★文中リンク追加予定★
ジョン・コルトレーン
(JOHN COLTRANE)
1926〜1967
(1926)
9月23日 ノース・カロライナ州
洋服仕立て業の父ジョン・ロバート・コルトレーン
母アリス・ブレアの一人息子として生まれる
(1938)
音楽に理解があり憧れだった父ジョン病死。
ボーイスカウトのメンバーだったトレーン。
(1939)
聖スティーブン教会のバンドに参加
クラリネットを習う。
(1942)
ウィリアム・ベン・ハイスクールのバンドで
クラリネットを吹く。
アルト・サックスも勉強。
(1943)
6月 フィラデルフィアに移住。
オルンスタイン・スクール・オブ・ミュージックに入学。
アルト・サックス練習の日々。
9月 17歳の誕生日に 母から
中古のアルト・サックスをプレゼントされる。
(1945)
徴兵。海軍軍楽隊員としてハワイに。
クラリネット担当。
(1946)
6月 除隊。
ジョー・ウェッブ、キング・コラック楽団(R&B)で
アルト・サックス奏者に。
チャリー・パーカー〜ディジー・ガレスピー・バンドの
演奏を聞きに行きチャーリー(as)に感動。
(1947)
レッド・ガーランド(p)と共に
エディ”クリーンヘッド”ビンソン(as)楽団に参加。
アルトからテナー・サックスに持ちかえる。
(1947)
ビンソン楽団を辞めフィラデルフィアに戻り
パーシー(b)ジミー(ts)アル(ds)の
ヒース兄弟達と演奏。
ジミー・ヒースと共にハワード・マギー楽団加入。
(1949)
ジミー・ヒースと共に
ディジー・ガレスピー楽団に加入。
11月21日 ガレスピー楽団で初レコーディング。
(1950)
ガレスピー楽団解散。
引き続き ジミー・ヒース、ケニー・バレル
ミルト・ジャクソン等と
ガレスピーのスモール・コンボで演奏。
ソニー・ロリンズと知り合う。
(1951)
ガレスピー楽団を辞してフィラデルフィアに戻り
グラノフ音楽学校で
テナー・サックスを本格的に習得。麻薬常習
(1952)
アール・ボスティック楽団(R&B)に加入
レコーディングに参加。
(1953)
ジョニー・ホッジス楽団に加入レコーディングに参加。
(1954)
6月 スティーブ・デイビス(b)の家で
ネイマ・グラブスと出会う。
9月 麻薬中毒が進行しホッジス楽団を離れる。
(1955)
9月 マイルス・デイビスの
オリジナル・クインテットに参加。
@マイルス。トレーン。レッド・ガーランド(p)。
ポール・チェンバース(b)。
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)。
10月3日 ネイマと結婚。
10月27日 マイルスのバンドで初レコーディング
<Ah−Leu−cha>↓
『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』に収録
<Budo>
11月 トランジションにレコーディング。
11月16日 マイルス・バンドと共に
プレスティッジに初レコーディング。『マイルス』
(1956)
5月11日。10月26日
マイルス・クインテットで
『ワーキン』『リラクシン』『スティーミン』録音
5月24日 ソニー・ロリンズ(ts)との
『テナー・マドネス』録音。
6月 ニューヨークに移転。
10月26日 マイルス・クインテットで
『クッキン』録音。
11月 マイルスのバンド一時解散フィラデルフィアへ帰る。
(1957)
マイルスのバンドが再結成したが
彼の代わりにロリンズ(ts)が入ったのでショック。
麻薬、お酒を断つ。彼の転機。
この年1年間で20枚以上のLPに参加している。
4月 プレスティッジ・レコードと専属契約。
春 セロニアス・モンク(p)カルテットに加入。
秋までの約半年間イースト・ビレッジの
”ファイブ・スポット”に出演。
ライヴ・アルバムは なし。
4月16日 『セロニアス・ヒムセルフ』に客演 録音。
5月31日 初リーダー・アルバム
『コルトレーン』録音。
6月26日 『モンクス・ミュージック』録音。
9月15日 『ブルー・トレイン』録音。
(1958)
1月 マイルスのバンドに再加入。
キャノンボール・アダレイ(as)が加わりセクステットに。
2月7日 『ソウル・トレーン』録音。
4月2〜3日 『マイルストーンズ』録音。
6月25日 『ルグラン・ジャズ』録音。
7月3日 マイルス・セクステットの一員として
ニューポート・ジャズフェスティバルに出演。
ライヴ録音。
(1959)
3月2日、4月22日 マイルス・バンドで
『カインド・オブ・ブルー』の録音。
4月1日 『カインド〜』の合い間を縫って
アトランティックに『ジャイアント・ステップス』
を録音開始。アトランティックと契約。
12月 ニューヨーク・クイーンズの
セント・アーバンズに移転。
(1960)
3〜4月 マイルス・クインテットのメンバー
として ヨーロッパ公演に参加。
4月 マイルス・バンドを去り
自己のカルテットを結成。
↓
*スティーブ・キューン(p)→マッコイ・タイナーに
*スティーブ・デイビス(b)→暮にレジー・ワークマンに
*ピート・ラロカ(ds)→
ビリー・ヒギンズ→エルビン・ジョーンズに。
6月28日 ドン・チェリーと『アバンギャルド』録音
ソプラノ・サックス初使用。
10月 『マイ・フェバリット・シングス』
『プレイ・ザ・ブルース』
『コルトレーンズ・サウンド』録音。
↓
トレーン。マッコイ。デイビス。エルビン。
(1961)
3月 マイルスと最後の共演アルバム録音。
『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』
(いつか王子様が)
4月 インパルスと専属契約第一号。
5月23日、6月7日
インパルス第1弾『アフリカ/ブラス』
エリック・ドルフィー(as、fl、bcl)
ブッカー・リトル(tp)を加えた初オーケストラ。
ドルフィーがアレンジを。
5月25日 アトランティック最後の『オレ』録音
ドルフィー。フレディー・ハバード(tp)
これもドルフィーがアレンジ。
9月 ヨーロッパから戻ったドルフィーと
ウェス・モンゴメリー他のセクステットで
サンフランシスコのクラブ”ジャズ・ギャラリー”に
2週間出演。
そのメンバーを率いて
モンタレー・ジャズフェスティバルに出演。
<マイ・フェバリット・シングス>など演奏。
11月2〜3日 ビレッジ・バンガードに出演。
『コルトレーン・ライブ・アット・ビレッジ・バンガード』
録音。(ビレッジ〜→JAZZクラブの老舗)
11月5日 『インプレッションズ』録音。
11月 ヨーロッパ演奏ツアー。
トレーン。ドルフィー。マッコイ。エルビン。
ワークマン→12月にジミー・ギャリソン(b)に交代
12月21日 『バラード』録音。
コルトレーン・カルテット
↓
トレーン。マッコイ。ギャリソン。エルビン。
ドルフィー参加のコンボは賛否両論。(私は好き)
(1962)
3月 ドルフィー退団。
4月,6月 インパルスに『コルトレーン』録音。
5月 サンフランシスコの”ジャズ・ワークショップ”出演
5月20日のセッションにドルフィーが加わる。
9月26日 『エリントン&コルトレーン』録音。
10月 カルテットでヨーロッパ公演。withネイマ
(1963)
3月6〜7日 『コルトレーン&ジョニー・ハートマン』録音
5月 エルビン・ジョーンズ(ds)が麻薬治療入院。
代りにフィリー・ジョー・ジョンズ。ルイ・ヘイズ。
ロイ・ヘインズが交互に演奏。8月退院。
7月7日 ニューポート・ジャズフェスティバル出演。
ロイ・ヘインズがdsを。
ライヴ2曲が『セルフレスネス』に収録。
八月 ネイマと別居。アリスと同棲
10月8日、11月18日
『ライブ・アット・バードランド』録音。
10月 カルテットでヨーロッパに演奏旅行。
12月 ナショナル・エデュケーショナルTVの
ジャズ・カジュアル・シリーズにカルテットで出演。
(1964)
4月27日、6月1日 『クレッセント』録音。
6月29日 エリック・ドルフィーがベルリンで死亡
愛用のフルートとバスクラがトレーンに贈られる。
8月26日 アリスとの間にジョン・ジュニア誕生。
12月9日 『至上の愛』録音。
(1965)
2月17〜18日 『プレイズ・チム・チム・チェリー』録音
3月28日 <ネイチャー・ボーイ>を
『ニュー・ウェイブ・イン・ジャズ』に収録。
5月26日 『トランジション』録音。
6月28日 『アセンション』録音
withファラオ・サンダース(ts)。
7月2日 ニューポート・ジャズフェスティバルに出演
『ニュー・シング・アット・ニューポート』に収録。
7月 パリ。アンティーブ・ジャズフェスティバル出演。
8月6日 次男ラビ誕生。
(シタール奏者のラビ・シャンカールの名前を貰う)
8月26日 『サン・シップ』録音。
9月30日 『ライブ・イン・シアトル』録音。
10月1日 『オム』録音。
11月23日 『メディテーション』録音。
ラシッド・アリ(ds)が参加。
12月 マッコイ・タイナー退団。アリスが参加。
ダウンビート誌人気投票で4冠。
(1966)
2月 デトロイトのコボ・ホールで
セロニアス・モンクと共演(10年ぶり)。
2月2日 『コズミック・ミュージック』録音。
この日の録音の2曲が『インフィニティ』に収録。
3月 エルビン・ジョーンズ(ds)退団。
ビーバー・ハリスが参加(録音なし)。
5月28日『ライブ・アット・ビレッジバンガード・アゲイン』
録音。
7月 ニューポート・ジャズフェスティバルに出演。
7月8日 初来日。
9日の記者会見で「聖者になりたい」と語る。
長崎の平和公園に足を運ぶ。
7月22日 東京公演ライヴ。
『コルトレーン・イン・ジャパン』録音。
(1967)
2月22日 『惑星空間』録音。
3月17日、2月15日
ラスト・レコーディング・セッション
『エクスプレッション』録音。
3月19日 三男オラン誕生。
4月23日 ハーレムのアフリカ文化センターの
オープニング・コンサートに出演。
(日本公演のメンバー)
4月 インパルスと2年間の契約更新。
5月 フィラデルフィアの母の家で胃痛に襲われる。
7月14日 仕事の打ち合わせでインパルスに。
帰宅後吐血。
7月15日 吐血。
7月16日 ハンティントン病院に入院。
7月17日 午前4時肝臓疾患の為死去。享年40歳。
7月21日 午前11時 葬儀。
聖ペテロ・ルーテル教会。
アルバート・アイラーとオーネット・コールマンが
それぞれのバンドで追悼演奏を行う。
カル・マッセイが「至上の愛」の詩を朗読した。
ニューヨークパイローン・メモリアル・パークに埋葬
戻る