私とテニス           テニスの話題のページへ戻る

テニスを始めたのは中学入学時から、父の勧めがきっかけでした。
当時、中学に硬式は無く、軟式でした。
団体戦は3年連続県大会3位、個人戦は全国大会も、県大会もなく、、東三河大会という一番大きな地区大会で優勝することができました。

高校時代は部活には入りませんでしたが、毎日体育館でバスケをして体は動かしていました。

大学入学後、あこがれの硬式テニス部へ。
神様みたいにめちゃ強い同級生のパートナーのおかげで、ダブルスとはいえ高校NO1だった福井烈選手に田園コートで勝ったことが私の最大の自慢です。でも福井さんはこのことを覚えていませんでした。(笑)
実力は関東学生本戦1回戦止まり。ダブルスでかろうじてインカレ予選へ。(神様のおかげで)

卒業後、親友のS君と毎年のように軽井沢トーナメントにでかけました。
ある年、全日本選手相手にファーストセットを取り、得意になっているとずいぶんと観覧席がわいていました。
皆も私たちの試合に注目しているぞと意識したら、何と隣のコートでまだ小さい秋篠宮殿下が試合をなさっていました。

所属する名古屋グリーンテニスクラブのシングルス決勝戦を、センターコートで尊敬する中野文照先生の審判のもとで行い、優勝出来たときは嬉しかったです。
先生はどうしてあのときわざわざ審判をなさってくださったのかと今でも不思議に思います。先生が審判をされたのはそれ以外にはないと思います。
でも、よく痙攣をおこすので、試合に参加する心構えがなっていないとたびたび注意をうけました。
初回戦3セット、2回戦8ゲーム、3回戦8ゲーム、準決勝、決勝を3セットで1日で行ったトーナメントがなつかしいです。
優勝まで5試合、全部ストレート勝ちしたとしても最低8セット行う体力を要求されました。

最近は年間7〜10ぐらいの大会に参加.。練習試合では味わえない緊張感がたまらなく好きです。                                平成15年2月8日記 3月8日一部修正