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【チベット紀行−その4 チベット開放とは何か?】

チベットの人達の心情

 中国人ガイドが近くにいないとき、Yさんといろいろ本音の話をしました。チベット人と日本人はそっくりだが、中国人はまったく顔つきが違う。一目で分かると言います。日本語はラサ大学で習ったのだそうです。なぜ英語でなく日本語を選んだのか聞くと、日本と日本人が好きだからだと言います。そう言った後、「しかし中国人は大嫌いです」と吐き捨てるように言い切りました。外交辞令ではなく本気の発言のようでした。伝統や信仰を否定され、社寺や文化を破壊され、尊敬する国家シンボルのダライラマを追放され、チベット人のアイデンティティを根こそぎ破壊されては、いくら解放などと言われても好きになるはずがありません。

ダライラマを追放した中国政府は、もう一人のラマ(高僧)、パンチェンラマを担ぎ出し、その代わりにしようとしています。至る所にパンチェンラマの写真が飾ってあります。ダライラマの写真や肖像は厳禁されています。所持しているだけで処罰を受けるそうです。しかしチベット人の崇拝と信仰の中心はあくまでダライラマであり、パンチェンラマでは代わりは務まりません。日本で言えば、さしずめ今上天皇を外国に追放し、別の人間を連れてきて天皇と思えと言うようなものです。無理無体な話です。

 中国政府が勝手に擁立したパンチェンラマも、現在北京で勉強中と言うことになっていますが、人質として幽閉されているとすべてのチベット人が思っています。ダライラマもパンチェンラマもいわゆる転生霊童で、仏の予言、お導きによって決まります。政府が勝手に決めるものではありません。インドに亡命中のダライラマ14世が6歳の童を次代ダライラマと予言すると、中国政府はただちに誘拐し、抹殺してしまいました。世界最年少の政治犯と言われています。その代わりに、チベット仏教の伝統を無視して別の子供を次世代パンチェンラマに“指名”するような乱暴なことをしました。この40年、チベット支配に苦労した中国政府が、ラマをすべて否定することの無理を悟った結果に違いありません。その挙げ句のパンチェンラマ擁立でしょうが、チベット人の神経を逆なでする愚挙と言えましょう。

チベット解放40周年

 ラサやシガツェの至る所に“祝解放40周年”の横断幕が張られていました。1959年の人民解放軍チベット侵攻以来、40年が経過したということです。いったい中国共産党は何が目的で、何からチベットを“解放”したのでしょうか。不思議でなりません。それ以前に、解放せねばならないチベット政府の圧政や悪政が存在したわけではありません。それまで、チベットの人達は貧しくとも厚い信仰心を持ち、ダライラマを指導者と仰ぎ、心穏やかに過ごしていたのです。今ではラサの人口の半数以上は漢人だと言います。

 解放の名目で収奪する資源や産業があったわけでもありません。いまだにチベットには油田もろくな天然資源も見つかっていません。広い領土のほとんどが、標高も高く乾燥した草木も生えない荒れ地です。人の居住には不適だし、ろくな農産物も作れません。ランクルで走り回った2千キロの行程で、工場や倉庫らしい建物を一切見かけませんでした。解放40年経った今も、ほとんど産業らしきものは育っていないようです。中国政府は青海省ゴルムドからラサまで、5千メートルの峠を越える2千キロの舗装国道を整備しました。来年には鉄道も開通するそうです。市内の目抜き通りに駅舎の建設が始まっていました。見返りのない経済性度外視のこの巨大インフラ整備は、中国経済にとって大いに負担になっているに違いありません。(写真はポタラ宮から俯瞰したラサ市街)

 台湾と同じようにチベットは中国固有の領土だと中国政府は言い張りますが、少なくとも河口慧海が潜入した1900年当時は鎖国状態にあり、当時の支那政府(清)の支配が及んでいなかったことを世界中が知っています。単純な領土拡張欲としか考えられません。

チベット解放の矛盾

 それやこれや考えると、中国政府の言う“チベット解放”は大いなる言語矛盾です。解放せねばならない状況が皆無だからです。日本はかって朝鮮を“併合”しました。ことの善し悪しは別にして、この言い方の方がよほど正直で分かりやすい。悪名高い朝鮮併合には、ロシアの南下圧力に対抗するという“三分の理屈”がありましたが、“チベット解放”にはそのかけらも見あたりません。国境にはインドとの“ささやかな”領土紛争があるだけです。それとて、これだけの壮大な負担に見合うものではありません。

 チベット人は昔から実に心穏やかな民族で、イスラム原理主義に見られるような暴力的抵抗をしません。しかしイスラム教徒中心のもう一つの自治区、新疆ウイグル地区そうではありません。無理を通して道理を引っ込めさせたこの二つの自治区には、民族の不満が渦巻いています。いずれもその大部分が経済的利益を生まない不毛の地。 中国政府にとって大きなお荷物になっているに違いありません。何が真の目的か理解できませんが、中国政府は実に壮大な愚挙を重ねるものです。

 今のチベット自治区には外交官とジャーナリストの入域は原則禁止されています。テレビなどでチベット報道をしていたら、中国政府の許可を得た偏向番組と見てまず間違いありません。帰国直後あるチャンネルの有名なニュース番組で解放40周年のルポを放送していました。直前に現地の状況に触れた目から見ると、チベット解放賛美の典型的やらせ番組にしか見えませんでした。中国政府のプロパガンダの提灯持ちをするようでは、日本のマスコミも地に落ちたものです。(写真はポタラ宮前の広場にたつ人民解放軍記念碑)

 高山病が怖いので、現地では一切酒を慎んでいました。10日ぶりにチベットから成都に舞い戻り、久しぶりに老酒を飲み、美味しい四川料理を堪能しました。成都は人口1千万人の大都会です。町並みもホテルもレストランもラサとは比べものになりません。成都随一と言う麻婆豆腐を食べながら、Yさんやチベットで出会った人達の優しげな風貌がしきりに思い出されました。

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