2009・春〜新潟「天地人」ゆかりの地を巡る
(2009.5.3〜4) 


今年の我が家のGWは…高速道路の料金割引と新潟へ帰省を兼ねてですが〜、
折角ですから「天地人」のゆかりの地を巡ろうと言うことで、出かけてきました。


1日目

高速の渋滞を避けるために、4時に起き、4:50に出発しました。
まずは50号線で北関東道の太田・桐生ICを目指します。
流石にこの時間、50号はスイスイ〜、しかし北関東道に入ると…
いつもなら殆ど車の姿を見ないところですが、今日は思ったより車の量が多いです。
>やっぱり1000円だからでしょうか〜(汗)

まずは調子よく北関東道から東北道・上信越道に乗り継ぎます。
すぐ横に妙義山(↓左)、浅間山(↓右)と景色が流れていきます。

 

しかし上信越道も進むにつれ、先頭は何をしているの?という〜なぜか訳が分からない渋滞にはまります。
あとはトンネルが多いせいか、トンネルの前が渋滞に…
そんないくつかの渋滞を抜けて〜まずはpapaのリクエストで、妙高高原のいもり池へ




妙高高原 赤倉温泉・いもり池

妙義山を湖面に映し、とても綺麗な風景を作っています。

桜もまだまだ咲いてました。
周囲500mほどのいもり池の周りには、この時期水芭蕉が見られます>ちょっといい時期は過ぎていましたが…

また上信越道に乗って、上越市の春日山に向かいます。



目指すは戦国武将上杉謙信の城として知られる「春日山城」
難攻不落の山城とよばれ、とにかく天然の要害でした。
鉢ヶ峰(標高182m)山頂にあった城ですが、現在では建物はなく、井戸跡や多数の曲輪、復興された毘沙門堂が残っています。

さすがにGW、春日山城址までは車は入れず、春日山神社手前の「埋蔵文化財センター」に車を置いて、
約1kmのなだらかな上り坂を歩くか無料の巡回バスに乗るかします。
私たちは、バス待ちを避けて、20分くらいと聞いて歩くことにしました…しかしこれが結構辛かったです(汗)

歩く道々に…

なだらかに登っていきます(汗)。汗かきかき歩いている横を無料のバスに追い越されるのは〜きついですわ。。。
春日山神社の前の広場に、城下を見下ろす謙信公の像があります。

山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社です。
その歴史は意外にも浅く、明治23(1890)年に、童話作家・小川未明の父小川晴明によって創建されました。
日本近代郵便の父・前島密も援助したといわれています。

こちらから本丸や天主台へ上れますが、少々根性なく登るのは止めました。。。

続いて、無料の巡回バスで〜春日山神社→林泉寺へ向かいます。



林泉寺

謙信公の祖父である長尾能景が、父・重景の菩提を弔うため明応6(1497)年に建立した寺院。
ここで謙信公は名僧・天室光育の厳しい教えのもと、7〜14歳までの青年期を過ごしました。



惣門
惣門は春日山城の搦手門を移築したとされています。

惣門を過ぎると、その奥には鎌倉時代の和様と唐様を取入れたという山門があります。
その姿は堂々と立派で、掲げられている「第一義」の扁額は複製で、
実物(謙信の書といわれている)は宝物館に納められています。


『第一義』…釈迦が悟った万物の真理のことだそうです。

 
門向かって右側 門向かって左側


門の天井に書かれた「龍」の絵

山門を通り過ぎると梵鐘があります。
一番奥の本堂

上杉軍のシンボルの字「毘」を前後にあしらったお守り。
今でもお寺で一つ一つ手作りで作られているそうです。


宝物館
林泉寺を菩提寺とされた歴代城主ゆかりの品々を多数収蔵展示する歴史資料館。


墓所へと続く石段

苔むした墓石〜上杉謙信公御墓

4度に渡り繰り広げられた川中島での合戦の死者をまつる供養塔

とても立派で、また時代を感じる林泉寺を後にします。
こちらから駐車場までは、無料シャトルバスを利用させて頂きました。

しかし〜何とも案内表示が満足になく、また案内人らしく一も殆ど居ません…なかなかすべてが分かりにくい。。。
これだけ「天地人」ブームで人が押し寄せることは予想されるわけで、なんか意外!と思いました。

埋蔵文化センター〜春日山城址〜春日山神社〜林泉寺 と、歩けば歩ける距離ではあります。
でも勾配がかなりありますし、それなりの覚悟?は必要かな〜と。
でも平日などは、春日山城址もかなり上まで車は入れるようですし、逆に週末などは、シャトルバスが出ています。上手に使ってみてくださいね。



大河ドラマ「天地人」にちなんで、いろいろな所でイベントをやっています。
上越市でも『越後上越 天地人博』を開催!…一応抑えました(汗)

大河ドラマ「天地人」のスタジオセット再現、ドラマの主人公・直江兼続公や上杉謙信公のほか
春日山城・御館の乱に関する展示、天地人シアターがありました。
時代背景の説明

「天地人」の撮影で使用された衣装・小道具等が展示されています。
 
武将姿の方と記念写真も撮れます。
そして、直江兼続役の妻夫木聡さんとの記念写真も〜★
まるで本人と写真を撮るようでしょ★
   
 
売店では、新潟のお酒や「天地人」にちなんだ商品が…結構すごいネーミングです?!
 

外でもいろいろな催しが…
でも残念ながら、正直かなりの期待はずれの内容でした。。。
上越の方は、実際のところ上杉家は米沢に行った時に
かなりの宝物は米沢の方へ持ち出したそうですよ(汗)

すぐお隣は上越市立水族館です。
以前訪れた時のレポートはこちら


実家に向かう前に、「与板城址」へ向かいます。



与板城址(場所はこちら)

兼続はこの与板城を主に使っていたそうです。
そんな兼続・お船ご夫妻にあやかろうと、此方に来ることを決意!!

標高104mの山城には空堀跡や土塁、妻・お船も使ったといわれる井戸「おせん清水」などがも見られます。
また山頂には実城(本丸)跡があります。
登り口から山頂までは遊歩道が設けられており、所要は約15分程度です。


与板城址へは、八坂神社のこちらの階段からスタートです!
「実城まで460m」と看板はありましたが…

階段を上がったところに貸し杖がありました(汗)
此方では遠慮せずに借りたほうがいいと思います。
因みに〜私は借りませんでした。。。(大汗)
いやいや〜400mと言っても、なかなかの階段です!!(汗・汗…) 「竪堀」を過ぎ、「実城まで390m」の案内札を通過。
しかし〜運動不足がたたり、かなり息が上がりました。
坂道が続きます〜 途中「おせんの清水」があります。
今は枯れていますが、
此方の水でお船さんが兼続のためにお茶をたてたとか〜

着きました〜(大汗)
かなり登りました〜!
昔の人はこれを登ったり下りたりしていたんですよね〜
信じられません・・・
石碑がありました。
「望む所の事 信の一字なり」
本丸跡

大河ドラマが始まることとなり、急遽階段などを整備したと見えて、山道は綺麗です。
しかし460mといいながら、なかり疲れます!…山城だから当然ですがね〜(予想外でした。。。)



謙信公の像を拝見したら〜今度は兼続公の像を拝見しないと〜
与板城址からすぐの 
兼続お船ミュージアム(与板歴史民俗資料館) へ


1階の「直江兼続の生涯」コーナーでは、資料や写真グラフィックで、兼続の生涯を絵巻物のように紹介。
2階の「直江兼続と与板」コーナーでは、「直江三代」と「与板城と本与板城」「与板衆」等を掘り下げて紹介。
しかし、この日は時間が遅く入ることが出来ませんでした〜(汗)

兼続公の像


今日はこれでおしまい…また明日☆


2日目

天気は曇り空…GWの渋滞を避けながらの旅になりそうです。


新潟平野は、例年GWの時期は田植えの真っ最中!
秋の美味しい新米が楽しみです!

長岡までは北陸道です。
いや〜まだ午前中というのに車が多いです。
いつもはこの時期でも前後に数台しか見えない道なんですが、
やはり1000円効果ですかね〜?!


まずは、天地人とは離れますが〜義父がここは絶対のおすすめ!ということで、
魚沼市の曹洞宗赤城山西福寺(大浦の開山堂)へ行ってみました。



↓開山堂とは、そのお寺を開かれた御開山様である初代の御住職様をおまつりする御堂のことをいうそうです。

開山堂の外観。中は撮影禁止です>残念
←雪よけも立派で、このあたりが豪雪地帯だということも分かります。


開山堂の中には、幕末の名匠石川雲蝶の素晴らしい彫刻と絵画が施されています。
曹洞宗の開祖道元禅師様を題材にした作品が多く、特に堂内の天井三間四方全面に施された雲蝶作の彫刻、
「道元禅師猛虎調伏の図」は、透かし彫りの繊細さと極彩色のあざやかさで、その素晴らしさは言葉ではたとえられないほど!
ぜひぜひ一度ごらんになって下さい。
写真撮影は出来ませんのでご紹介は出来ません。HPでご覧下さいね。



右手が本堂です。春というのに、木々が紅葉?!
現在の本堂は1801年に再建。200年もの間風雪雨に耐えてきたわけですね。

本堂内の欄間、襖などには、狩野松州、石川雲蝶等の
勝れた彫刻絵画が遺されています。
 
本堂の大縁(廊下)の床板には、雲蝶の施した埋め木が数多くあり、歩く人の目を楽しませてくれます。
 
本堂の裏には、庭園があります。時々に季節の花も見られると思います。




雲洞庵に向かう前に、八海山へ寄り道です。

八身山は険しい岩峰群で、最高峰は標高1,778mの入道岳です。
越後駒ケ岳・中ノ岳とともに越後三山の一峰で日本200名山の1つににもなっています。

八海山といえば〜大河ドラマ「天地人」のオープニングで、主人公直江兼続(妻夫木聡)が山頂に立っているシーンが有名になりました。


八海山ロープーウェイがあります。
今回は残念ながらバスでした(汗)


さてさて〜今回一番楽しみにしていた「雲洞庵」に向かいます…

喜平次景勝と与六兼続は幼少のころ、ここで学問を学びました。
当時の住持は北高全祝や通天存達。通天存達は長尾政景の兄で、景勝の伯父にあたる人。
兼続の兜の前立ての「愛」という文字は、この通天存達の教えからなると言われています。

大河ドラマでもこの雲洞庵のシーンはとっても印象的でしたよね〜


実は、この先歩いて15分くらいのところに雲洞庵があります。
警察の方に…「雲洞庵の周りは駐車スペースが無いので、此処に車を停めて歩いてほしい」と言われました。
「まぁ仕方ないか〜」と思い歩きましたが、結構遠くって〜(汗)、少々後悔しましたよ…
雲洞庵周辺は確かに駐車スペースは正直ありませんので、ご注意下さいね。

赤門より本堂に至るまでは石畳の参道が続きます。
その石畳の下に法華経を一石一字ずつしるし、その経石を敷きつめたことから、
この石畳を踏みしめてお参りすると罪業消滅、万福多幸の利益に預かると言い伝えがあります。

鐘楼堂

仏殿

本堂
室町時代永享年間、上杉憲実公によって建立
江戸時代宝永四年廿四世によって、再建
間口十四間、奥行十間半、近世寺院建築の最もすぐれたものとされ、新潟県の文化財に指定されています。

方丈の間 

「祈祷」の額
 順徳天皇によって書かれたもので、佐渡を平定した景勝が、
佐渡・長安寺より持ち帰ったものだそうです。
 
 

樹齢300年の杉木立

雲洞庵外壁
 
雲洞庵住職 新井勝龍様のお話の記事がこちらにありました。

NHK大河ドラマが「天地人」として放映された中で、主人公直江兼続の幼少期・樋口与六の場面は大変印象深いです。
英雄二人の礎が培われた場所と思うと、嬉しく思います。

 
正面の山左手が坂戸城址、右手は雲洞庵です大河ドラマの中では、与六は母恋しさに雲洞庵を抜け出し坂戸を目指して歩いていましたね〜



上りの渋滞を避けるため、早々に帰路に着くことにします。

さてさて、帰省のついで?の「天地人ゆかりの地めぐり」…
かなりの駆け足でしたが、ちょっと垣間見られたかな〜と。
大河大好きな我が家では、後半の「天地人」も楽しみです。

夏は米沢か〜?!


←帰りの関越トンネルです。
全長は上り線が11,055m、下り線は10,926mで、道路のトンネルでは日本最長、世界でも11番目という長大トンネルです。


新潟産コシヒカリモナカ
コメ粒らしい白いものが入っています〜
氷の粒?なんていう感じですが〜まぁ美味しったですよ〜。

結構いろいろなところで販売しているようです。ご賞味下さい〜

栃尾あぶらげ
なかなか歴史は古いようです。
とにかく大きい!(長さが約20〜22p、幅が6〜8p、厚さが3pくらい)、中の芯までふっくら揚げるために低温と高温の2つの鍋で二度揚げをしているそうです。
カリッと焼いて食べてみて下さい!美味しいですよ〜