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【カラパタール初体験記:その5−カトマンズにて】

 標高4200mのペリチェから1300mのカトマンズまで標高差3000mを一気にヘリで下りる。時間にして約50分。後藤君たち残る5人は、4日間かけて歩いて降りなければならない。

 高山病は低地に下りると今までの症状が嘘のようにけろっと回復すると聞いていたが、そんなことは無く、ホテルに帰っても回復しない。保険請求に必要となる医者の往診を依頼。出された薬を飲み、皆を待ちながら3日間ホテルで寝ていた。ホテルでは朝食だけ。昼夜とも食欲が無く、ただひたすら寝るのみ。ペリチェの医者が聴診器で診断した肺水腫特有の肺の水音は消えており、この点でも早く下山したのは正解であった。あのまま無理して歩いていたらさらに悪化して、取り返しのきかない重病になっていたかもしれない。

【後藤注:写真はショマレからナムチェ方向。懐かしのコンデ・リ連峰が見える。この日は佐藤はいなかったが、素晴らしい好天で、下るに連れてどんどん濃くなる空気が身体に心地よい。カラパタール登頂の達成感もあり、佐藤には申し訳ないが、今回のトレッキングで最も快適な一日だった。】

 ホテルでの夜中、いつも隣で寝ているはずの後藤君がいない。トイレにもいない。この夜中にどこをほっつき歩いていると心配しているうちに、自分一人で帰ったということを思い出す。やはり頭も高山病から回復していない様子だった。

 下山後の翌翌朝、ホテルのビュッフェで朝食をとっていたら、白髪のイギリス人らしき年輩の女性が私のテーブルに寄ってきて、"I am afraid ,aren't you an actor of the Tiger movie?"と聞く。私を映画俳優と見誤ったのか、すぐにサインをしてくれという雰囲気。とっさに "Are you kidding?" と切り返そうと思ったが、あまり真剣な表情なので、見間違えるのももっともだという鷹揚な態度で "Oh! no mom."と言ったら残念そうに去っていった。品の良い女性だったから、タイガームービーってのは決してポルノ映画では無いはず。日焼けで顔が真っ黒で、多分悪役にでも見られたのか。嘘でなく本当の話です。この日は頭の高山病はすっかり回復していたから。俳優に間違えられたのも初体験…9号。

 3日目の10月25日、ヒマラヤンジャーニーの大河原社長が様子を見に来てくれた。2日間とも食欲が無く夕食を抜いていたが、夕食にと例の「華」に車で連れて行ってくれた。もうかれこれ三度目になるので親父さんも覚えていてくれて、みそ汁と肉まんを出してくれた。これではお金を取れないとただにしてくれた。10月11日にアンナプルナT峰で遭難死した、前橋山岳会所属の日本人二人の荼毘が前日カトマンズで行われた。この二人もよく「華」にきてくれたので、荼毘に行って来たばかりだとか。

 その後話していると、私と同じ年の明治大学の山岳部OBがシェルパと二人きりでカラパタールに登り、ペリチェとタンボチェの間にあるロッジで祝杯をあげている内に気分が悪くなり、シェルパがタンボチェにある電話でヘリの要請をしに行き、ロッジに帰ったらすでに死亡していたなどと暗い話が出た。とにかく下山して正解だったとの結論だったが、祝杯をあげる「飲欲」がまだ無い。皆が帰ってからの祝杯が楽しみ。明日は飲欲が出るか?【写真はクムジュンのヒラリー・スクール。タンボチェからナムチェに下る途中訪れた。佐藤はいない。ちょうど下校時で、校庭にヒラリーの胸像が建っていた。】

 10月26日、今日は皆がカトマンズに帰る日。ソーミーと車で空港に出迎えに行く。本日ルクラ便は運航中との情報のみで、到着予定時刻などアナウンスは一切なし。ローカル空港の外の汚い空き地でただひたすら待つのみ。2時間待ってやっと全員の元気な姿を見る。これで我ら超高年組のカラパタールトレッキングも"無事"終了。

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