけではない。
李王朝・朝鮮の政治体制における主要な官職は、すべて両班(ヤンパン)に
独占されている。両班(ヤンパン)以外の階層の人々は官職に
就くことができない。


中人(チュイン)は、もっぱら宦官(かんがん・去勢された官吏)、
秘書、通訳官の職に就いており、王宮に勤務する中人(チュイン)が
最も重んぜられている。

最も数が多く、複雑な階層がイワノミである。イワノミは家柄と職務の
位によって区分されている。区分数は職業の数にほぼ匹敵する。

イワノミで第1位を占めるのは商人と家内手工業経営者である。
次には土地賃借者が続く。最下位が聖職者、輿運び人、奴隷である。

奴隷の存在は、李王朝・朝鮮の最も醜悪なる現象で、
決定的に社会を退廃させている。

しかしながら、奴隷のおかげで、両班(ヤンパン)と中人(チュイン)
のみならず、イワミノ内部の商人と家内手工業経営者も
生きているのである。

奴隷は誰でも購入できるのである。

李王朝・朝鮮における男奴隷と女奴隷の総数は100万人にも達する。

この不幸な奴隷のみが実質的勤労者であり、この奴隷100万人が、
残りの930万人全部を養っているのである。

李王朝・朝鮮は奴隷によって支えられているのだ。

奴隷は、死ぬまで、一生働き続けることが強制されている。
奴隷には、一切の人権が認められていない。
奴隷所有者は奴隷の生殺与奪権を握っている。
奴隷所有者が奴隷を殺害しても罪にはならないのである。





1929年、米国人新聞記者団の
日本の朝鮮半島植民地支配の実態報告


1929年6月、米国カーネギー財団から朝鮮半島に派遣された米国人新聞記者団は、
「朝鮮半島は、日本の統治によって数百年間の前近代的状態から抜け出して、
近代化の道を歩みだした。朝鮮人民は、李王朝の過酷無慈悲な暗黒政治から
救いだされた」と日本の近代化努力を高く評価している。



朝鮮民族運動者たちの日本政府の朝鮮統治に対する不満苦情について、
米国新聞記者たちは、朝鮮人に対して十分同情を持ち、気の毒には思えるが、
朝鮮に対する日本の統治は、公平・冷静・客観的に見て、
李王朝の統治と比べてはるかに勝っており、
朝鮮人民全体としてみるならば、
朝鮮人民全体の益を増している
と考えざるを得なかった。

朝鮮人が朝鮮を統治しつつある日本政府の施政に対して、一言も発言出来ない
ことは事実でる。又、学校に於ける日常語は日本語であり、李王朝の王族は日本婦人と
結婚し、朝鮮が、着々と日本化されつつあることは事実として認めるが、しかし、又、
一方において、
数世紀の間、朝鮮は無能・無策・無責任な李王朝の
専制政治下、隣強諸国より蹂躙され、其の結果、
貧困の極に達していた。


その朝鮮が、今や、恒久的恵沢の裡に太平を謳歌し、
無限の進歩と繁栄とに輝きつゝあることは、
誰の眼にも歴然として映っている事実である。

教育ある朝鮮人は愛嬌好く上品である。彼等は祖国を愛し、その伝統的精神を尊び、
自治権を失った事を非常に痛嘆している。しかし、反面て、日本の統治が、その宜しきを得、
時を追って貧民の数を少くしつつある。「彼らは自治権を失ったが、それによって
得たものは遥に大なるものがある」とクラーク氏は述べている。

ホーグ氏は次の如く書いている。
「日本統治に不満を抱いているのは、朝鮮人の少壮者であるが、彼等は日本政府の
建てた学校で教育を受けた者である。朝鮮における人口の大部分を占める農民と
労働者は、政治に対しては無関心であり、むしろ、現在の朝鮮は昔の李王朝時代に
比べて、遥かに大なる進歩であると考えている。

しかし、学校で学んでいる青少年は日本を敵視している。彼等は学校でデモクラシーを
学んでいて、反抗的で、日本政府の厳正な法の命令によらないと仲々服従しない。

しかし、列車の窓から見える千万の農民たちは、日韓併合に対しては何の反感も
持っていない。むしろこれを承認している。日本統治開始以降19年間、農民たちは、
その生命財産の安全を保障されているのであるから、若し、この生命財産の安全の
保障が覆ることにでもなつたら、それこそ大恐慌を来す。

政体などという様な事は、農民たちの原始的な概念では考え得らるることではない。
日露戦争終了後の25年間、農民たちのの所有する田畑が、兵馬のために、
畦道一隅たりとも損はれた事はない。勿論、他国の侵略を蒙つた事もない。
又、一度たりとも掠奪に遭つた事もない。このように、田園生活の平和は乱された事は
ないのである。

朝鮮人は、対岸の支那人が革命戦争のために、戦々兢々として国境を越え、
彼等の領内の山谷に避難して来るのを目撃して居る。彼等は二十代を経て、
ようやく、今日始めて、他国の侵略を免れているのである。

彼等の消費する食糧は祖先の時よりも少くはないが、尚多量の残余があつて、
四代前には夢にも見なかつた値で売捌く事が出来、多額の収入をもたらしてゐる。

日本政府は朝鮮に4000余の学校を設立した。1929年5月末日現在の
幼稚園及書堂を除く学校数は、官公立2162校、私立640校、計2802校である。
日本政府は初等教育の普及に努めている。初等教育効果は、朝鮮半島の
津々浦々に及んでいる。

しかしながら、初等教育の普及によって、新思想が旧思想を追い出している。
学校を出たばかりの青年たちは、水田で草とりをするよりも、京城の都会で、
舗装された道を闊歩するのを好む。親たちは、田畑で汗水を流しながら、
青年たちが農耕生活を嫌っていくことを嘆いている。

日本は朝鮮で何をなしたか

李王朝時代、度重なる河川洪水による土壌浸蝕が
止まらず、農業土壌は悪くなるばかりであった。
河川上流から押し流された多量の汚土が、
肥沃な田畑を覆ってきた。
悪化された土壌は、長年月にわたって充分の
手入れを行い、肥料を施さなければ旧に復さない。

日本の朝鮮統治以降、この河川洪水による
土壌浸蝕は大きく減少した。


日本政府の
懸命、しかも進歩的施設建設の結果、山が水を保留し得る様になつて来た。
日本の朝鮮統治以降、植えられた樹木数は6億本である。日本政府は、
毎年8千町歩の砂防ダム工事を施した。各種の土壌浸蝕対策が、1年に
9万1千町歩の割合で行われている。

日本政府のこの懸命な努力によつて河川水害は、
目に見えるほど大きく程減少した。


李王朝時代、河川の底は、毎年、礫や砂利やで埋められて来たが、
日本政府の浚渫工事で、多くの河川の河底が深くなつて来た。

この日本政府の努力が継続されるならば、50年後には、
植林された樹木が森林を成し、乾ききつている朝鮮の土壌も、
日本内地における土壌のように、水で潤って来ると思う。

1927年度(昭和2年度)の朝鮮総督府の施政年報によると、
1925年(昭和元年)には、朝鮮の人口、1910万3900の人の中、
1551万3418人、すなわち、81パーセントが農業・林業・牧畜業に
従事している。農業者数は1469万735人である。

日本政府は、極力、農業の効率・生産性を高める方針をとつている。
京城郊外の農学学校で近代式の農作法を教え、骨の折れない様に
努めて居る。しかし、朝鮮農村においては、農作に関する迷信が多い。
新しい農作法に変わるまでには相当な時間がかかると思う。

朝鮮人は身体も強壮で、立派な体格をして居る。
頭脳も明晰である。
しかし、
李王朝時代、朝鮮人の大多数は、ただただ、
不安にかられ、文明から遠ざかつていた。

鉄道もなく、自動車もなく、
農業で最も必要な潅漑施設もなかつた。
禿山を通る道路は畦道程度のものに過ぎなかつた。
市街地は臭く穢かった。
建物は、古こけた倒壊寸前的な許りであつた。

『日本の朝鮮統治を検証する』
第174頁・第175頁

第218頁~第221頁





イザベラ・バード 『朝鮮紀行』 第4章ソウル 寸描(抜粋)
第83頁~第92頁

ソウル寸描

この国に典型的庶民生活があるとすれば、それは首都ソウルにしか存在しない。
英国の農村地区ではロンドン志向が強いが、朝鮮ではソウル志向がそれよりも強い。
ソウルは中央政府の所在地であるばかりでなく、官僚の生活の中心地でもある。
官職すべての中央であり、官職に就く唯一の道である文官試験が行われる場所である。
農村地区に住む者には「ソウルに行けば何かにありつけるかもしれない」という
期待が常にある。

ソウルはまた、商業という概念が行商人の商いに限られているこの国の、商業の
中心地でもある。全国の商店がソウルから商品を仕入れる。全国の商品は
すべてソウルに集中する。ソウルは一部商品を実質的に独占している大手商人
ギルドの中心地であり、国内輸送を行っている運送業者業ギルドの中心地である。

朝鮮の地方行政官は、ソウルに住居別邸を持っている。一年の大半にわたり、
任地での職務を部下に任せている。両班地主は、不在地主で、首都に暮らして
所有地の庶民から地代を搾取する。

ソウルに住む王族、官僚、両班は、その生活程度を問わず、たとえ数週間でも
ソウル離れるなど、金をもらってもいやだと考える。朝鮮人にとって、ソウルは
生活するに値する唯一の場所なのである。

とはいえ、ソウルには、古代の遺物がいくつかあるが、芸術的建造物は
まったくない。公園もなければ、見るに値する劇場もない。欧米や日本ならば
数多ある魅力的な歴史的施設がことごとく欠けている。古い都ではあるが、
旧跡も図書館も文献もなく、宗教には無関心だったため寺院もない。
いまだに、迷信が強い影響力をふるっているため墓地すらない!

清国と同じような孔子廟と孔子碑を除けば、ソウル城内には李王朝公認の
寺院はひとつもない。また僧侶は、城内に入れば死刑に処せられかねなかった
ので、結果として、清国や日本の、どんなみすぼらしい町にでもある
堂々とした宗教建築物がまったくない。

南大門の外に軍神を祭った小さな堂があり、珍しいフレスコ画が描かれているが、
参拝者に出会ったことはめったになかった。寺院などの堂々とした宗教建築物が
ないのは朝鮮の他の都市の特徴でもある。

仏教は李王朝が創建される以前は、千年にわたり庶民に好まれた宗教だったが、
16世紀に、実質的に禁止されてしまった。

仏教の僧侶に対する過酷な法律が制定されたのは、300年前に
日本が侵略してきた時、日本軍兵士が仏教の僧侶に変装して
ソウル城内に侵入して、守備隊を虐殺したからだと。

その真偽はいずれにせよ、朝鮮では、よほど探さなければ仏教の形跡は
見つけられない。仏教寺院がひとつもなく、ほかに宗教の気配がなにもないと
なれば、朝鮮人には宗教心がないと考えても無理はない。

しかし、朝鮮人は、祖先崇拝と、大自然の力を盲信的に恐れているので
鬼神信仰が、朝鮮人にとっては宗教の代わりとなるものである。
私は、祖先崇拝も、鬼神信仰も、どちらも恐怖の産物ではないかと考えている。

祖先崇拝が守られるのは、子孫としての敬愛よりも、祖先の霊が、
子孫に祟ることへの恐怖からではなかろうか。祖先崇拝は国王から
庶民まで広く浸透している。

ソウル郊外にある墓地は、この風変わりな首都の大きな特徴である。
死者は美しい丘の南斜面を独占している。生前は、汚い横町の土壁の
あばら家で満足していた者も、死後は、よく手入れされた威厳のある
環境に包まれ、風のそよぐ丘の中腹で眠らなければならない。

樹木のとぼしいソウル周辺で姿の美しい木立があるとすれば、
それは王族や資産家両班の死者が眠る場所である。
王族の陵墓のある丘はかなり広大である。

裕福な両班の墳墓は、芝草を植えた小高い山で、
どっしりした石の欄干をめぐらし、小山の前部に壇を設けて後部を
馬蹄形に削ったものが多い。石の祭壇と灯籠が正面に置いてある。

300年前、ソウル城内で仏教が廃止され、
仏教僧侶のソウル入城が禁じられた時点で、李王朝・朝鮮では、
国家的信仰というようなものはいっさい消えてしまった。

しかし霊界に関するなんらかの認識が
存続したのは、主に祖先崇拝と、中下層階級が信仰した
最も盲目的かつ原始的な形のシャーマニズムを通してであった。





韓国側の言い分

「この菩薩座像は14世紀に日本が略奪した」と

韓国・端山(ソサン)市・浮石寺の円牛僧侶は2013年4月、
日本メディアの取材に応じて、対馬・観音寺の管理状態を批判し、
「14世紀に日本に略奪されて対馬に渡ったこの菩薩坐像の
文化財登録は1973年だ。これを見ても、この菩薩坐像が
重要視されてこなかったことがわかる」と述べた。

この円牛僧侶の発言について、対馬・観音寺の田中節孝・前住職は
「いつ文化財に指定されたかで価値が決まるのではなく、長年に
わたって対馬の地域住民が敬い、守ってきたことにこそ価値がある」
と語っている。

豊臣秀吉の朝鮮侵略が行われたのは、1592年と1598年、
すなわち16世紀末である。「14世紀に日本が略奪した」との
円牛僧侶の発言には納得できない。

16世紀、李王朝・朝鮮時代に仏教は排斥・迫害されていた。
迫害を逃れて菩薩様が対馬にこられたと考えるのが至当である。

日本政府の菅官房長官は、2013年2月末の記者会見で、
「国際法に基づき、韓国に速やかに返還を求めていきたい」と述べた。


ゲ・デ・チャガイ『朝鮮旅行記』平凡社東洋文庫 第74頁抜粋
1885年の朝鮮の現況 
ロシア・アムール州総督官房付
公爵
 ダデシュカリアニ

朝鮮人は孔子の教えを信奉している。孔子の教えは、ついぞ思想的な宗教で
あった試しはなく、あえて朝鮮人を偶像崇拝者と称し得るまでに歪曲されている。
寺院にも、また街頭にも、善神や悪神、また、賢明な神や腹黒い神などといった
各種の神々の像が所狭しと立ち並んでいる。だが、この装飾過多にもかかわらず、
朝鮮人は宗教的と言うにはほど遠い。朝鮮人が、時折、何らかの宗教的儀式を
とり行なうのは、宗教的心情によるものではなく、むしろ、気晴らしとして
である。

朝鮮において、仏教の僧侶は完全に軽蔑されていて、僧侶たちは、僻地の仏教
僧院で、民衆からまったく隔絶して暮らしている。

宗教に冷淡な朝鮮人だが、困難に出会うと極端に迷信深くなる。従って、かかる
状態の時にだけ仏教の僧侶に支援を求める。しかし、その場合でも仏教の僧侶を
宗教界の代表者というより、むしろ、占い師と見るのである。

カトリックの宣教師たちの中には、朝鮮人のキリスト教改宗は容易であると
言い張る人が多い。私は実際にこれらの改宗した朝鮮人と会ったが、彼らは
キリスト教徒であると同じ程度、孔子の信奉者でもあった。朝鮮人は、一般に、
何らの義務を負わせられない限り、キリスト教徒と呼ばれようと、マホメット
教徒、さらには異教徒と呼ばれようと意に介さぬようである。







韓国民の国民性である
「悪い結果の原因について、自ら反省することなく、
他人のせいにする」
ことは、両班(貴族)の遺伝子が国民の中に
色濃く残っていることの現れである。







韓国国民よ、日本の技術援助と
ODAで韓国のインフラが整備され
工業立国ができた恨みを
死んでも忘れるな!?

1966年~1990年までの 日本から韓国への
ODA(政府開発援助)実績
  ドブに捨てられた日本国民のゼイキン?

ODA援助事業名 実施年月 援助金額
01韓国鉄道設備改良事業 1966.06 39.60 億円
02韓国漢江鉄橋復旧事業 1966.00 3.60 億円
03韓国建設機械改良事業 1966.07 23.40 億円
04韓国水利干拓および浚渫事業 1966.07 11.88 億円
05韓国海運振興事業 1966.07 32.43 億円
06韓国中小企業および機械工業育成事業 1967.07 54.00 億円
07韓国鉄道設備改良事業 1967.03 33.65 億円
08韓国輸送及び荷役機械改良事業 1967.06 9.35 億円
09韓国光州市上水道事業 1967.07 6.05 億円
10韓国市外電話拡張事業 1967.07 3.60 億円
11韓国大田市上水道事業 1967.07 5.90 億円
12韓国産業機械工場拡張事業 1967.07 10.80 億円
13韓国昭陽江ダム建設事業 1967.08 3.96 億円
14韓国中小企業及びよび機械工業育成事業 1967.08 26.69 億円
15韓国高速道路建設事業 1968.06 10.80 億円
16韓国市外電話拡張事業 1968.10 6.48 億円
17韓国昭陽江ダム建設事業  1968.12 46.98 億円
18韓国高速道路建設事業 1968.04 18.00 億円
19韓国農水産振興事業 1969.06 8.92 億円
20韓国嶺東火力発電所建設事業 1969.09 6.41 億円
21韓国清州市上水道事業 1969.12 3.24 億円
22韓国南海橋建設事業 1969.12 7.88 億円
23韓国昭陽江ダム建設事業 1970.02 27.01 億円
24韓国市外電話拡張事業 1970.06 5.17 億円
25韓国総合製鉄事業 1971.07 28.80 億円
26韓国ソウル地下鉄建設国鉄電化事業 1972.04 272.40 億円
27韓国総合製鉄事業 1972.05 107.49 億円
28韓国商品借款商品借款等 1972.09 77.00 億円
29韓国総合製鉄事業 1973.01 10.87 億円
30韓国通信施設拡張事業 1973.04 62.00 億円
31韓国漢江流域洪水予警報施設事業 1973.07 4.62 億円
32韓国商品借款 1974.05 77.00 億円
33韓国浦項総合製鉄所拡充事業 1974.05 127.88 億円
34韓国大清多目的ダム建設事業 1974.12 118.80 億円
35韓国農業総合開発事業 1974.12 194.40 億円
36韓国浦項総合製鉄所拡充事業 1975.07 2.25 億円
37韓国北坪港建設事業 1976.03 124.20 億円
38韓国忠北線復線化事業 1976.11 43.00 億円
39韓国通信施設拡張事業 1976.11 66.00 億円
40韓国農業振興計画 1977.06 126.00 億円
41韓国超高圧送電線建設事業 1977.11 40.00 億円
42韓国忠B多目的ダム建設事業 1978.01 140.00 億円
43韓国農業振興計画 1978.01 60.00 億円
44韓国医療施設拡充事業 1978.12 70.00 億円
45韓国農業総合開発事業 1978.12 140.00 億円
46韓国教育施設拡充事業 1980.01 100.00 億円
47韓国国公立医療保健研究機関近代化事業 1980.01 40.00 億円
48韓国都市下水処理施設建設事業 1980.01 50.00 億円
49韓国教育施設(基礎科学分野)拡充事業 1981.02 60.00 億円
50韓国民間地域病院医療装備拡充事業 1981.02 130.00 億円
51韓国医療装備拡充事業(ソウル大学小児病院) 1983.10 54.00 億円
52韓国下水処理場建設事業(ソウル炭川) 1983.10 115.00 億円
53韓国地方上水道拡張事業(釜山,ソウル,晋州) 1983.10 78.00 億円
54韓国陜川多目的ダム建設事業 1983.10 204.00 億円
55韓国ソウル上水道施設近代化事業 1984.08 29.00 億円
56韓国下水処理場建設事業(ソウル中浪) 1984.08 167.00 億円
57韓国下水処理場建設事業(釜山) 1984.08 63.00 億円
58韓国気象関連設備近代化事業 1984.08 42.00 億円
59韓国国立保健院安全性研究センター事業 1984.08 24.00 億円
60韓国住岩多目的ダム建設事業 1984.08 111.00 億円
61韓国大田市上水道拡張事業社会的サービス 1984.08 22.00 億円
62韓国邱市城南市廃棄物処理施設建設事業 1984.08 4.00 億円
63韓国農業水産試験研究設備近代化事業 1984.08 33.00 億円
64韓国医療施設拡充事業 1985.12 123.00 億円
65韓国下水処理場建設事業(釜山長林) 1985.12 92.60 億円
66韓国下水処理場建設事業(光州) 1985.12 75.60 億円
67韓国下水処理場建設事業(春川) 1985.12 32.80 億円
68韓国化学研究計量標準研究資機材補強事業 1985.12 27.00 億円
69韓国教育施設拡充事業 1985.12 152.00 億円
70韓国総合海洋調査船建造事業 1985.12 41.00 億円
71韓国昭陽江ダム建設事業 1970.02 27.01 億円
72韓国市外電話拡張事業 1970.06 17.00 億円
73韓国総合製鉄事業 1971.07 28.80 億円
74韓国ソウル地下鉄建設国鉄電化事業 1972.04 272.40 億円
75韓国総合製鉄事業 1972.00 107.49 億円
76韓国商品借款等 1972.09 77.00 億円
77韓国総合製鉄事業 1973.01 10.87 億円
78韓国通信施設拡張事業 1973.04 62.00 億円
79韓国漢江流域洪水予警報施設事業 1973.07 4.62 億円
80韓国商品借款 1974.05 77.00 億円
81韓国浦項総合製鉄所拡充事業 1974.05 127.88 億円
82韓国大清多目的ダム建設事業 1974.12 118.80 億円
83韓国農業総合開発事業 1974.12 194.40 億円
84韓国浦項総合製鉄所拡充事業 1975.00 2.25 億円
85韓国北坪港建設事業 1976.03 124.20 億円
86韓国忠北線復線化事業 1976.11 43.00 億円
87韓国通信施設拡張事業 1976.11 66.00 億円
88韓国農業振興計画 1977.06 126.00 億円
89韓国超高圧送電線建設事業 1977.11 40.00 億円
90韓国忠州多目的ダム建設事業 1978.01 140.00 億円
91韓国農業振興計画 1978.01 60.00 億円
92韓国医療施設拡充事業 1978.12 70.00 億円
93韓国農業総合開発事業 1978.12 140.00 億円
94韓国教育施設拡充事業 1980.01 100.00 億円
95韓国国公立医療保健研究機関近代化事業 1980.01 40.00 億円
96韓国大邸市,大田市,全州市水処理施設建設事業 1980.01 50.00 億円
97韓国教育施設(基礎科学分野)拡充事業 1981.02 60.00 億円
98韓国民間地域病院医療装備拡充事業 1981.02 130.00 億円
99韓国医療装備拡充事業 1983.10 54.00 億円
100韓国下水処理場建設事業(ソウル炭川) 1983.10 115.00 億円
101韓国地方上水道拡張事業(釜山,ソウル,晋州) 1983.10 78.00 億円
102韓国陳川多目的ダム建設事業 1983.10 204.00 億円
103韓国ソウル上水道施設近代化事業 1984.08 29.00 億円
104韓国下水処理場建設事業(ソウル中浪) 1984.08 167.00 億円
105韓国下水処理場建設事業(釜山) 1984.08 63.00 億円
106韓国気象関連設備近代化事業 1984.08 42.00 億円
107韓国国立保健院安全性研究センター事業 1984.08 24.00 億円
108韓国住岩多目的ダム建設事業 1984.08 111.00 億円
109韓国大田市上水道拡張事業社会的サービス 1984.08 22.00 億円
110韓国都市廃棄物処理施設 1984.08 4.00 億円
111韓国農業水産試験研究設備近代化事業 1984.08 33.00 億円
112韓国医療施設拡充事業 1985.12 123.00 億円
113韓国下水処理場建設事業(釜山長林) 1985.12 92.60 億円
114韓国下水処理場建設事業(光州) 1985.12 75.60 億円
115韓国下水処理場建設事業(春川) 1985.12 32.80 億円
116韓国化学研究計量標準研究機材補強事業 1985.12 27.00 億円
117韓国教育施設拡充事業 1985.12 152.00 億円
118韓国総合海洋調査船建造事業 1985.12 41.00 億円
119韓国教育施設(文教部,国立科学館)拡充事業 1987.08 129.11 億円
120韓国中小企業近代化事業 1987.08 77.50 億円
121韓国農業機械化(全国農業協同組合中央会)事業 1987.08 77.50 億円
122韓国廃棄物処理施設(大邸市、城南市)建設事業 1987.08 53.72 億円
123韓国酪農施設(ソウル牛乳協同組合)改善事業 1987.08 38.75 億円
124韓国臨河多目的ダム建設事業 1988.06 69.75 億円
125韓国蔚山市都市開発事業(鉄道部門)1 1988.06 44.40 億円
126韓国栄山江3-1地区防潮堤事業 1988.06 44.40 億円
127韓国下水処理場建設事業(済州・清州) 1988.06 41.59 億円
128韓国教育施設拡充事業 1988.06 59.20 億円
129韓国研究所施設拡充事業 1988.06 26.79 億円
130韓国遺伝工学,化学研究所等の施設拡充事業 1988.06 56.24 億円
131韓国中央大,漢陽大,高麗学等上水道拡張事業 1989.08 14.34 億円
132韓国中小企業近代化事業. 1989.08 62.00 億円
133韓国ソウル地下鉄建設事業 1990.10 720.00 億円
134韓国医療装備拡充事業(ソウル大学校病院) 1990.10 43.20 億円
135国水産・商船学校練習船装備拡充事業 1990.10 21.60 億円
136韓国中小企業近代化事業 1990.10 115.20 億円
137韓国肉加工施設拡充事業 1990.10 17.28 億円
138韓国配合飼料工場建設事業 1990.10 54.14 億円
139韓国酪農施設改善事業 1990.10 22.48 億円
援助金額合計
9,764.42 億円

反日実践として、憎い、憎い
日本の援助で建設されたインフラは、
今後、一切、利用しないことにしょうよね!

特に、韓国挺身隊問題対策協議会の、尹美香さんと、
支援者の皆さん、
ソウル地下鉄とソウル上下水道施設とソウル大学病院は、
断乎として、一切、利用しないことですね!



Re:
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