Kさん (秋田県在住 40歳 自営業 男性) (2011年2月23日)
「これからの人生、話すことに自信をもって、勇気をもって生きていく決意をいたしました。」
私は物心(ものごごろ)のついた頃から、吃音で悩み、苦しんできました。小さい頃からずっとばかにされたり、いじめられていました。友達も一人もいなく、学校でしゃべったことなど、ほとんどありません。暗いトンネルの中で過してきたような学校時代でした。当然、学校は行きたくなかったので、休むことが多く、中学は義務教育なのに、なんとかぎりぎり卒業したようなものでした。行きたくなかつた高校は3か月で中退しました。吃音のせいで、とはいいたくないのですが、本当に辛い学生時代でした。
高校を中退してから、働かなければいけないと思い、たくさんの会社の面接を受けましたが、一番最初に聞かれる自分の名前すら、どもってまともに言えなかったので、学歴がどうこうの前に、すべての会社で不採用でした。自分は働くことも出来ないのかと、途方に暮れる思いをしました。
でも、不幸中の幸いか、実家が商売をしていました。本当は、自分の事を分かる人が誰もいない、実家から離れた遠い所で働きたかったのですが、いやいやでしたが、家の店を継ぐことになり、現在に至っております。吃音でありながらも社会人として、会社でバリバリ仕事をしているという話を聞く度に、本当にすごいと思います。私の場合、もし実家が商売をしていなかったらどうなっていたことだろうと思うと、正直ゾッとします。
実家で働くようになっても、学生時代となんら変わらなく、人と話す訳でもなく、電話が鳴っても出る訳でもなく、お客様にもまともに挨拶ができず、普通の会社だったら、完全にクビになるような状態でした。
このままではいけないと思い、インターネットで、吃音は治るとうたっている教材等を片っぱしに購入し、自分なりに一生懸命に頑張ったのですが、何をどうやっても改善する気配すらなく、とうとう人生をあきらめる一歩手前までいってしまいました。そんな時、さわやかカウンセリングのホームページに出会いました。
どうせまただめなんだろう、と半分諦めの気持ちをもちながらも、電話でのレッスンを受けることにしました。昨年の8月のことです。
レッスンを始めた頃は、今までの人生の中で、何十分も話をするといった経験がなかったので、ただ疲れただけでしたが、次第に慣れてくるにつれて、普段の生活の中でも少しずつ変化が表れるようになってきました。
そのひとつが電話応対でした。それまでは、電話をかけるときは、何時間も前から心の準備をして、周りに誰もいないことを確認してから電話をかけていましたが、今は受話器を持って、会社の名前と自分の名前を言えるようになりました。今でも緊張はしますが、以前よりはだいぶ電話応対が楽になりました。職場の人からも、積極的になったね、と褒められました。吃音が少しだけですが改善されたことによって、本当に久しぶりに褒められことが、涙が出るくらい嬉しかったです。
私は現在ちょうど40歳です。働くということは、人の役に立つことなのだということをこの歳になって知りました。まだまだこれからの人生、たくさんの人達の役に立たないといけないと思っています。
これからも吃音を改善していくためにも先生のレッスンと毎日5分間の音読習慣を続けていきたいと思っています。それと、人前で話す機会があったら、今までのように逃げないで、勇気を出して積極的に挑戦していきたいと思っています。
私は、既に申しましたように、学生時代はいじめられ、友達もいなかったので、成人式や同窓会などに一度も参加したことがありませんでした。
でも先日、本当に勇気をふりしぼって、中学校の同級会に参加しました。そうしたら、同級生が異口同音に、とても明るくなったね、と言ってくれました。そして、いじめていたのは、ごく一部の人達で、ほとんどの人が、私の事を心配してくれていた事を初めて知りました。今まで勝手な思い込みをしていた私は、本当に馬鹿だったと思いました。同級生の優しさを、初めて感じることでき、勇気を出してみんなと会えて本当に良かったと思いました。
これからの人生、話すことに自信をもって、勇気をもって生きていく決意をいたしました。
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