| 国引き神話:夜見島と火神山 |
ヤツカミズオミズヌ(八束水臣津野命)が「国引き」で越国の土地を引くのに使った綱と杭は 実は隣の伯耆国の夜見島(弓ヶ浜)と火神岳(大山)でした |
| 熊野大社 |
首都のある意宇郡の社の筆頭に「大社」(おおやしろ)と別格扱いで記載される重要な神社。
風土記で「大社」とされているのはここと杵築大社(きずきのおおやしろ)(出雲大社)だけです。 |
| 岡田山古墳 |
1984年、意宇平野の岡田山一号墳から出土した鉄刀から「額田部臣」銘の入った銘文が発見され
風土記登場の一族が古墳時代にも活躍したことが分かり当時は大反響を呼びました。 |
| 出雲国造の館跡 |
風土記の丘の西に(約500メートル)出雲国造の館跡と神魂神社が隣接してあります。
荘厳な雰囲気の神魂神社本殿は国宝で火継神事も行われる古い神社ですが、なぜか風土記には記載がありません。 |
| 神の湯 |
現在の地名「玉造」は文字通り古代の聖なる産業に由来します。
忌部は東の松江市側の地名として今も広く使われています。
また風土記では「神湯」と呼ぶ『川辺の出湯』の薬効と繁盛振りを名調子で自慢する記述があります。
(ひとたびすすけば形容きらきらしく、再び浴み(ゆあみ)すれば、万病ことごとに除こる)。 |
| 美保社 |
美保郷の地名伝承は「オオナモチが越の国のヌナガワ姫と愛し合い生まれたミホススミ(御穂須須美命)がおられるからといわれます。 |
| 加賀の神埼 |
加賀神埼は佐太大神の生誕の地です。
「洞窟で佐太大神が生まれる時、弓矢が失せた。
母神のキサカ姫(支佐加比売命)は「失せた矢出て来い」と願いました。
すると、角の弓矢が、次に金の弓矢が流れきた。 キサカ姫は金の弓矢を取り、それで洞窟を射て貫通させた。」と言われます。 |
| 伊布夜社(揖屋(夜)神社) |
風土記は伊布夜社の社名を記すだけですが、この社名は他の伝記にたびたび出てきます。
「古事記」は 「イザナギが黄泉国の軍団を振り切った黄泉比良坂(よもひらさか)は出雲の伊賦夜坂(いふやさか)のこと」と記し、
日本書紀は
「斉明天皇の時代、犬が死人の手を言屋社(いうやのやしろ)に置いた。
天皇崩御の前兆だ」と記しています。 |
| 出雲国庁跡 |
風土記には出雲国庁自体の記述はありません
道度(みちのり)の記述に「飯梨河の野城橋から西に11キロで、国庁と意宇郡家の北の十字街(ちまた)にある」。
とあり、おおよその場所は推測されます。 |
| 六所神社 |
この六所神社は国府の総社と呼ばれ、古文書にもしばしば登場します。
総社とは国司が出雲国内の神々を合わせ祭るなど、国内の神社を統括する機能を持っていました。 |
| 真名井神社 |
当社は出雲風土記に言う「真名井社」、延喜式に記す「真名井神社」で、古い歴史を持つ意宇六社の一社です。 |
| 山代正倉跡 |
山代郷庁は郡家西北1.8キロにあると記されており、正倉とともに大庭町交差点の高台付近にあったと推定されていました。 |
| 山代二子塚古墳 |
島根県最大、日本でも最大級の前方後方墳で、出雲国造の墓とも言われています。 1925年(大正14年)、日本で初めて「前方後方墳」という名称がつけられた記念すべき古墳です。 |
| 八雲立つ出雲:須賀社 |
その歌は、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
で和歌の始まりと言われます。 |
| ウムカ姫御陵&法吉神社 |
法吉郷(ほうきのさと)の地名伝承は「ウムカ姫(宇武賀比売命)が法吉鳥(うぐいす)になって飛んで、ここに鎮座された」とあります。 |
| 佐太御子社(佐太神社) |
佐太御子社は加賀の潜戸で生まれた佐太大神を祭ります。
秋鹿郡は「国引き神話」にある古代狭田国に当たりますが、その偉大な創始神の社に「御子」というかわいい名が付くのは面白い。 |
| 野城社(能義神社) |
野城の地名の由来は、野城大神がいるためです、そしてこの大神を祭るのがこの野城社です。 風土記で大神と崇められるのは別格のオオナモチと、野城・熊野・佐太の三神しかいません。 |
| 黄泉の穴(猪目洞窟) |
この辺りに行った夢を見た人は必ず死ぬ。 それで世人は昔からここを黄泉の坂といい、その穴を黄泉の穴と名づけています。 (出雲国風土記:出雲郡宇賀郷の条) |
| 多太神社(秋鹿郡) |
秋鹿地区の郷土史によると、スサノオの尊のお子である「ツチホコトオルヒコ」は国巡りをしていてこの地を訪れました。
そして「心が明るく、汚れのない正しい心持ちになった」と言い、この地に鎮座しました。
この「正しい」をとってこの地に「多太郷」という地名が付けられたのだと言うのです。 |
| 秋鹿神社(秋鹿郡) |
秋鹿郡の地名伝承はアキカ姫(秋鹿日女命)がおられた為と言われています。
この美しい名の女神の由来は不明で、この女神を祭る秋鹿神社は風土記秋鹿郡の神社の末尾にかろうじて記載されています。 |
| 玉作湯神社(玉作りの神様) |
玉作湯神社は、奈良時代の「出雲国風土記」(天平5(733)年)に記された古社であり、式内社でもあります。 |
| 長浜神社(国引き神話) |
国引き神話で有名な八束水臣津野命は「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ・・・
最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう」と言われ、国引きを決心されました。
どこかに継ぎ足して縫い合わせられるような土地はないかと眺めてみると
「朝鮮半島の新羅の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ、「国来い」と引き寄せて縫い合わせていかれました。
こうして出来た土地は島根半島の西端の杵築の岬の一帯です この土地をつなぎとめるために立てた杭は三瓶山です
また引いた綱は長浜がそれです。 |
| 須佐神社(スサノオ終焉の地) |
高天原から出雲に追放されたスサノオの、出雲国風土記における故郷は須佐郷です。
スサノオが「この国は小さな国だが、良い所だ。我が名を木や石に付けよう」と言われ、大須佐田、小須佐田を定めたと言われます。 |