「…っっ」



グっと息を飲んだ。
痛む両腕を何とか動かして、とにかく俺はそこから動こうとした。



「…ぁ、っ…」



でも微かに動くだけで痛みが腕に走って。
詰めた息をそろそろとゆっくり吐き出して。
グっともう一度息を詰める。



「…ゃっ、だ…」



意を決してもう一度動いた。
その瞬間。
ずるりとずれた、それ…に。



「ぁ、…やっ、…おっ…わっっ!!!!」



ビタン!
まさにそんな効果音が聞こえて来そうなほど盛大に。
…俺は転んだ。



「ぁてて…」
「んで何にもねェトコでコケんだよ、テメーは」
「ぁ…ひ、土方君…み、見てた…?」
「見てたよ。つうか、妙な声出しやがって。…あ〜ぁ、プリントもばら撒いてんじゃねェか」
「あぁ!そうだ、プリント!!…がぁ〜っ!滅茶苦茶じゃねェか!!」
「それをしたのはテメェだろ。…ほら、立てるか?」



スっと差し出された手に。
俺は自分の手と差し出された手を交互に見て。



「ぁ、あははは…サンキュー」



転んだトコを見られた気恥ずかしさと、生徒に助けられるバツの悪さに苦笑いして。
俺はその手を取った。



「や〜、プリントが重くてさ。腕は痛ェは下も見えねェしで、コケちまった。言っとくけど、いつもこうじゃねェから」
「どーだか。前も廊下でコケてたじゃねェか」
「あ…あれは、あれだよ…目に見えない何かが俺の足をね…」
「もう足腰にキてるのか。可哀想にな」
「ムカ。…別にコケるから足腰弱ってるとは限んねェだろ!俺は足が長いから、自分の足に引っ掛かっちまうんだよ!!」
「あぁ、はい、そうですか」
「ムッカ〜!!」
「ほれ、プリント」
「え?あ、あぁ…サンキュ…」



いつの間にか散らばったプリントを拾い、土方はそれを手渡してくれた。



「あれ?これで全部?」
「俺も教室に戻るから、半分持ってやるよ」
「マジで?!やった〜サンキュー土方♪」
「べ、別に…ついでだしな。それに」
「それに?」
「…また鯱もビックリなダイレクトダイビングされてぎっくり腰にでもなられたら適わねェからな」
「そ、そこまで反ってねェつうの!!」
「どーだか」
「くっそ〜…」



2人で大量のプリントを抱え廊下を歩く。
無言で歩く俺に土方が、ポツリと。



「しっかし、無謀だよな」
「あ?何が?」
「んな大量のプリント独りで運ぼうとしてんのが。日直呼ぼうとか考えなかったのかよ?」
「呼んだよ。呼んだんだけど、来ねェんだよ。…まぁ来ると期待はしてなかったけどな」
「あ?今日の日直って…」
「近藤と妙だよ」
「…………そう言えばさっき志村(姉)が近藤さんタコ殴りにしてたな」



だと思った…。
ポツリと呟いた俺に土方は声を殺して笑う。
笑い事じゃねェよ、と俺は肘で土方を突きながら言う。



「…誰だよ、ゴリラと妙一緒の日直にしたの」
「近藤さんがそれじゃなきゃ嫌だってダダ捏ねたんだよ」
「…小学生か、アイツは」



ハァ…と溜息を吐いた瞬間。



「どわっ!!!」
「はぁ?」



ベタン!!
またまたそんな効果音が聞こえそうな音を立てて。
…転んでしまった。



「…だからどーして何にもないトコでコケんだよ…」
「ぁたた…ちがっ、よぉ〜く見るとアレだよ、段差があんだよ…」
「はぁ…。またプリントばら撒きやがって。…ほら、立てるか?」
「…ぅん」
「…ったく、しょうがねェ担任だな」
「………………ぁ、ちょっ、土方?」



また差し出してくれ土方の手を取って立ち上がる。
そしていつの間にか集められたプリント。
それを受け取ろうとしたけど…。



「…チっ、やっぱ量あんな」
「お、俺も持つよ」
「またコケられたら適わねェからな。オメーは下だけ見て歩け。早くしねェと本鈴鳴るぞ」
「あ、あぁ…」



重たいプリントを抱えて、スタスタと歩き始めた土方。
俺も持つと言おうとしたが、思いの外早い歩調で土方が歩き初めてたから、俺はそれを慌てて駆け寄る。



「や、やっぱ俺も持つって!重いだろ?!」
「大した事ねェよ。てか、俺に話し掛けてまたコケんじゃねェぞ。今度は助けらんねェぞ」
「…ぅ、うん」
「………………………………………」
「………………………………………」
「………………………………………」
「………………………………………」
「………………………………………」
「……………お」
「…あぁ?」
「怒ってる、か…?」
「別に怒ってねェよ」
「だって…」
「何だよ?」
「ゃ、だって、…お、重いだろ」
「言う程重くねぇよ。てかもう慣れた」
「俺、2度もコケたし」
「いつもの事だろ」
「…ぅ…」
「手伝いたくなきゃ声なんか掛けねェし。…良いんじゃね?立ってるものは親でも使えって言うしよ」
「…プっ、何?お前俺の親なの?」
「俺の子だったら、んな出来悪い訳ねェだろうが。ってか、親が子より年下かよ」
「でっ…出来が悪いは余計だ!てか俺、お前の担任だぞ?!」
「はいはい、解ってます」
「解ってねェだろうが!!」
「わーったから。喚いてねェで、ちゃんと前見て歩けよ。コケんじゃねェぞ」
「わ、解ってらい!」
「ったく。本当、お前って目ぇ離せねェよな」
「……………………………」
「…?何だよ。人のツラ、ジーっと見て」
「な、何でもねェよっ…!」
「?」



微かに。
本当に微かに、…土方が微笑んだ。
3年も担任やってるけど、コイツの笑った顔なんて記憶にないくらい珍しくて。
俺は不覚にもその笑顔に見惚れてしまって。
ボーっとした俺に、不思議顔の土方。
土方の言葉に我に返って。
思わず顔を逸らした。
不審な俺の行動に、顔を覗き込む土方だけど。
「何でもない」と顔を背けた。


(ぅ、っわ…何か顔熱いんだけど…!俺、顔赤くなってねェか…?!)


「銀八?」
「な、何でもねェって!それよりさ、土方!!」
「?」
「あんがとな!」



プイっと顔を背けて、早足に歩き出す。
そんな俺に、土方は…。



「ぁ、待てよ、銀八!また転ぶぞ!!」
「コケねェよ!!おまっ…どんだけ俺を馬鹿に、っ…どわっ!!!」
「…ほれ、みろ」
「う〜っ、う〜っ!!」
「…唸ってねェでさっさと立てっての。…ほら」
「うっ〜…!!」



…笑った顔が可愛いなんて言ったら。
コイツ、どんな顔、するかな?










翌日。



「よぉ〜し。んじゃ朝のホームルーム終わり。テメェ等次は移動教室だろ〜?遅れんじゃねェぞ〜」



いつも通りのホームルーム。
チャイムが鳴って、教室を出ると。



「銀八!!」



呼ばれた声に振り向くと。
そこには教室から出て来た土方の姿。



「んぁ?…お〜土方君、どったの?ってか、先生を付けなさい、先生を〜」
「3限目の授業、銀八だろ?資料あるんなら、俺、職員室取りに行くぜ」
「ん?あぁ…そうだったそうだった。朝のホームルームで日直に頼もうと思ってたんだ。忘れてた忘れてた。ナイス、土方君」
「俺が取り行くから、日直呼ばなくて良いって」
「んぁ?」
「俺がぜってー職員室行くから。日直来ないからって自分で運ぼうとすんなよ」
「ぇ、だってお前日直とかじゃないじゃん」
「良いから!…俺呼べよ、な?」



念を押すような土方の言葉に、俺はジっと土方を見つめた。



「…何で?」
「…ぇ…」
「何で、んな事してくれんの?」
「そ、れは…」


「トシ」


「へ?」
「ぁ、銀八と話中だったか、スマン」
「お〜ゴリラ。つうか、担任呼びつけにすんなって何度も言ってんだろうが」
「先生だって人ん事ゴリラ呼ばわりしてんじゃないっスかぁぁ!!」」
「え〜…だ〜って似てんだもん」
「え、理由それだけ?!」



不意に教室から出て来た近藤が声を掛けて来る。
手には教科書が2組あるから、多分アレだな、移動教室に土方を誘いに来たんだろう。



「ぁ…っと。トシ、話中じゃなかったのか」
「や、もう用件終わったんだよな。な、土方君」
「あ、あぁ…」
「移動教室だろ。…遅刻すんなよな」
「あ、あぁ」



俺がそう言うと、近藤は「トシ、ほら教科書」と持っていた教科書の1組を土方に渡した。
土方は「サンキュ」と言ってそれを受け取り、俺に背を向けて廊下を歩き始める。



「……………………………」



あ〜…つうか、俺。
土方に何聞くつもりだったんだよ…。



「…まさか、な」



不意に脳裏を過ぎった思考を。
俺は追い払うように歩き出した。
あ〜…次の授業何処だっけ?



「銀八と何の話してたんだ?」
「ちょっと、な」
「…ふ〜ん」
「次の授業って何だっけ?」
「根津の科学だってよ。…また実験かなぁ」
「アイツの実験て何か人体実験じみてね?ネズミとかの解剖とかよぉ…」
「あれなー!…あー!!キモい!嫌だ!!!」

「きゃっ!」

「…んだ?」
「?」





「やだ〜階段濡れてる」
「滑り易いから気をつけて〜」
「うん〜」





「…………………………」
「あ〜誰か何か零したのかなぁ…トシ、気をつけろよ」
「んなヘマするかよ。近藤さんじゃあるまいし」
「ぁ、ひっで〜」



キ〜ン〜コ〜ン・カ〜ンコ〜ン。



「ぁ、予鈴だ」
「急ごうぜ、トシ!」
「あ、あぁ…」
「…トシ?」
「………………………………」
「どうした、トシ。立ち止まって。教室に忘れ物か?」
「嫌、そう…じゃねェけど…」
「早くしないと授業に遅れるぞ」
「あ、あぁ…解ってる」



キ〜ン〜コ〜ン・カ〜ンコ〜ン。



予鈴が聞こえた。
あ〜、こりゃ今から次の授業のクラスの日直呼ぶにゃぁ遅ェな。
…しっかたねェ、自分で運ぶか。



「面倒臭ェ…」



呟いて、廊下を曲がった時だった。



「…銀八っ!!!」
「へ?な…、どぅわっ!!」



ツルリ。
マジでそんな効果音が聞こえそうな程。
床、が…濡れて、る…?!



「…チっ!」



視界の端で、土方が教科書を投げ捨てたのが見えた。
わ、馬鹿、退けっ…!



「…くっ…!!」
「ぅ、あっ…!!」



痛みが走るかと思ってキツく瞳を閉じたのに。
走ると思ってた痛みはいつまでも来なくて。
その代わり、力強い腕が俺を包む。
そろそろと瞳を開くと。



「…っっ」
「っ、土方…!馬鹿、おまっ何して…!!」
「トシ!!」



ダイレクトジャンプした俺を受け止めたのだろう。
流石に何もなしじゃ支えきれないと踏んだろう。
手摺りに腕を伸ばしてた。
俺が身体を起き上がらせると、土方は自身の肩を掴んで崩れ込んだ。
すぐに近藤も駆け寄って来て。



「だぃじょ、ぶだ…ど、って事ね…」
「大丈夫な訳あるか…!何で、避け…っ!!」
「…まぇは…」
「は?何?痛いのか?!」
「ちが…お前は……銀八は、怪我…なぃか?」
「なっ…!…何言ってんだよ?!近藤!!コイツ保健室連れてくから、次の授業の先生にそう伝えとけ!!」
「わ…解った!!」



とにかくコイツを保健室に連れて行かなきゃ。
俺はすぐに近藤にそう告げて。
土方の腕を取り、廊下を進んだ。



「銀八?」
「…黙ってろ」
「………………………………」
「………………………………」



俺の言葉に土方も黙って着いて来る。
辿り着いた保健室のドアを開く。
「失礼します」と軽くノックしてドアを開けたが、中からはシンと静まり返って返答はなかった。



「…居ねェ、のか」
「…………銀八」
「こっち来い、土方」
「あ、あぁ」



とにかく手当てが先だ、手上げが。
グイっと腕を引いて、俺は保健室の中へを土方を引っ張った。



「銀ぱ…」
「そこ、座って」
「あ、あぁ」
「肩、出して」
「…おぅ」



言われるが儘に、土方は丸椅子に座る。
俺は棚をゴソゴソと探って。



「…肩、回せるか?」
「あ?あぁ…へい…っ」



グルグルと回したが、痛みが走ったのか。
土方は微かに息を詰め、顔をしかめた。



「…解った。もう回さなくて良い。湿布、張るぞ」
「…別に、大した事ねェよ」
「早く治してねェだろうが」
「……………………………………」



溜息を吐きたい気分を何とかグっと抑えて。
俺はそれだけを言い、冷蔵庫に入っているであろう湿布を取り出した。
俺の気持ちを察してか、土方は口を噤んで居て。
湿布を張って、シュルシュルと包帯を巻く。



「…よし。終わり」
「……サンキュ」
「…いーえ。てか、俺のせいだしな」



ギシっと前にあった丸椅子に座った。



「…怒ってる、のか?」



俯いていた土方はそろそろと顔を上げて、小さく呟いた。



「…怒ってねェよ」
「嘘吐け。…怒ってるじゃねェか」
「………………………」
「………………………」



黙ってしまった2人。
沈黙と微かな生徒達の声が保健室に響く。



「…はぁ。あのな、土方君」
「…何だよ」
「正義感強いのも結構だし、今回はそれで俺は助かった訳だから礼は言うけどよぉ」
「別に…正義感が強い訳じゃねェ」
「強いだよ。コケた俺、怪我してまで助けてくれたんだから」
「……………………………………」
「な、何だよ…ジっと見て」
「…銀八」
「な、何?!」
「俺…正義感強くねェよ。多分…つうか絶対」
「んな事ねェよ。こうして俺…」
「…お前だから」
「は?」
「お前だから、…助けた」
「…は?」
「お前だから…身体張って助けたんだ」
「…え、ちょっ…」



スっと。
土方が差し出した手が、俺の頬に触れた。
熱い…けど、なんか冷たく感じた。



「そ、ゆ…台詞はじょ、女子に言え、女子に!お、俺にい、言ってもだな…!」
「アンタだから…銀八だから身体張って助けたんだ」
「ちょっ…土方、君っ…!」
「…アンタは年上なのに。担任なのにすっげェ危なっかしくて、ドジで」
「おまっ…それすっげェ失礼だから…!!」
「だって本当だろ。昨日だって、今日だって。何にもないトコでコケて」
「ぐっ…!」
「危なっかしくて。でも目が離せなくて」
「…っ…」



頬に触れていた土方の手が、指が。
ゆっくりと俺の唇に触れ、またゆっくりとなぞった。
その動くにゾクゾクと何かが背筋を這う。
その感触に、俺は思わず硬く瞳を閉じてしまった。



「…ぁ…」
「………………………………………」



それに合わせるように。
…ゆっくりと。
温もりが広がった。
…唇から。



「…ぅそ、だろ…おま…何、し…」
「…なぁ、銀八」
「な、何…?」
「これから。毎日、登下…登下校は無理か。登校は先生の時間あるしな」
「?」
「下校、一緒にしようぜ。毎日」
「へ?」
「駄目、か…?」
「ぇ、ぁ…う、うん…」
「…良かった…」



矢継ぎ早に紡ぎ出された土方の言葉。
…今。
たった今何が起こったのか。
俺の頭は真っ白になっていた。
でも眼前に広がる、真摯な土方の瞳に。
俺は思わず頷いてしまった。
そしたら。
土方はそれにホっとしたように微笑んで。


(ぅ、わ…っ…!)


「今日、7時くらい、…仕事終えられるか?」
「あ、あぁ…7時くらいなら終わると……」
「じゃぁ、校門で。…良いよな」
「ぇ、ぁ、ぉ、おぅ…」
「…じゃぁ、俺授業戻るな」
「あ、あぁ…」



その微笑が鮮やかで、眩しくて。
ボーっとしている内に、土方は保健室を後にした。
俺はと言うと。
熱い…多分、赤い顔をしたまま、去る土方の背を視線だけ追って。



「…キ、ス…しちまった…」



そっと自身の唇に触れた。



「…馬っ、鹿やろ…不用意に笑うんじゃねェよ…」



くしゃりと髪を掻き混ぜて。



「どう言う意味、だよ…ぁの、キス……」



呟いてみても答えは出なかった。
それから。
ノロノロと保健室を出た。










3時限前の休み時間。
俺はウロウロと職員室を右往左往していた。


(どうする…どうするよ、俺!!)


脳裏には朝のホームルーム直後に言われた土方の言葉。


『俺がぜってー職員室行くから。日直来ないからって自分で運ぼうとすんなよ』


チラリと机に置かれた資料を見る。
そして。


『…良かった…』


「…ブンブンブンブンブンっっ!!!…」



鮮やかに微笑む土方の顔。
それを振り払うかのように俺は激しく首を左右に振った。



「銀八」
「うわ、ぎゃぁっ…!!」
「あ?!」



突然ガラリと開いた資料室のドア。
驚いた俺はそっちを向こうとして。
でも首を振って眼を回していた事も手伝って、勢い良く…ひっくり返った。



「な…何してんだよ!…ったく、自分の使ってる部屋でもコケるなよな」
「の…ノックをしろ、ノックを!!」
「ノックだぁ?何スカした事言ってんだよ。…ほら、手」
「………ぅ……さ、サンキュ」
「あ〜ぁ、ここも今度掃除しなきゃな」



転んだ時、土方は必ず手を手を差し伸べてくれる。
そして俺はその手を何の躊躇もなく、取る。
俺を起こしてくれた土方は、白衣についた微かな汚れをパンパンと払ってくれた。
…本当、どっちが先生か解ったもんじゃねェ。
…本来ならムカつくトコなのに。


(…何で…)


何で俺はそれを甘受しているんだろう?
そして、コイツは何でこんなに俺を庇ってくれるんだろう?



「運ぶ資料って、机に乗ってる奴か?」
「ぇ?ぁ、あぁ…そう」
「解った。俺運ぶから、銀八は自分の教科書な。ほい」
「あ、あぁ…」



考え事をしていた俺に。
土方はそう告げて、机にあったプリントを抱えた。



「んじゃ、行こうぜ」
「…ん」



土方の言葉と共に資料室を出る。



「…………………………………」
「…………………………………」



お互い無言のまま、教室へ向かう。


(聞かなきゃ…)


俺に親切な訳。
そして。
…あのキスの意味。



「ぁ、のさ…」
「ん?」
「さっきの…その…」
「さっき?俺何かしたっけか?」
「ほ、保健室で…」
「ぁっ…あ、あぁ…あれ、な…」
「えっと…その…」
「…………………………」
「…………………………」



口を噤んでしまった俺。
そしてそんな俺の言葉待ちの土方。
どう切り出して良いのか解んなくて、黙ってると不意に。



「こんなトコに居ったか、銀八」
「辰馬…」
「ちぃと時間エエか?今度の会議の事じゃがな…」
「あぁ、うん…ぁ、ごめん、土方。先行ってて。すぐ追い掛けるから」
「解った。…急ぎ過ぎて、コケんなよ」
「だ〜から!俺を年寄り扱いすんな!!」



同僚の辰馬に呼び止められて。
俺は踵返す。



「何じゃ、土方が今日日直か」
「ん?あ、あぁ…日直、ではねェんだけど…」
「?何じゃ、歯切れ悪いぜよ」
「い、良いから!次の会議が何?!」



コイツは突っ込まなくて良い所に変に突っ込むんだよなぁ…!!



「…と言う訳じゃ。良いか?」
「OK、解った」



会議の大体の内容を聞いて辰馬と別れた。
俺は少し小走りに土方を追い掛ける。



「っかしいな、アイツんなに早いのかよ…」



辰馬とn話は数分も掛からず終わった。
走ればすぐに土方を見つけられると思ったのに…。



「…土方、先輩…」


「?!」



渡り廊下を通って。
キョロリと辺りを見渡した時だった。
小さく聞こえた声。
声の聞こえた方に視線を向ければ。


(ひじ、かた…?)


微かに見える黒髪。
聞こえる声。


(何…だ、これ…)


胸が苦しい。
アレか?ヤケ食い気味にクッキー食ったからムネヤケしてんのかな?


(立ち去らな…きゃ…)


生徒の色恋沙汰なんて教師には全く関係ねー。
介入する余地すらねェっての。



「…ごめん」



なのに足が動かない。
聞きたくない。
聞きたくなんかない、のに…。



「俺、付き合ってる奴…居るから」



…それからはよく覚えてなかった。
すっげェ走った気もするし、そうでもねェ気もする。
妙にムカついた気もするし、妙に落ち着いてる気もした。
煙草を取り出して、口に銜えようとして。


(…ぁ…)


触れた指先。
震えた唇。
…否。
震えてるのは指先だ…。










俺だっていい歳だ。
それなりに恋愛だってしてるし、キスだってした。
だからキスの意味なんか特に気にした事もなかった。



「…銀八」
「…っ」



差し出された手。
優しい微笑み。
でも、それは。



「…何怒ってんだよ」
「な、にが…」
「昨日何で何も言わずに帰ったんだよ」
「…………………………………」



…特別な意味はなかったんだ。
きっと。



「銀八!」
「…………………………………」
「…俺が嫌ならはっきり言えよ。……シカトされんのは腹立つ」



土方には何気ない事。
ドジな担任教師の。
…手助けくらい。



「…出来ねェ」
「……は?」
「下校一緒にする事は出来ねェ。それから、授業前にプリントも取りに来なくて良いよ」



…あぁ、馬鹿だな、俺。



「な、で…何でだよ?!何で急に…!!」
「ドジな教師手助けしてくれんのは有難いけどさ。…気持ちだけで良いよ」
「そんなつもりじゃねェよ!俺は…!!」
「もう…ヤなんだよ!!!」



優しくしてくれたのに。
いつだって、困った時に手を差し伸べてくれたのに。



「もう嫌なんだよ!」
「な、にが…」
「…昨日偶然聞いた」
「…?」



彼女が居たと解った途端、気持ちに気づくなんて。
…手遅れ、とは言えねェか。


(彼女が居るにしろ、居ないにしろ。…こんなおっさんじゃ相手にされねェっての)


「…優しくすんのは彼女だけにしろよ」
「…え?」
俺みたいに∞∞∞∞勝手に好きになっちまう奴が出て来るぜ、きっと」



それだけ告げて。
俺は逃げ出すように資料室から飛び出た。
何…言ってんだ、俺。
黙ってれば解りっこねェのに。
わざわざ暴露してどーすんだよ。



「…っ…」



早く、一刻も早く資料室から遠ざかりたいのに。
それなのに。
…やっぱり俺は。



「…ぁ〜、もう格好悪ぃ……」



こう言う時でもコケるんだよな〜…。



「…………………………」



いつもなら。
そう、いつもなら…。



「…じゃぁ聞くけど、お前が格好良かった時ってあるのかよ」



そうそう、こんな風にね。



「って、何来てんのぉぉぉぉぉぉぉ?!!!!」



回想…とか思ってたら大間違いだった。
現れた土方に、俺は思わず叫んでしまった。



「いつまで廊下で寝転んでんだよ。…ほら」
「…要らね」



眼前に広がった、差し伸べられた手。
いつもなら、何の躊躇もなく自身の手を乗せるが。
教師の威厳とか、大人の意地とか、何かこう…取ったら負け〜みたいな心境になってプイっとそっぽを向いた。



「…はぁ…あのな、銀八」
「教師を呼びつけにすんな」
「……先生。俺、昨日言ったよな」
「……何を?」
「銀八だから助けんだ、って」
「……………………そう言う言い方も勘違いするから止めた方が良いぜ」



それとキスも。



「おい」
「いひゃ!ほふぁぇはぁ!へんへいをふねるとはほおふうほうけんは!!お前なぁ!先生をつねるたぁどう言う了見だ!!
「アンタがあんまりにも解ってねェからだろうが」
「はぁ?!」
「…俺なりに告白のつもりだったんだけど」
「………は?」
「『毎日下校一緒にしよう』って。…俺なりに、その…告白、だったんだけど…」
「……………………………」



…へ?
い、今何つった??



「は、はぁぁぁぁ??!おまっ、口下手にも程があるぞ?!」
「だ、だってキスした後だったしよぉ!つうか、アンタは俺が、何とも思ってない奴とキスするような奴だと思ってたのかよ!!」
「ぐっ…そ、それは…!!」
「俺は。…あの時から、俺の付き合ってる奴はアンタだと思ってるし、今だってそう思ってる」
「…っ…」



いざ。
いざ言われると何つうか照れくさい。
照れくさい上に恥ずかしい。
何と言うか、アレだ。
穴があったら入りたい。
…そんな気分だ。
……使用用途は間違ってるがな!



「ぇ、っと…その…銀八」
「んぁ?」
「好き、だ」
「!!」



おまっ…それを今言うなよな?!



「…付き合って下さい」
「………………………………………」



差し出された手。
あの時と。
いつもと。
変わらない手。
それは。



「俺、だけ?」
「あ?」
「俺だけ?そうやって…助けるの」
「…あぁ」
「俺だから。…俺だから助けてくれた、と」
「あぁ。アンタだから身を挺して助けた」



優しくて、暖かくて。



「じゃぁ、これからも」



…俺だけに差し出される、特別な手。



「俺だけ、助けてな」





・END・
2007/02/25UP