「…先生、信号、青」
「お、おぉ…」
坂田に言われて、俺はハっとして。
慌てて車を発進させた。
「…淋しいのか?」
「……………………どうだろ」
運転したまま問い掛ける。
坂田は視線を窓の外に向けたまま、感情の籠らない声で曖昧な返答をする。
窓に映る坂田の顔は淋しそうにも、何も考えてないようにも見える。
…チっ。
「…煙草、吸っても良いか?」
「…先生、煙草吸うんだ」
「あぁ」
手持ち無沙汰だからって、生徒の前で吸うのはどうだろう、と思いながらも煙草を取り出す。
火を着けて、気持ちを落ち着かせるように、深く息を吸い込む。
気持ちを落ち着かせても。
どう返答して良いのか。どう言えば良いのか。
…さっぱり解らなかった。
フと。
「…っ、っ、っ…」
微かな声が車内に響いて。
何だ、と隣を見たら。
「…っくっくっく」
「…坂田?」
肩を震わせている坂田。
何だ…?もし、かして…泣い…?!
「ぁははは…!…信じた?」
「…は?」
焦る俺に、パっと顔を上げた坂田は明るい表情…つうか目に涙を浮かべて笑ってやがる。
この、野郎っ…!!
「坂田…お前なぁ…」
「親居ないのは本当だぜ?でも親が居ないお陰で、それなりに自由にさせて貰ってるからね。淋しいなんて嘘で〜す」
一頻り笑って。
そんな事を言い放ちやがった。
拳の一発でもお見舞いしてやりたい所だが…。
「…………………………」
「あ、あれ?もしかして怒った?」
「…………………………」
「子供の軽いジョークだって。んなに怒んないでよ〜」
「…俺も、だ」
「…え?」
殴ってやりたい。
そう思ったのに。
一瞬、ほんの刹那に、コイツの表情が消えた。
それを俺は見逃さなかった。
だから、…解ったんだ。
それが嘘だって。
「俺も…居ねェんだ、親」
「え…?」
「だから。帰って誰も出迎えねェのとかって、日常で。淋しいとか、んなのは思った事ねェ」
「………………………」
俺がそう言うと坂田は俯いて。
「…何で、嘘だって解ったの?」
「嘘が下手なんだよ。誰が騙されっか」
「えぇ〜、んな事、初めて言われたよ」
「…ふん」
俺がそう言うと。
坂田はまた黙り込んで。
そんな坂田に、俺は。
「どうして…」
「…?」
坂田に質問を投げ掛けた。
「どうして、冗談で流そうとしたんだよ」
「え…?」
「…淋しいって」
「…………………………」
俺の質問に坂田はすぐに答えなかった。
一瞬口を開こうとして、すぐにキュっと唇を噤んで。
何処か躊躇いながら。
「…重くなんの、嫌だから」
「…………………………」
「それで同情してくれる人も居るから。…やっぱ、ずっと独りってのも嫌な時もあっから」
「…………………………」
「それに、ほら。本当に淋しいかって聞かれたら、俺、解んねーし。親死んだの、俺が赤ん坊の時で全然記憶ねーし」
「…………………………」
「…気づいたら。独りだったし」
「…アイツ等が居んだろーが」
「アイツ等?」
「坂本とか、高杉に桂だよ。…さっきだって、何だかんだで仲良くしてんじゃねーか」
「仲良くねーよ。ただ腐れ縁なだけ」
「そう言えるのが、仲が良いんだよ」
「俺はせんせーと仲良くしたいんですけど」
「言ってろ」
俺がそう言い放つと、坂田はまた唇を尖らせて。
それから。
「ね、ちょっと話聞いてもらっても良い?」
「あ?あぁ。何だよ」
「俺さ、さっきも言ったけど。淋しいとかって、正直あんま解んないんだよね」
「…あぁ」
「気づいたら独りで。そりゃ、小学校の時とかは預けられたりしてたけど。でもババァも仕事で忙しかったりで、全然家に居なかったし」
「…………………………」
「だからさ、「ただいま」って帰っても誰も居なくの、当然だったし」
「…………………………」
「他の奴はどうなのかなって思った時期もけど。…俺の周りに親居ない奴、居ねェしさ」
「…………………………」
「『淋しいのか』って聞かれたら答えは、多分ノーであり、イエスなんだと思う」
「…………………………」
「でも、んな事言ったって、同情とか…憐れみみたいに思われんのも癪だし」
「…………………………」
「すっげェ矛盾してるって自分でも解ってんだ。同情されたくなくて…でもそれ、利用するみたいな真似してる」
俺は黙って坂田の話に耳を傾けた。
それは…坂田の正直な気持ちだと思ったから。
「なぁ。先生はさ、淋しいとかって今まで感じた事ねェ?「ただいま」って帰って、「お帰り」って返って来ない事に虚しさつうか、何か感じた事ねェの?」
「…………………俺は」
「ぅん」
「感じた事、なかった…と思う」
「…そっか」
「つうか、俺は幼少の頃施設で育ったからな。成人して施設出たら…独りっては当然だしよ」
「そ、っか…」
「…お前さ」
「…ん?」
「何で独り暮らしなんてしてんだよ?普通、施設とかじゃねーのか?」
「…………………………」
「…悪ぃ。踏み込んだ質問過ぎたな」
「んーん。別に良いよ。…記憶にねェけど、俺の親金持ちだったらしくて、資産…残してくれたから。管理はババァがしてくれてるけど。だから、今はそれで暮らしてる」
「…そっか」
ぼんやりとネオン輝く道を車は走る。
道も混んでねェし。
このままなら、20分も掛からず帰れるな。
なんて俺が考えた時。
『…グゥ…』
「…ぁ…」
「…お前。飯食ってねーのか?」
「ぅ…だ、だって先生いつ出て来るか解んねーから」
車内に響いた音。
ぁ、と坂田が腹を抑えたので、それが腹の音だとすぐに解って。
夕飯は食ったのかと聞いたら、首を振られた。
…はぁ〜ったく、こいつは。
「飯作ってくれる奴とかも居ねェのか?」
「居ないよ。食事も何も、全部俺がやってるよ」
「…解った」
「ぁ…え?!」
カチカチとウインカーを出す。
驚く坂田を尻目に、俺はファミレスの駐車場に入った。
「俺も飯まだだ。家帰ってから用意すんのも面倒臭ェから、付き合え」
「ぁ、え…?」
「おら、さっさと出ろ」
「ぁ、あぁ…」
車を駐車させて、坂田を車から出す。
そして俺はそのままファミレスに向かう。
「ど、どうしたんだよ、急に。帰るんじゃなかったのかよ?」
「腹減ったんだよ。予定外にテメェ送る事になっちまったから、飯食う時間がねェ。テメェも食ってねェなら一石二鳥だろうが」
「ど、同情なら要らねェ!」
「さっき同情票、とか言ってた奴に言われたかねェ」
「…っ、で、でも…アンタには、んなの掛けて欲しくねェ」
坂田の言葉に俺はハァ〜と溜息を吐く。
ったく、面倒臭ェな、ガキは。
「違ェよ。さっきも言ったろ。俺もテメェも飯食ってねェなら、ココで食っちまった方が手間が減るって話だ」
「…………………………」
「食わねェなら車で大人しく待ってろ」
「い、行くよ!!」
ファミレスに入る前に、携帯灰皿に煙草を押し付ける。
店員に「2名」と伝え、席に案内され、メニューを見る。
「…決まったか?」
「ん〜…パフェ。この、チョコレートパフェと苺パフェが良い」
「肉を食え、肉を。あぁ〜…もう良いや。ステーキ2つ」
「あ、ちょっ、俺…!」
「うるせェ。黙って食え」
「…先生って結構強引だね」
「うるせェ」
「そう言うのも、好きかも」
「…本当黙れ、お前」
そればっか、とクスクス笑う坂田に、俺は少しホっとした。
…会ってから。
まだ数時間しか経っていない。
それでも俺の脳裏には笑うコイツが妙に印象付いて居て。
さっきみたいに淋しそうにする姿が、何だか昔の自分を彷彿とさせた。
「お待たせしました」
「ぅっわ〜美味そう!」
「さっきまでパフェにしようとしてた奴の台詞じゃねェな」
「よく思い返してみたら、ここ数日間甘味しか食ってなかったからさ」
「は…?」
「先生は施設育ちなんだったっけ?じゃぁ、あんま解んねーかな。独りだと食事も味気ねーしさ。ファミレスとかは家族連れで入り難れーし」
「……………………………」
「かと言って独り分の食事作るのはめんどくせーし。菓子パンとかならコンビニで買えるし、手軽だろ?」
「…お前…んな事続けてるのか?」
「ん?まぁ…。ぁ、でも時々辰馬とかが誘ってくれれば辰馬とかと食事するから、そん時しっかり食う。肉とか」
「……………………………」
ちょっ、ちょっと待て。
サラリと言ってっけど、それって結構深刻じゃねェのか?
「ぁれ?先生どうしたの?」
「……前言撤回」
「へ?」
「さっき言った事訂正するつってんだよ」
「さっき…?」
「淋しくねェって言った事だ」
「あ、あぁ。アレね。てか、何で撤回?」
…くそっ!
何言おうとしてんだ?俺。
「せんせ?」
「…食事」
「え?食事?食事がどったの?」
「ひ、独りの食事は淋しい…だろ、やっぱ…」
「…………………………」
「ただいま云々はアレだけど、独りの食事ってのは、やっぱ…その」
そこまで踏み込む必要あるのか?!
否、でも俺先生だし…。
「淋しい…から、その…」
「………………………」
「これから…は、その…飯、…お前が付き合え。……お、れに…」
それでも。
あの淋しそうな目と。
無自覚な孤独な心が俺にそうさせる。
…一緒に居ろ、と。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「な、何か言ったらどうなんだよ?!!」
それっきり黙ってしまった坂田に俺が耐え切れず叫ぶと。
「ま、マジで…」
「て、テメェさえ良ければ、の話だ…」
「良いも悪いも!うん!うんうん!!是非!」
「ぅわ、馬鹿!おま、叫ぶな!!」
ガタリと立ち上がって万歳をし始めた。
ビックリすると同時に周りの目が俺達に集まって。
俺は慌てて坂田を座らせた。
それなのに、コイツ!
「それって食事毎日一緒にしてくれるって事だよな?な、な?!」
興奮した様子で俺に迫って来て。
「そ、そうだよ!その代わり、ちゃんとしっかり飯食うのが条件だからな!!」
「うん!先生が一緒に食ってくれんなら、ちゃんと飯食う!」
「そ、それからアレだからな!他の奴には内緒だし、会議とか入ったら無理だからな!」
「うんうん!他の奴には言わねェし、ダメな時はちゃんと独りで食う!」
両手を挙げて喜ぶ始末…。
それからが大変だった…。
明日は何を食おうとか、どんな食いモンが好きだとか。
そんな話をはしゃぎながらされて。
車に戻った頃には俺はすでにぐったりだった…。
「大丈夫?てか、何で、んなにぐったりしてんの?せんせ」
「…お前はしゃぎ過ぎだ」
「だって嬉しいんだもーん」
「もんとか言うな…」
…まぁこれだけ喜ばれんなら、恥ずかしかったが、まぁ恥を凌いで言った甲斐もあったつうか…。
やっぱ俺、歳取ったなぁ…。
「…じゃぁ、明日からちゃんと学校に来いよ」
それから坂田の家まで送って。
車から坂田を降ろすと、窓を開けてどう告げる。
赴任して数日だけど、コイツ見たの今日の放課後が初めてだからな。
俺がそう言うと、坂田は。
「あぁ。先生に会いたいからちゃんと行くぜ」
「ぁのな…」
坂田の言葉に頭を抱える。
多分淋しいから。
同級生に甘える事は出来ないだろうから、歳の近い俺に近づく為に、んな事言ってんだろうが。
…どうしも坂本・桂・高杉には、んな事知ったこっちゃねーって話で。
ハ〜…明日からまた、騒がしくなりそうだぜ。
「そう言えば、道場での話だけど」
「あ?」
大きく溜め息を吐き出す俺に、坂田は。
「本気、だかんね?」
「…は?」
チュっと頬に当たる、柔らかくて温かいモノ。
「はぁ?!!!!!」
「俺が先生好きって。本気だかんな」
「え?!ってか、おまっ何して…?!」
「お休み、せんせ!!」
呆然とする俺に手を振って。
坂田は家に入って行った。
「…本気って…おまっ…」
俺はと言えば。
触れられた頬に手を当てて。
暫く茫然自失していた。
・END・
2006/11/14UP
2011/04/23修正