アンナプルナBCへ

【アンナプルナBCへ−その3 帰途】


 午後の日差しを浴びたマチャプチャレ西壁。 頂上直下の岩壁は剥き出しの部分だけでも標高差1000mはある。 ほぼ垂直でまったく雪が付いていない。 傾斜も標高もよく似ているアマダブラム南壁には頂上までびっしり雪が付いている。 よほど傾斜がきついのだろう。
 マチャプチャレの西面はこの時間にならないと日が当たらない。 夕方になると、アーベントロートで真っ赤に染まる。 秀麗な容姿と言い、ヒマラヤの名峰の一つである。

 10月15日、テントサイトの朝。 後方のアンナプルナサウスから流れ下る氷河の末端が下の南アンナプルナ氷河に崩れ落ち、轟音が一晩中轟いて眠りを妨げられた。
 今回は高度順応がうまくいって高山病の症状はまったく出なかったが、それでも食欲不振と浅い眠りには悩まされた。 とにかく熟睡できない。 シュラフに入ってもなかなか寝付けない。 うとうとするうちに朝が来てしまう。
 今日は“天国”での停滞日。 サーダーのヒマールに連れられて、ヒウンチュリ(6434m)に向かって左後方の斜面を登れるところまで行くことにする。 いわば4000mの散歩である。

 高度計で標高約4600mの今回最高地点。 南アンナプルナ氷河がはるか下に見える。 登りやすそうに見えたが、トレイルのない岩だらけの斜面は足下がおぼつかなく歩きづらい。 すぐ目の前に見えるアンナプルナサウスから流れ落ちる氷河まで行きたいとヒマールに言ったら、往復1日かかるから無理だと言われた。 とてもそんな距離に見えないが、ヒマラヤはスケールが大きいと言うことだろう。
 後方の稜線はアンナプルナT峰から伸びる東尾根、ロク・ノアール(7485m)、グレーシャー・ドーム(7069m)。 その先右はガンガプルナ(7454m)、アンナプルナV峰(7555m)と、アンナプルナ山系の主稜線が続く。

 10月16日、帰途につく。 今日はアンナプルナBCから標高2300mのバンブーまで、標高差1900m、距離にして15キロを一気に下る。
 気温零下、まだ日の射さないマチャプチャレBCを過ぎてモディ・コーラのU字谷にさしかかる。 前方にやっと陽が射しはじめた草原が見えてくる。 気温が上がりはじめ、着ていたジャケットとフリースを脱ぐ。 とにかく下りは楽だ。

 10月17日、バンブーを出発してジヌーダンダへ下る。 チョムロンの手前にあるジヌーダンダにはヒマラヤには珍しい温泉がある。 これに入るのを来る前から楽しみにしていた。
 写真はシヌワ近くの農家の子供達。 チベット系のグルン族で、日に焼けて少し黒いが顔立ちは日本の子供と同じ。 日本の子供のように“金をかけて”大事にされていないが、日本の子供より可愛がられている感じを受ける。 みな素直で屈託がない。 この谷はヒマラヤ有数の観光地で、トレッカーが金を落とすから比較的裕福である。 観光とは無縁のほかの谷はもっと貧しいのだろう。

 ジヌーダンダの温泉。ロッジから150mほど下ったモディ・コーラの谷底にある。 しみ出した湯を岩で囲った無人の露天風呂。  湯温はやや低いがまさに秘湯である。
 このほかにもう一つコンクリートで作った湯船があって、地元の連中やポーター達は皆そちらに入る。 10日間着の身着のまま、汗だらけの体で入るのだから清潔とは言えないが、久しぶりの入浴は実に快適至極である。 下着も新しいのに取り替えて、汗をかかないようゆっくり150mを登り返す。

 10月18日、宿泊予定のランドルンに早く着きすぎたので、その先のトルカまで足を伸ばす。 トレッキングに慣れた体には緩やかな山道は心地よい。 食事前、夕方の村を散歩していると、農作業をしている家族に出会った。 夫婦で採り入れた穀物の脱穀をしている。 ござのほか農機具など何もない。 下の大きな木につるしたブランコで幼い兄弟が遊んでいる。 広がる段々畑。 ネパールの典型的な農村風景である。 この辺りまで下ると、昨日までの荒々しい山岳風景と違って、実に平和でのんびりした景色である。

 10月20日、 トルカから緩やかな山道を3時間ほど歩き、オーストリアンキャンプに着く。 使わなかった予備日の消化を兼ねて、この地で最後の二日間過ごす。 早く下っても迎えのバスも来ていないし、ホテルの予約もない。 標高1800ほどの開けた草原で、牛や水牛の放牧地になっている。 何年か前にオーストリア人が滞在したので、この名が付いたという。 ロッジが二軒建っている。 下の自動車道路から2〜3時間で登ってこられるので、観光客も来る。 水牛たちの臭いさえ気にしなければ、アルプスの観光地に似た美しい風景である。 草原の向こう、沸き立つ雲の合間にマチャプチャレとアンナプルナU峰(7939m)、W峰(7525m)が見える。 日本だったらさしずめ大観光地になるだろう。 終日のんびり過ごす。

 10月20日夜。 明日は下界へ下りる日。 最後の夜はサーダー、ヒマールの提案でキャンプファイアを焚く。 これもサービスのうちか。 2時間下った麓のカーレから、ヒマールとティロッグが生きた鶏を2羽買って、手に抱えて帰ってくる。 これをつぶして久しぶりのご馳走。 ネパール焼酎ロキシーとビールで大いに盛り上がる。 久しぶりの酒が入って、ポーターやコックまでみんな大はしゃぎ。 普段は無口で哲学者のような風貌をした老ポーターまで踊り始める。 最後はネパールの民謡を全員で大合唱して終わる。

 10月21日。 早朝発ってカーレへ下りる。 2時間の下り道。 ポカラから来たときのおんぼろバスが迎えに来ているはず。 後3時間でシャングリラに戻る。 着いたらまずシャワーを浴びて、冷えたビールと白ワインを飲もう。 なにせ昨夜の怪しげな密造ロキシーと生ぬるいビールは不味かったから。 佐藤はロキシーの飲み過ぎと生焼けのニンニクで体調を壊したらしい。 ポーター達にそれぞれチップを渡して全員で記念撮影。

    (写真はクリックで拡大出来ます)

【戻る】