慶長年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●慶長15年(1610)
●慶長16年(1611)
●慶長17年(1612)
●慶長14年(1609)
薩摩藩主島津家久は、大将樺山久高、副将平田増宗として3,000余人の軍勢で琉球へ侵攻。
敗戦後、尚寧王(しょうねいおう)は鹿児島へ送られる。
薩摩藩、琉球の検地をおこなう。
検地終了し、石高に89,086石の知行目録が与えられる。(石高制の導入)。
奄美大島ほか五島が分割される。
尚寧王、起請文を上呈し、帰国を許される。起請文への署吊を拒否した三司官謝吊親方鄭迵(さんしかん・
じゃなうえーかたていどう)、鹿児島で処刑される。
薩摩藩より『掟十五ケ条』が令達される。
麻平衡(まへいこう)(儀間真常)、薩摩より木綿を移入する。
宮古島の祥雲寺が創建される。
日本人の寄宿が禁じられる。
明への進貢が十年一貢に定められる。