Doll-人形-

かつて、星は資源に満ち溢れ空気は澄み渡っていた。
しかし、科学の進化は資源枯渇という問題と環境汚染という副作用をもたらした。
そこで人々はくだらない理由で争っている場合ではない、と全世界協議に乗り出した。
全世界における兵器の徹底的な撤廃とその資源化、環境を優先とした技術開発、世界規模の平和協定。
星を考えるサミット、資源と平和の条約である。それが今から100年ほど前の話になる。
だが星は耐えることは出来なかった。行きすぎた進歩は1つの災厄をもたらした。
原因不明の死である。人々はそれを行きすぎた進化に対する呪いだと嘆いた。
呪いは世界中に広まり、死を撒き散らした。
人々は絶望し、人間の絶滅を囁いた。
しかし、そこに一筋の光明が差した。
国籍不明の科学者、ダリア=クロス博士がこれをウィルスの定義を越えたウィルスと提唱したのだ。
そしてとある島から対抗薬のサンプルを作成、それが見事に功を成した。

内海に浮かぶその島は3つの国に囲まれていた。
マルムステン公国、アーク王国、そしてインペリテ王国だった。
島は主立った資源も産業もなく土壌もそこまでよくなかったため、管轄を嫌がったアーク王国、インペリテ王国はこれを放置した。
しかし当時のマルムステン公はこの島を領に加え、補助を惜しまなかった。
島は1つの街と呼べるほどにまで発展した。
そして昨今、対抗薬が発表されると、アーク、インペリテ2国は手の平を返したように島を欲しがった。
資源の枯渇によりその価値が高騰する中、奇病の蔓延する中、対抗薬は最高のビジネスになるからだ。
しかし、どれだけ莫大な額をつまれてもマルムステン公はこれに応じなかった。
「世界規模でプロジェクトチームを結成し、開発を進めるべき」
2国に対しそう唱えたのだ。しかしこの意見を世界協議にかける前に、マルムステン公は反対派に暗殺されてしまった。
そして2国は連合し、ダリアの作成した対抗薬を発表したのである。
これに対し、公国公位継承者、ユングヴィ=マルムステンはレジスタンスを結成した。公国のものだけではない、賛成派の人間全てを傘下に加えた。

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「ザック…すまないが状況を説明してくれ」
俺達は洞穴内研究棟の広めの一室を借りて作戦を練ることにした。
「アーク王国、インペリテ王国連合軍は本島の街を占拠、拠点にした。この島のレジスタンスは少数。
 白兵戦に持ち込めば数で有利な向こうに優に勝機があるといってよかっただろう。ユンの銃と策、そしてユグドラシルがある。
 これだけあってもまだ数で向こうに軍配が上がるが、そう簡単には手を出せなくなっただろう」
銃。
兵器が完全に撤廃されたこの世の中で、この世界に唯一残ったと言っていい。
その経緯は知れないが、俺の腰に、今それはあった。
「資産が目当ての相手にならユグドラシルを盾に出来るか…ダリア博士、ワクチン及び抗生物質の精製、解明は?」
「まだだ…現段階では症状を軽くするのがやっとだ」
「ユグドラシルを盾にするっつーのは無理か…ユンはいまの戦況をどう思う?」
「俺は…早めに行動を起こすべきだと思う。ユグドラシルを破壊して脅す、っていうプラフぐらいはたてられるし、この島に来て向こうの病状も回復しつつある。また今なら俺の復帰で向こうは混乱しているはずだ」

ガチャ
「兄さん…」
「アンジュ…ただいま」
「兄さん!」
「お、おい、寝てろって」
俺は抱きついてきたアンジュをまたベッドに寝かす。
「だって…」
「大丈夫…俺はもうどこにもいかないよ」
「ん…」
唇で唇に触れる。
相手は妹だったけど…一度俺に芽生えた感情は拭えそうになかった。
「アンジュ…」
「ねぇ兄さん」
「ん?」
「お散歩行きませんか?」
「は?」
俺の妹はやはり痴呆だったのか?
「あのな、アンジュ、今の状況…」
「わかってます。兄さんが…戻ってきてくれました」

「アンジュ、危ないからあまり遠くへは行けないぞ」
冬の日は短く、すでに夕暮れの向こうに藍色のカーテンが押し迫っている。
もう足下の見えない森の中、俺達はひっそりとそびえ立つ大樹のもとへとやってきた。
初めて見る景色だ。以前は陽光に輝く大樹を、月光に輝く大樹を、そしていまは夕暮れの中で翳る大樹を見ている。
黒い葉のシルエットが、静かに風に揺れる。無言で。
「兄さん、覚えてますか?いつかここにピクニックに来ました」
「あぁ」
「できない料理をして、朝の弱い兄さんを連れて」
「…あぁ」
「でも兄さんは私を覚えて無くて」
「俺は…」
「それでも、兄さんは兄さんだった」
「俺は…逃げ出したかったのかも知れない。記憶を無くしてしまうことでこの罪過から、全て。
 そうすれば、いつでもお前の傍にいれた。くだらないことを話して、笑っていられた」
「………」
「でも、それで得られたものは何だったんだろうな…」
俺は東の空を見上げる。煙の昇る赤い空を思い出す。
二人、いつかみたいに樹の根本に座り込む。二人、しばらく黙り込んで、アンジュが切り出す。
「兄さん、明日…行ってしまわれるんですね」
「…戦いに行く決まったわけじゃない。交渉を持ち掛けに行くだけだよ。俺は…俺のやることを思い出したから」
「…そっか!」
「え?」
「帰りましょう、兄さん」
アンジュは今までの話を忘れたみたいに元気よく立ち上がると、ぱんぱんと服に付いた土埃を払った。
「アンジュ?」
「兄さん…がんばってくださいね」

翌日。俺達は使者を送り、連合国軍との会合を開く運びとなった。
少数の隊を率い、俺達は連合軍が駐在する街の屋敷で重い空気の中、会合を開く。
話は数日の後、2国の王が訪れることになるということでひとまずまとまった。
だがそこに1つの伝達があった。
「公女が倒れられました」

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「アンジュ!アンジュ!!」
がちゃん!!
乱暴に扉を開ける。
洞穴研究棟の個室。アンジュは静かに眠っている。
「静かにしろ」
「博士…」
「いま…安定したところだ。」
「アンジュは」
「出るぞ。ここは病院と違って響く」

会合が終わると俺は急いで洞穴に戻った。
アンジュが倒れて意識不明になったのだという。どういうことだ?これが彼女の病気なのか?
騒ぐ俺を病室から連れ出し、ダリア博士は淡々と喋った。

「アンジュの様態は」
「寿命だ」
「は?何言ってるんだ。まだ17だぞ!?」
「…ついて来い」
「まだなんかあんのかよ…」
「お前が気付こうとしなかっただけだ」
騒ぐ俺に、洞穴に非難してきたみんなが注目を寄せている。…悲しい目で。
知らないのは…俺だけみたいだった。

洞穴の一番奥の部屋から、さらに奥へと進む。
そこからはもう洞穴なんてものではなかった。
「ここは…」
壁も天井も床もしっかりと金属で舗装されている。完璧にシェルターになってた。
「来い」
つかつかと音を立ててダリア博士は進む。
黙ってついていくと、ダリア博士は1つの扉の前でカードキーを取り出し、リーダーに通した。
シュォオオオ…
扉が開く。
「入れ」
部屋の中は真っ暗だった。周期的に機械の「ごぅんごぅん」というモーター音のようなものが鈍く鳴り響いている。
「待ってろ。いま、照明をつける」
ダリア博士はつかつかと部屋の隅に歩いていくと、何か機械のようなものを操作すると、部屋に光が満ちた。
カッ!!
部屋には巨大なカプセルが1つおいてあるだけだった。隣にはモーター音の発生源であろう巨大な機械がおいてあった。
俺は愕然とした。
液体の詰まったカプセルの中で…裸の少女が眠っている。少女は、俺の知っている少女にあまりにも似すぎていた。
「アンジュ…!?」
ただ違ったのは…左胸から、放射線状に黒紫の痣が広がっている。
「どういうことだ…」
俺は振り返ってなにやら機械を操作するダリア博士に問う。
「恐らく…君が考えているとおりだ」
「じゃぁ今上で寝ているアンジュは…ここで眠っているアンジュは…」
「クローンと、そのオリジナルだ。そして隣の部屋には」
「もういい。もういい…眠っているんだろう?俺が…」

体細胞の染色体から体全体のタンパク質の組成表を作成。
あとはその鋳型に必要なタンパク質を流し込む。
それが…俺達…クローンの存在。
だがそのシステム、機構は、受精卵から体内で育てていく過程をとるよりずっと不安定だ。
人形は壊れてしまう…。

「…俺にももうすぐ訪れるのか」
死が。
「アンジュ君の場合、ウィルスの感染があったからな。遺伝情報をそのまま使うわけにはいかなかった。私が意図的にそれを改竄し、代用したのだ。
 …その結果が、あれだ」
「…そうか」

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数日の後、使者が訪れた。連合国王が到着したとのこと。
俺達はそれに応じて街へ赴いた。

「ユグドラシル、及びダリア博士を我々に譲ってはくれないか?」
「ユングヴィ君、我々は世界を救おうというのだよ!」
「巫山戯るな!だったら何故世界へ提唱しない!?俺達の国だけの問題じゃないんだぞ!!」
「ユングヴィ君、君はまだ若い。だから世界が見えていないのだ」
「資源枯渇のこの世界で生きていくのには、我々のような片鱗諸国は情熱だけでは生きていけないのだよ」
「あんたたちの言ってることは、俺達が生きれればいい、そう聞こえる」
「だがそれで救われる命もある」
「できれば多くの命がより早く救える選択肢があるのにそれを見捨てるのか?
 賛成頂けないようであればユグドラシルは燃やす。ワクチンも完成した。俺はこれを世界に発表する」 それで会合は開きとなった。

事はその日の深夜起きた。森に火が放たれたのだ。
「くっそなんだってんだ、一体!?」
「連合軍の仕業か!?」
「手の空いたものは川から水を汲んでくるんだ!ユグドラシルを守れ!」
「敵兵が潜伏してないか注意するんだ!」
何故だ…こんなことをすればユグドラシルもなくなってしまう可能性があるんだぞ!?
俺達は森の消火作業にあたった。空気が渇き、枯れ葉の多いこの時期、森の火の回りは早い。
ユグドラシルを燃やさないようにするのが精一杯で、森の大半は焼けてしまった。
だが、気付くのが遅すぎた。それが狙いだったのだ。
「博士がいない!」 誰かが叫んだ。
狙いは…俺達のアジトを燻りだし、手薄になったアジトからダリア博士を攫う。
俺達の切り札は…無くなった。

最悪なことはもう一つ起こった。アンジュの容態が急変した。
「…ぅぅ!はぁ…はぁ…」
「アンジュ…」
「ユン!水…替え持ってきたぜ」
「あぁ、ありがとうザック」
「どうだ、アンジュちゃんは」
「………」
タオルなんて変えたって、苦しみを取り除けるわけがないんだ。
今はダリア博士もいない。
「ザック…みんな…悪い。席を外してもらえるか?」
「え…あぁ、大丈夫か?」
「すまない」
俺はザック他、取り巻きの者達を退室させると、銃を構えた…。
できれば…こいつが血を流すのは…みたくない。
チャキ…
どうやらまだまだ未練があるみたいで、俺はシングルアクションでハンマーを起こす。
維持装置に向けてバレルを向ける。
目を瞑って。
アンジュの笑顔を思い出しながら。
引き金を。
引いた。
ガゥン…!
寂しげに銃声が一室に木霊する。
「はぁ…はぁ…!!」
「アンジュ!」
苦しみだしたアンジュに駆け寄る。
「アンジュ…!」
ピッピッ…
部屋に心電図の音だけが響いている。
「兄さん…」
ピッピッ…
「アンジュ…意識が…もういい、喋るな」
ピッピッ…
「………と」
ピッピ…
「え…?」
ピッ…ピッ…
「兄さん…ありがと…う…」
ピーーーー…

12月23日午後11時ほどらしい。
俺の叫び声が洞穴の中を木霊した。

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「ユン…その…ちょっといいか」
「あぁ。もう何が起こってもいい。言ってくれ」
「連合国が、ダリア博士との共同開発を発表した。それで色んな国と今取引をしてるらしい。」
「最低だな」
「いや、最悪なのはここからだぜ。俺達をこれまでユグドラシルを占有してたレジスタンスとして取り上げやがったんだ。連合国が手を結んだそこら中の国のやつらが今この島に向かってる」
「…そうか、全員を招集してくれ」

「みんな…聞いてくれ」
洞穴に非難していた人達に向かって、俺は喋り出す。
「この夜が明ければ…この島は戦場と化す。船はある。みんなはそれで…逃げてくれ」
「なんだって…」
「そんな…」
洞穴内がざわつく。
「ユングヴィ様はどうすんだい!?」
そんな声が聞こえてきた。
「俺は…この島に残り戦う。」
「ぇえ…」
「一人でも戦うってのか」
ざわざわ…
「勝ち目がないのは分かっている。けれど俺は…」
「俺は残るぜ!」
「ザック…」
「あんなバカタレ王共が築く世界なんて見てられねぇぜ」
「ザック…」
「俺も残るで」
「エドゥ?」
「なんで悪いこともしてへんのにわざわざ逃げなあかんねん」
「俺も残る!」
「俺も残るぞ」
「ここは私達の故郷ですから」
「ワタシハ、コノシマガ、スキデース」
「お姉ちゃん、僕を助けてくれた!」
「みんな…」
ぽん、っと俺の肩を叩いてザックが笑ってた。
「へへ…王様冥利に尽きる、ってか?」
「バカ…マルムステンは公国だ。王はおらん」
そして、最後の晩餐会が開かれた。
食料も酒も全て使い、それは豪勢に振る舞われた。
そして…夜が明けた。

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12月25日 曇り。
予想通り、翌日連合軍は攻めてきた。
焼けた森を中心に戦いは繰り広げられ、島のあちこちで火の手が上がった。
ドス…グサリ…グチャリ…
「ああああ!!」
「がああ!」
「うああ!」
死体が転がり、島が血に染まっていく…。
ガゥン!ガン!ズガン!
俺は襲いかかる、体に斑を持つ男達を躊躇いなく殺した。
島が血で汚れていく。
大樹の森。
オリーブ畑の見える丘。
オリーブ畑。
病院。
街。
みんな、血で汚れていく。
カシャ…ばらばらばら…
カチカチカチ…かしゃん!
シリンダーにリロードするたびに思い出を失っていく気がした。
俺のやっていることは何だ!
きっと連合軍だけじゃない。世界中から俺達を始末するために色んなヤツらが来ている。
世界中の人々を無差別に殺している。
あぁ。
俺のやっていることは…ウィルスと何ら変わりがないんだな…。

戦況は悪くなる一方だった。
俺達はどんどん追い詰められ、ユグドラシルに背を預けることになった。
今…ここを穢させるわけにはいかない。
ここには一つの墓があった。粗末に木で十字を組んだだけの墓だ。
できればここで戦いたくはなかった。
ピチャ…ピチャ…
いつの間にか剣が掠めたのだろう。脇腹から熱い感触が流れて伝わってくる。
痛かった。
脇腹じゃない。
この場所が、俺の血で汚れてしまうことが。
「もう…終わりにしてくれよ」
「あぁ?マルムステンの王様がついに頭がおかしくなっち待ったみたいだぜ!!」
ぎゃはは、と笑う男達。
苦しい。先ほどから血が止まらない。意識が霞んでいく。弾ももう無い。
「はぁ…はぁ…」
肩で息をする。
「なんでだよ…」
なんでだよ。
こいつらだって多くのものを失ってるはずなのに。
俺だって大切な物を失ってるのに。
生きるのに意味はいらないのに。
生きる場所を探しているだけなのに。
チャキ…
「なんでだよおおおおおおおおおおおおおおお!!」
カッ
そのときだ。空が光った。そして…
サー…
雨が…降っていた。
光の雨が…。
眩しいほどに降り注ぐ。
ふわ…ふわ…。
雨を手ですくい取ると…それは…。
「…種?」
俺も、ザックも、味方も敵も、皆、呆気にとられている。
種は地面に落ちるとみるみるうちに生長、芽を出し、花をつけた。
「おい、どうなってんだ?」
「なんだこりゃ…体の斑紋が…」
「消えてる!直ってる!!苦しくない!!!」
降り注ぐ光は、森を、島を、花で埋め尽くした。
敵兵のウィルスによる斑紋がどんどん癒えていくのが見て取れた。皆、剣を置き歓喜に舞い踊っている。 「ユグドラシルの花…?」
「ユン…これは…」
「アンジュ…なのか?」
いまや空は光に覆い尽くされて、見えない。
雨は暫く降り続けた。