早朝の学校の屋上。
真っ青な空が広がる。
卒業式にふさわしい、この青空の下で銀八は紫煙を上げていた。
空を見上げ、あぁ空が青いな、等と呑気に考えている。
その空とは裏腹に自分の気持ちはどんより沈んでいると言うのに。
「教師失格だよなぁ〜…」
ぷっか〜と煙を吐き出しながら、独り誰に言うでもなく呟いてみる。
整理をつけなければ、そう思って。
なのに…。
「何今更な事言ってんだよ、先生」
誰も居ないはずの屋上に響く。
…聞き間違えるはずがない声。
この3年間聞き続けた。
「…土か…?」
銀八はゆっくり振り向いた。
まるでそれが嘘、幻だと思っているかのように。
「はよ。…先生いっつもこんなに早くに学校来てんのか?」
しかしそれは幻聴でも何でもなく。
振り返った先には、先程から自身が考えて止まない生徒、土方が居た。
「まっさか。…今日は卒業式だからな。色々準備があんだよ」
自分に言い聞かせるように銀八が言う。
「卒業式、だからな…」
また振り返って校庭を見下ろしながら呟く。
「…不思議なんだ」
「へ?」
土方もそんな銀八に歩み寄って、校庭を見下ろしながら呟く。
思ってもみない言葉に銀八が聞き返す。
「『卒業式』だってのに俺は全然実感ないんだ…」
「せっかく卒業するのに?」
「せっかく、か…なぁ、俺は一体何から『卒業』するんだ?」
「何からって…」
「何を『卒業』するんだ?俺は…俺はこんなにも…まだ迷ってるのに…」
「…迷ってる?」
「迷ってる…」
「何に…?」
「…………………」
「…………………」
銀八の問いに土方は黙り込んでしまった。
銀八も土方が黙ってしまったので、そのまま口を閉ざしてしまう。
束の間の静寂。
「せっかく、さ…」
口を開いたのは銀八だった。
「せっかくさ、卒業出来るんだもん。迷ってちゃ勿体ないよ。…進まなきゃ。せっかくあの、白い箱から飛び出せるんだから」
白い箱。
それが教室を差してる事が解った。
土方は一旦顔をうつ向かせてから、顔を上げ、銀八を見た。
「…でも。先に在るのも白い箱だ」
自分は進学する。…否、あの白い箱に居た皆は殆どがまた別の白い箱へと進むのだ。
進んだって変わらない。
変わらないのだ。…ただ中に居る人がまた微かに変わるだけ。
「変わらねェよ。…何も」
ただ。
自分にとって決定的に違うのは。
そこにある人が居ない。
いつも教壇に居る、銀髪の担任教師が。
「…進んだ先が同じなら。俺は今のままが良い」
今のまま、貴方の傍に居たい。
…そう言えたら楽なのに。
「…吸う?」
差し出されたそれ。
…煙草の箱。
「ぉい、良いのかよ、担任教師。卒業前の生徒に、んなもん勧めて」
「見つかんなきゃ良いでしょ。つうか。吸うの?吸わないの?」
「吸う」
カチっと火を着けて深く吸い込む。
「…『峰』かよ。おっさん臭いもん吸ってんな」
「だっておっさんだもんよ」
「まだ若いだろーが」
「少なくともお前等より10は上だよ」
土方の言葉に苦笑しながら答える。
…そうだ。
自分は彼より10以上上なのだ。
「土方君には別れたくない人が居るみたいね」
だから。
自分は彼を見送らなければならない。
もしかしたら。
この感情は教え子に対する情愛で、自分は勘違いしているのかも知れない。
彼は教え子なのだから。
自分は教師なのだから。
「…………………」
「別に今生の別れって訳でもないだろ?別れたくねェなら連絡先なり何か聞いてさ、繋がり無くさなきゃ良いだろ?」
こんな事を言っている自分に吐気がする。こんな時ばかり教師の振りをして。
本当は胸がはり裂けそうなくらい痛いのに。
誤魔化す。心と心。教師として。大人として。
何もかも、嘘で固まる。
「…………いっそ告白しちゃえば?」
自分は上手く笑えてるだろうか。
「後悔したら勿体ないしさ。な〜に大丈夫。土方、格好良いからさ、きっと上手く行くよ」
嘘だ。
そんな事みじんたりとも思っていない。
でも。
打ちのめされるなら、とことんの方が良い。
傷つくだけ傷ついてしまいたい。
…あぁ、自分は自暴自棄になっている。
「後悔…」
銀八の言葉に土方は昨夜の近藤の言葉を思い出していた。
『…後悔だけはすんよ』
後悔…。
今。もし自分が銀八に告白したとしたら?
後悔しないだろうか。
…解らない。
ただ。
人の気も知らないでこんな事をベラベラしゃべる銀八が少し憎たらしかった。
言えたらどんなに良いだろう。
好きなのはアンタだと。
別れたくないのはアンタとだと。
「…先生」
紡ぎ出された声はあまりに真摯で。
呼ばれて土方の方を向いた。
合った視線にドキリとした。
…覚悟を決めた表情。
そう見えた。
(ダメだ)
反らしたい。
この視線を。
反らしたい。
この視線から。
…逃げ出してしまいたい。
(ダメだ。これ以上…ここに居たら)
取り返しのつかない事を言ってしまいそうだ。
「……ぁ……」
喉に張り付いていた声がようやく出た。
「先生、あの…な」
多分。
自分は後悔するだろう。
多分。
それは言っても言わなくても。
でも。
どっちにしても後悔するなら。
…言って後悔したい。
土方はそう思った。
「先生…俺…」
風が吹いた。
それに乗って、校庭に咲いていただろう、桜の花びらが舞う。
「俺…」
「ぁ…も、もう俺行かなきゃ。あんまサボってっと後でお説教になっちまうからな…!」
慌てて言葉を紡いだ銀八はそのまま土方に背を向け、ドアの方に小走りする。
「…好きだ」
その背に向かって。
土方は言葉を投げた。
「ぇ…?」
言われた言葉に、銀八は一瞬身動きが取れなかった。
鈍い動作で振り返る。
「好きだ。…アンタが。ずっと…」
「…な、に…ぃ」
喉が渇く。
カラカラだ。
張り付いた喉。
出ない声。
言わなきゃいけない事は山ほどあるのに。
「受け入れられないって解ってる。言えば二度と先生の前に会えなくなるって解ってる。…でも多分言っても言わなくても、俺は後悔する。…俺は」
一旦言葉を切って。
土方は離さなかった視線を不意に外し、チっと舌打ちをした。
「…本当はこんな事、格好悪くて言いたくねェんだけど」
「………?」
「……忘れ、られたくねェんだ」
「え……?」
「卒業して、また…アンタは新入生を迎えて…。…俺の事なんか忘れちまう」
「そ、な…事…」
「ないとは言い切れないだろう?例え嫌な思い出でも、教師生活の中で男に告白される事なんて、まずねェから。…俺はアンタの中に残れる」
自分は絶対忘れないだろう。
瓢々とした、綺麗な銀髪を持った担任教師を。
いつも魚の死んだような目をしているのに。
甘いものを食べている時は信じられないくらい目を輝かせて。
…土方が初めて好きになった人。
「……気色悪いって罵られても良い。俺はアンタの中に残りたい。……アンタが好きなんだ」
吐き出すように呟かれた言葉。
ただ、人を好きになった。
それが男で。
しかも担任教師で。
辛さしかこの恋は教えてはくれなかったけど。
誰かを大事に想う気持ち。
離れたくないと願う気持ち。
…今までにない自分を教えてくれた。
『卒業』
今気付いた。
自分はやはり『卒業』するのだ。
…この『恋』から。
…『初恋』から。
「…変な事言って悪かったな。でも…勝手だろうけど、忘れないでくれ。アンタに惚れたアホな男子生徒が居たって事」
また。
風が吹いた。
ザァっと2人の間に吹いた風。
「…ぁ、土か…」
『ピンポンパーン 坂田先生坂田先生 至急体育館の方へお越し下さい』
「行けよ」
「土方…」
「行けよ!…頼む、から…」
「…ぉ、れ…」
「早く!!早く…行ってくれ、頼むから…」
「違っ、俺…俺…!」
『ピンポンパ……坂田―――――――!!早く来ねェかぁぁぁぁぁ!!!!!』
「…
「…呼んでんだろ。早く」
「…っ」
これ以上理事長を待たせる訳にもいかない。
銀八はドアノブに手を掛けて。
けど、ドアノブに手を掛けたまま、それを回そうとはしなかった。
「土方!」
振り返って。
「…何だよ」
「
「…え?」
「お前が入学式サボって
「…あぁ、忘れもしねェよ。『…入学早々停学かよ』って思った」
「そっ。でも停学にはなんなかった。つうか何の処罰もなかった。俺がそこで何て言ったか覚えてるか?」
「…当たり前だ。『
「大正解。よく覚えてたな。んじゃ、そこでお前、俺に何て言ったか覚えてるか?」
「え?」
「俺は覚えてるぜ。忘れもしねェ」
『…先生って先生だよな?』
『は?…忍者にでも見える?』
『否…つうか良いのかよ。
『あー良いの良いの。俺堅っ苦しい事嫌い。面倒はもっと嫌いだし』
『あ、っそ…』
『他の先生に見つかるなよ〜…』
『…なぁ』
『あ?』
『先生のそれってさ、地毛?』
『それって…髪の毛?あ〜…珍しい色だろ?そっ、地毛。言っとくけど、白髪じゃねェぞ』
『解ってるよ。…だって光に当たってすっげェ綺麗に光ってんぜ』
『へ…?』
『すっげェ綺麗。染めじゃ出ねェ色だよな』
「…ってさ」
「…そ、な事言ったのか…」
「ぅん。…お前には大した事じゃなかったかも知れねェけど、さ」
紡ぎ出された言葉に驚く。
入学式なんて。
然して昔でもないけど。
卒業式と言う今日。
それは途方もなく昔な気がする。
「…俺。すっげェ嬉しかったんだ」
「…先生…」
嬉しかった。
いつもは異色の目で見られる
綺麗と言ってくれた事。
土方にとっては何でもない事かも知れないけど。
それは自分にとっては特別な事。
それから気になって。
煙草なんか吸ってるクセに。
酷く真面目で。
酷く優しくて。
酷く不器用な彼に惹かれていった。
「…俺」
でも。
教師である自分が生徒を好きだなんて。
信じられなくて。
認めたくなくて。
誤魔化して。嘘吐いて。
なかった事にしようとした。
「ずっと…お前の事、見てた」
それを壊してくれたのは。
…やっぱり君だった。
明日から君はもう居ない。
あの白い箱に行っても。
学校の何処を探しても君は居ない。
いつか。
自分の事なんて忘れてしまうと思っていたのに。
『忘れて欲しくない』と言った。
自分に。
『忘れて欲しくない』と。
それがどれだけ嬉しかったのか。
…君はきっと解らないだろう。
「俺…」
「…ぇ…」
だから。
自分も紡ぐ。
嘘偽りのない言葉、気持ち。
「お前の事、好きだよ。…同じ意味で」
教師とか生徒とか。
『今日』が過ぎてしまえば関係なくなる。
でも『関係』がなくなってしまうのが悲しいんだ。
忘れたくない。
忘れられたくない。
…だったら。
「ま…じで…」
「マジで。こんな冗談言う程性質悪くないっての」
照れ臭さに微笑すれば。
驚いた顔が、ゆっくりと…。
「…夢、みてェ…」
ゆっくりと…破顔した。
「…ぎんぱ…」
『ピンポ 坂田―――――――!!!!!!!!!!!早く来やがれェェェェェェっっ!!!!!!!!!!』
「……………………」
「……………………」
近所迷惑をまるで考えない放送に土方は微かに頭痛を覚えた。
「…タイムリミット、だな」
「…あぁ」
ガチャっとドアノブを回して、勢い良く屋上から室内に入る銀八に。
「あ、お、おいっ!!!」
土方は声を掛けた。
「あ?何?」
「そ、その…俺、達…両想い、って事、で…ぃ、良いんだよな?!」
「…………………………」
「い、良いんだよな…?」
こんな事初めてで。
確かめずには居られなかった。
そんな土方に、銀八は。
「土方!」
「え?…ぅわっ!……んだ、コレ?………鍵?」
「俺ん家の鍵。な、お前さっき何『卒業』するか解んねェつってたな?」
「あ?あぁ…」
「じゃぁ『卒業』させてやるよ」
「え?」
何から?
と聞く前に銀八の口元がニっと上がって。
「『子供』から『大人』に、俺が『卒業』させてやっから。教員名簿で俺ん家の住所調べて、俺ん家で待ってろ」
「え?!そ、それって…」
「ちゃんと泊まるって親にも言っとくんだぞ?…じゃぁ、卒業式にな!」
そのままタッタと階段を降りて行った銀八に、土方は手の中にある鍵をマジマジと見た。
『『子供』から『大人』に、俺が『卒業』させてやっから』
「…それって、そう言う意味、だよな…?」
ギュっと鍵を握り締めると、凹凸が手の平に刺さって、微かに痛みが生まれる。
「夢、じゃない…」
今更ながらに照れや淡い期待が胸を満たす。
夢じゃない。
「…期待っすっからな。このヤロー」
土方は鍵を握り締めたまま、その場にしゃがみ込むのだった。
その頃、銀八は。
「…遅いぜよ、銀八!」
「悪い悪い」
「理事長、カンカンぜよ」
「ゲっ、マジで?!」
「…ん?」
「ん?何、辰馬?」
「…おんし、顔赤いけど、風邪か?」
「え?!!!ゃ、そ、じゃな…け…ど」
辰馬の突っ込みに対して。
ただただ顔を手の平で覆って隠すのだった。
(さて)
(近藤さんに…)
(辰馬に…)
((何て報告しよう…))
・END・
2006/07/17UP