『明日は雨降るらしいから。傘忘れんなよ、坂田』
そう言われたのが、昨夜の夕食が終わって先生が自宅に帰る時。
次の日の朝は見事な快晴で。
本当に雨なんか降るのかよ?とか思いながらも、先生に言われた通り、俺は折り畳み傘をカバンに詰め込んだ。
好きな人の言う事なら何だって聞く。
これ恋する奴の常識ね。
…まっ、降らなかったら降らなかったで、それをエサに先生と放課後デートと洒落込もう。
とか思ってたら、どうだ。
「げー!マジかよ!!」
「今朝はあがーに晴れちょったががやき…」
「…不覚だ…」
上履きから靴に履き替え、玄関を出ると…そこには滴る雨にどんより空。
嘘、だろ…あんなに晴れてた空は嘘のように、今は雨を滴らせている。
「うがー!傘なんか持って来てねェよ!!」
「あっはっは〜。何じゃ、晋助、置き傘しちゃーせんなが?」
「そう言う坂本はしているのか?」
「そうだよ!!」
「あっはっは〜!!…しちょらん」
「人の事言えねェだろうが!!」
「あっはっは〜!!」
下校しようとして、玄関に居た奴等は、皆今朝の快晴、そして突然の雨に傘を持ち合わせておらず、ポカンと空を見上げている。
「…ふっふっふ」
「あぁ?」
「何じゃ、ヅラ。急に笑い出したりして、どうしたがなが?」
「愚か者共が!これを見よ!!」
「あ、傘!!」
「でかした、ヅラ!これで…」
「アホか、4人も入れるか!!」
本当に降ったよ…すっげェなぁ、先生…。
確か天気予報も晴れだったんじゃ、なかったっけ…?
「…銀時!!」
「…んぁ?」
「アホ共は置いて行って、俺と共に…!!」
「ごめん!!」
「銀時?!」
「銀?お、おい…!!」
「何処行くんじゃ、金時!!」
「それ、使って良いから!!」
「え…、傘??」
「何じゃ、おんし持っちょったのか?」
「うん!でも要らねェっ!!」
「お、おい、銀!お前もう1本持ってんのかよ?!」
「大丈夫だから!使って良いぜ!」
「使ってって…おい、銀時!!」
「じゃぁね〜!また明日!!」
俺はカバンに入ってた折りたたみ傘を辰馬達に投げ渡すと、そのまま廊下を走る。
廊下には下校しようと、生徒が俺とは正反対の廊下を辿る。
俺は、そのまま廊下を駆け抜け、階段を2段飛ばしで駆け上がる。
きっと。きっと!
「…っ、先生!!」
「ぅわ!!…び、ビビった…何だ、坂田かよ……」
叫び声にも近い声を上げて、先生が使ってる資料室のドアをガラリと開ける。
煙草を吸っていたらしい先生は、慌てて煙草を灰皿に入れ、振り返って。
資料室に入って来たのが俺だと解ると、微かに安堵の表情を見せた。
「ノックをしろ、ノックを…。あ〜…ビックリした…」
「先生駄目だよ〜喫煙室以外で煙草吸っちゃ」
「良いんだよ。俺はその方が仕事が捗んだから」
「じゃぁ、堂々としなよ、堂々と」
「うるせェ」
そう言って、またカチリと新しい煙草に火を点ける。
「で?」
「へ?」
「何か用があったから来たんだろうが」
「そうそう。用があったの、用が」
「何だよ?」
「先生いつ、帰る?」
「は?何で?」
「だって、ほら」
「?」
俺がそう言って窓を指差すと、先生は視線をそちらに移した。
「何だよ?」
「雨」
「は?」
「雨降ってるから。先生昨日雨降るつってたでしょ?だから傘持ってるかな〜と思って」
「はぁ?俺昨日言っただろうが。『雨降るから傘忘れんなよ』って」
「うん。でも朝ピーカンだったから」
「…で。俺の傘に入ろうと」
「うん。愛合い傘
」
「…………………………………………」
俺の言葉に無言になって。
先生は何やら苦々しい顔。
え〜、良いじゃん。ちょっとした青春の1ページって奴?
俺がそんな事を思っていたら。
「…ほらよ」
「へ?」
ポイっと投げられたものを受け取る。
「って、えぇぇ?!!」
「えぇぇ、じゃねェだろうが。俺の傘貸してやっから、それ差してさっさと帰れ」
「えー!じゃぁ先生、濡れちゃうじゃん!!」
「俺ぁ車で来てるから、駐車場まで走って行けば、んなに濡れねェよ。良いから、さっさと帰れ」
「えー!やだやだ!!先生と愛合い傘して帰るぅぅ!!!」
「馬鹿言うな!つうか、俺なんか待ってたら何時になるか解ったもんじゃねェぞ!!」
「え〜…別に良い。待ってる」
「駄目だ。遅くなる」
「やーだー」
「坂田!!」
「やーだー!!待ってる待ってる待ってるぅぅぅぅ!!!!」
駄々っ子みたいにそう言い放つ俺に。
先生は、ハァ〜っと長い溜息を吐いて。
「…言っとくけど、相手、出来ねェぞ」
「うん。全然問題ない」
「…大人しくしてると。約束出来んのか?」
「約束します!」
ビシっと。敬礼みたいな形を取ると、先生はますますハァ〜っと溜息を吐いて。
「…じゃぁ、勝手にしろ」
「勝手にする」
諦めたのか、クルリと俺に背を向けて机に座る。
えへへ。
俺知ってるんだ。
俺がこうやって駄々捏ねれば、先生は余程の事がなければ折れてくれる。
それに甘えるのは、凄く心地良い。
子供みたい…まぁ、実際先生にして見れば子供なんだけど。
こんな子供染みた事、したくないんだけど。
先生と一緒に居たいから。
許される限り、先生の一番近くに居たいから。
俺は時々こうやって。子供の真似事みたいな事をして、先生の傍に居る。
だって実際先生は、仕事が忙しくてあんま一緒に居られない。
そりゃ、他の生徒に比べれば、ずっときっと、一緒に居る時間は多いんだろうけど。
でも、それだけじゃ足りないんだ。
もっと、ずっと、こうやって。
先生の傍に居たい。先生と一緒の空気の中に居たい。
誰よりも、何よりも。
「……………………………………」
静かな部屋に、俺はそっと近くにあった椅子を持って来て、窓の傍に腰を下ろす。
下を眺めれば、開いた傘の数、数、数。
黒とか赤とか、中には柄だったり…人だったり。
雨の中、下校する生徒の姿が見える。
サァァァァと雨の音が聞こえる。
カチカチと時計の音が聞こえる。
目を閉じれば。
その音が世界を支配する。俺の世界。音、だけ。
先生のペンの音がする。
先生のページを捲る音が聞こえる。
息遣い、ペンの音。時計の音。
間違いなく。今、この世界に。俺と先生だけ。
息遣い、ページを捲る音。雨の音。
心地良い、沈黙。
…俺の、俺と先生だけの世界。
スー…ハー…、カリカリ、ペラリ、カチカチ、サァァ。
「…坂田?」
静か過ぎると振り返れば。
腕を枕代わりにして、ソファーに横たわり寝ている坂田の姿。
…だから先帰れつったのに。
「…風邪ひくだろうが」
寒いのか、身体を丸めて眠る姿は猫を思わせた。
俺はそれにクスリと笑って、自分が着ていた上着を脱いでそれを坂田に掛けてやる。
パサリとそれを坂田に掛けて、チラリと時計に目を走らす。
7時過ぎ…集中していたせいか、俺が予想するよりずっと時間は経っていた。
「…帰りゃぁ良いのに」
こんな時間、退屈だったろう…。
この子供は。
会った時から俺に懐いていた。
別段、この子供の気を惹くような、何かをした覚えはない。
それなのに。
冗談なのか、からかっているのか。
毎日、それこそ顔を合わす毎に紡がれる、『好き』と言う言葉。
冗談か、本気か。
その真偽が諮れない。
「…否」
本当は解ってる。
きっと、コイツは。
歳の近い俺に、女子が抱くような、憧れの近い、思春期独特の感情に流されているだけだろう、と。
だから。
きっとこの時期が過ぎてしまえば、コイツの中のそんな感情は消え。
俺は一教師になるだろう。
思い出になるだろう。
「…………………………………」
俺は、本人は嫌いらしい、ふわふわとした銀髪を撫でる。
くしゃりと撫でたその髪は。ふわふわとした、そしてサラリとした、坂田の独特の髪の感触を俺の手に平に伝える。
「…んぅ…」
「…と。……起こしちまったか?」
「…んん…せん、せ…」
「…寝惚けてやがる」
だから。今、だけ。
誰よりもお前の傍に居させてくれ。
こんな感情、教師が生徒に、男が男に抱くのはおかしいって解ってる。
だけど。
俺の胸に在る、この気持ちの正体も。
お前が俺に紡ぐ、あの言葉も。
傘のせいで隠れた、人の顔のように。
…まだ、あやふやなままで居たい。
穏やかな時間、吐息だけが支配する、世界。
「…坂田」
穏やかで、優しくて。…愛しくて。
「……坂田。起きろ」
閉じ込めてしまいたい気持ちと。
このままで良い訳ないと思う気持ち。
窓に零れる水滴に、光が反射するように。
輪郭は、はっきりとさせない。
「………坂田、起きろって」
…まだこの気持ちに『答え』は要らない。
…まだその言葉に『真実』は要らない。
「…ん、ぁ…せ、んせ…?」
この穏やかな時間を大切にしたいから。
「熟睡してたな」
「ふ、あ〜ぁ…ぁれ?俺、寝てた…?」
「あぁ」
この距離を保っていたいから。
「!先生…?」
くしゃりと俺は坂田の頭を撫でて。
「随分待たせちまったな。飯食って帰ろうぜ」
「マジで?!じゃぁじゃぁ、俺寿司が良いな!もち、回んない奴ね!!」
「アホか、ファミレスで充分だ」
「え〜!先生のケチ〜!」
「うっせ!教師の安月給に頼るな!!」
この関係を保っていたいから。
…いつかの日の、為に。
雨がいつか、止むように。
・END・
2007/06/01UP